1★9★3★7(イクミナ)

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  • 金曜日
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865720068

作品紹介・あらすじ

ニッポンジンはなにをし、なにをしなかったのか?おどろくべき「獣性」と「慈愛」をつないだ天皇。閉じられた記憶の棺をこじあけたら、おどりでてきたものとは?歴史にわだかまる大いなる恥と責任を体内深くに問い、「1★9★3★7」から今日まで、連綿とつづく「ニッポンの妖気」を射る。戦後思想史上、最大の問題作!

感想・レビュー・書評

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  • 8月15日に敗戦となった戦争のことを戦後生まれの私は何も知らないのと同じだった。

  • 著者の言いたいことは,日本は敗戦したが,戦争責任は曖昧のままで南京大虐殺で犯した軍国主義的な体質は今も根底に脈々と流れている.その矛先は戦後70年を経た安倍政権にも向けられる.勢いはあるが文章はくだくだとしていて読みにくいところが多い.酒を飲みながら書いてる感じ.

  • 南京での虐殺の詳細も分からないままにしている日本のあり方,あるいは開戦責任を全く鑑みない,敗戦責任のみ思い天皇に詫びる国民性,辺見庸は過去に学ばない今を生きる人々に,血を流しながら叫んでいるようだ.10万人あるいは30万人という数字の問題ではない,一人一人と殺したことが問題なのだ.ということがとても深く心に刺さった.

  •  戦後70年は過ぎてしまったけど、終戦記念日のある8月のうちに読んでおきたいと思い、なんとか読破。相当に重い内容だった。

     タイトルの「1★9★3★7」は、西暦1937年のこと。 南京大虐殺があったとされる年を、「イクミナ」と読ませ、「征く、皆」という意味も含ませる。
    著者自身の父親との想い出、堀田善衛の『時間』という著作を通してその時代、その現場での歴史を掘り起こす。
     そのほか、武田泰淳、小津安二郎、阿川弘之、小林秀雄、丸山眞男など著名人の作品やコメント、体験を俎上に挙げ、「ニッポンジンはなにをし、なにをしなかったのか?」(帯の煽り)を探る、息苦しいほどの思考の旅だった。

    「戦後思想史上、最大の問題作!」と帯にあるが、思想論というにはあまりに個人的で感情的、なので、父との関係を語ったエッセイ? いや、エッセイというには重い。 多くの証言、当時を生きた作家の文章や文献を引いて事実に則して記す歴史書の類? にしては自己内省的な、ある種文学の香りさえする。
     そうなんだなあ、調べ上げた事実を外に向かって発信しているというより、どんどん自分の中へ中へ、自分の心情、本心、自己へ思いが向かっていって、読んでいて苦しくてしかたがなかった。
     南京大虐殺があった当時、中国にいただろう父親に問いたくて問えない質問を、どんどん自分に浴びせかけているかのようだった。

    「わたしじしんを「1★9★3★7」という状況(ないしはそれと相似的な風景)に立たせ、おまえならどのようにふるまった(ふるまうことができた)のか、おまえなら果たして殺さなかったのか、1937年の中国で、「皇軍」兵士であるおまえは、軍刀をギラリと抜いてひとを斬り殺してみたくなるいっしゅんの衝動を、われにかえって狂気として対象化し、自己を抑止できただろうか ― と問いつめるためであった。」

     著者は戦争体験について自分の父親にを問うことが出来なかった。その父も語らずに逝くことになる。これは著者だけの体験ではないだろう。今年亡くなった義父も、一緒に過ごした時間は長くないため、それこそ私は戦争体験を拝聴する機会はなかったが、嫁を含む家族の者も、「お父さんはあまり話したがらなかったよね」ということで封印していた。この行為を、私は責めない。そんな本人が語りたくもない記憶を掘り起こして何になる?という思いのほうが強い。本人も語ることで、その責任を果たすことになる、なんてことも思わない(責任ってなんだ?とも思うし)
     それを、辺見庸は、知らずにすませられなかったものとして、それらが、なぜか問われないまま戦後70年もの月日が流れたのかを延々と語り、現世への問題を提起するのだ。重い。あとがきの”「1★9★3★7」の世界にふみこんだつもりが、わたしには正直ほとんどなにもわからなかった。ときどき吐いた”という一文に、壮絶さが滲み出ている。

     本書は、戦時中に起きた事象に対して、戦争なんだから「仕方ない」とするか、たとえ戦時中であっても「許せない」とするかで、読み手の理解、受け取りかたは大きく異なるだろうなと思う。どちらかと言うと、私は前者。でも本書を読んで、少し後者寄りになったかもしれない。これだけの力作を読んで、”ほんの少し”の歩み寄りなのは申し訳ないとは思うが。

     ただ、辺見さんの「おまえならどのようにふるまった(ふるまうことができた)のか、おまえなら果たして殺さなかったのか」という問いを続けることの大切さは理解した。常にそういう想像力を絶やしてはいけないと思った。他人事、遠い昔のことと、自分に関係のない出来事と思ってしまう無神経さはない(これは、南京大虐殺に限らずだ)。
    本書は、堀田善衛の著作『時間』の中から文を多く引用しているが、以下のクダリなどは心に響いた;

    「死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人ひとりが死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある・・・」

