- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784865720044
作品紹介・あらすじ
富国強兵から総力戦、そして高度成長へ。反戦の問われるいま東大闘争とその源流。近代日本の科学技術を語る。
感想・レビュー・書評
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山本義隆という名前を聞いて、ああ、と思い出す人は世代的に限られているのだろう。在野の物理学者として、素人にもよく分かる物理学の歴史を説いた良書の筆者として知られているが、東大全共闘のリーダーとして、当時新聞紙上を騒がしていた名前である。東大安田講堂をめぐる機動隊との攻防は、一月の寒い日だったので、放水車が大量の水を浴びせるテレビ画面を、こたつの中に手まで入れながら、食い入るように見ていたのを覚えている。もちろん、学生側を応援していたのだ。
その山本氏が『私の1960年代』という本を出した。それまで、東大闘争について語ることを自ら禁じていたのか、市井の一学徒として主に科学に関する本しか書いてこなかったと記憶している。敗軍の将、兵を語らず、の心境でもないだろうが、ひとつの見識ではあると思ってきた。その人が何故今頃になって、過去を語ろうとするのか、と疑問に思い手にとった次第である。
ここには二人の山本義隆がいる。物理を学ぶ学生として東大に入学しながら、学内に蔓延する矛盾に気づき徐々に闘争に近づいていくうちに、いつの間にかその中心人物となってしまっていた自称「ほとんどノンポリ」の東大生、山本義隆がその一人。もう一人は、闘争に敗れ、拘留された結果、東大に残ることもなく、就職も公安に邪魔され、予備校講師をしながら、地道にこつこつと独自に研究を続けてきた在野の老学徒の山本義隆である。
60年安保に始まり、安田講堂占拠を経て、逮捕、拘留にいたる東大全共闘の闘いのあらましを、およそアジテーターにふさわしくない、人の話をよく聞き、考え、行動する真摯な大学院生の口から聞くことで、あの闘争とは何だったのか、東大という大学の持つ意味と、その問題点が明らかにされる。
山本は、当時のアジビラをはじめ、大量の資料を駆使し、東大が明治に始まる、殖産興業、富国強兵の掛け声のもとで産・学・官・軍の複合体として、国家の政策といかに一体化してその命脈を保ってきたかを暴いてみせる。当時は、目の前にいる総長や教授といった東大当局との戦いに明け暮れていて、はっきりしなかったことが、時を経て、その本質的な意味が雲が晴れるようにくっきりと見えてくる。
大学の自治などは初めからなかったのだ。国や企業から資金提供を受けた大学における研究行為は、すべて国及び企業の利益に結びついていた。それは、四大公害、沖縄基地問題、三里塚闘争、そして3.11の福島までずっと続いている。
先の戦争に敗れたのは科学力であると考えた日本は、戦争に対する真摯な反省をすることなく、戦後はその科学力を用いて高度経済成長期に発展を遂げる。昔軍隊、今経済、というのが相も変らぬ日本人の意識構造であった。その経済が思うように伸びず、行き詰った時、頭を擡げてきたのがまたもやファシズムだ。
この時期だからこそ、山本はもう一度皆の前に現れ、過去を語る必要を感じたのであろう。本書は2014年に行われた講演に加筆したもので、です・ます調で書かれており、読みやすい。民青や丸山真男に対する批判、深作欣二の映画『仁義なき戦い 代理戦争』に寄せる共感などには、若い山本の情念が感じられ、親しみを覚える。一方、戦争当時は天気予報さえ秘密とされ、戦争が終わるまで報道されなかったことをはじめ、昭和になって名古屋、大阪に作られた旧帝大には文科系学部がなかったことなど、今に通じる国の政策について教えられることの多い本である。一読をお勧めする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2015年12月10日借り出し、12月14日読了。
これは山本義隆の遺書とでも位置づけられる本。これだけの知性を、この国は活かすことができなかったということ。山本だけでなく、既存の世界を打ち破る知性を恐れて抑圧をしてきたことが、結果としていまの反知性を導き出し、この国を滅びの道に誘い込んでいる。 -
60年、70年の安保闘争でリーダーとして、日本の国の将来を按じ命懸けで闘った山本義隆の半生を振り返った内容。その一方で、物理学、数学では凄く優秀な科学者であった。全共闘のレッテルが無ければ、日本の科学技術や原子力政策に多大な貢献をしていたとも思った。
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自分の生まれる10数年前、60年代の雰囲気が感じられた。ちょっと自讃が過ぎる気もするが。
本書を信じなら著者は頭が切れる上にとてもピュアである。ここまで追い込んでしまうと、体制の側で物理の研究を続けることは難しく、市井の科学史家への道は自明にも思える。そういえば渡辺京二も活動家から塾講師兼歴史家コースだな。
科学(サイエンス)と技術(テクノロジー)はまったくの別物だったのが、西洋で融合を果たした直後に日本に「科学技術」として入ってきた。そのため、日本での導入は何の疑念もなくすんなりと行われ、近代化の最終便の乗り遅れずに済んだ、という図式は腑に落ちる。原子核工学の制御できなさもさすが物理のプロの説明で得心が行ったが、21世紀の現在において有効な批判の方法は見出せていないように思える。 -
当時の熱が伝わる学生運動。
理工系学問と戦争との距離の近さを感じる1960年代。
たんたんと語られる内容と資料を目にして空気を感じるz -
とても面白かった。
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2019/3/21購入
2020/7/13読了