     この考え方は否定しない。大切な想像力、というか分かっておくべき認識だ。
     また『時間』の末尾の一行として引用された次の一文もいろいろ考えさせられた。

    「救いがあるかないか、それは知らぬ。が、収穫のそれのように、人生は何度でも発見される」

     歴史もそうだ。今後も、いろんな時代、いろんな状況で見返され、何度でも発見される。けっして一面的じゃない。また著者が言うように、
    「記憶と忘却は、憶えるべきものと忘れるべきものとに政治的に選択され、そうするようになにもなかにうながされている。かつてたしかに在った時間を、じつはなかったというのが、いま流行っている。」
     という具合に、記憶つまり歴史は利用される。利用されるという言葉が悪ければ、歴史に学べるのだ。流行っているのは、今はそのように利用するのが良いと、時代が判断しているのだと思う。場合によっては”忘却”したほうがよ良ければ、そのように利用される。私はそれを”歴史から学ばない”ことだとは思わない。そのように利用する(忘れる)のがその時代の要請ならそうするということだと思っている。

    「ニッポンのこんにちは、「なってしまった」のだろうか。」と著者は問う。

    「このクニにはいまだにこんな空気と記憶のぬけがらが浮遊している。ニッポンはかつて、なんとなくそうなってしまった戦争にまきこまれることとなり、父祖たちはなとなく兵隊になり、なとなくたくさんのひとびとを殺すことになり、また、なんとなく多くのひとびとが殺されることとなり、いつのまにか原爆が落とされることになり、気がついたら、戦争がおわっていて、焼け野原になっていた。そうだろうか?」

     この辺りの問いかけは、空気に流されやすい、KYを忌避し、長いものに巻かれることを良しとする風潮に警鐘を鳴らしていた筑紫哲也さんの危機感が思い出される。
     著者は、丸山真男の言葉を引く。

    「これだけの大戦争を起こしながら、我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく何物かに押されつつ、づるづると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するか」。

     何を意味するのか? ”それが日本だ”という答えは許されないのだろうか。

     歴史は勝者の物語でしかない。それはたぶんこの先も覆ることはないと思っている。ただ、そんな時の流れの中、歴史の末端の”現在”に居る勝者となるか敗者となるか分からない身としては、両方の視点と想像力が欠かせない、ということを本書からは読み取るのが精一杯だったかな。著者のように、完全に敗者の視点、”末期の眼”からという極限に自らを追い込むことはとても出来そうにない。

    「ひとりの「みられる」末期の眼から、一方的に「みる」者たち、またはまったく「みようとしない」者たちを、みかえしてみる想像力は、内的歴史像の結像にとってどうしても欠かすことができないのだ、とわたしはおもう。」

     「1★9★3★7」を題材に、とことんまで当時の日本、その後の日本を批判する姿勢の本書ゆえ、天皇制、君が代、安倍政権に向ける厳しい意見は予想していた範囲。その他、童話「桃太郎」や小津安二郎にまで批判の目を向ける執念には恐れ入った。阿川弘之とのエピソードもスゴイ!

  • 所謂、南京大虐殺といわれる、日中戦争中に起きたこと。

    それは、おそらく中国のいう何十万人もの人が殺害されたということではないだろうが、少なくとも多くの人が殺戮されたという事は事実であろう。

    しかし、その場に居合わせた多くの普通の日本兵は、その事実を話すことはほとんどなかった。
    中国大陸で、日本軍が為してきた行為について、語ることはほとんどなかった。

    1937年 南京大虐殺があったとされる年。
    作者は、その時、自身がその場所にいたわけではない。作者の父親の記憶、そして、その場の記憶を持つ堀田善衛の「時間」を通して、その場の歴史を掘り起こす作業を行った。

  • 日本人が話題にしたくない、無関心を装い、記憶にないことにしているタブーに正面切って挑戦した作品という印象を持ちました。俎上に載せたのは昭和天皇、石川達三、小津安二郎、阿川弘之、小林秀雄、丸山眞雄、埴谷雄高たち。実父がまず間違いなく南京大虐殺に関わったことを問い続けるなかで、先の彼らの行ってきたことや言説や作品は徹底的に非難されています。だが、それだけではなく、作者自身へもその批判の眼は向けられています。そして我々日本人へも。同じ実父を問うのでも、小熊英二著『生きて帰ってきた男』とは、まるっきり違います。

  • 初読。図書館。久しぶりに辺見庸を読んだ。(10数年ぶりか?)図書館にリクエストして借りたが、これは買って手元に置いておかねば。病気になって死期を意識したのだろうか、こんな時代になってしまったからこそ、今これだけは言っておかねば、という辺見さんの静かな叫びが行間からあふれでている。誰かを断罪するだけでなく、同時に自分を断罪する作業は痛みを伴って迫ってくる。帯の「戦後思想史上、最大の問題作!」の言葉は単なる煽りの宣伝文句ではない。やはり辺見庸を読み続けなければと、本棚を掘り返した。

  • 辺見庸さんの書物は詩と幾つかの小説以外は全て読んでいるが、もの食う人々を超える代表作がようやく産まれたと、長年のファンとしては凄く嬉しいし、感慨深いし、しかも下手したら今後仕事が出来なくなるかもしれない危険なテーマでそれを成し遂げられたことに、同時代者として畏敬の念を抱いた。
    だからこそ、今回は単なるレビューではなく、さらなる代表作を祈願し、次回作についての期待を述べたい。

    私は辺見庸さんが学生運動をされていた頃の個人史をー学生運動史ではなく、辺見庸さん固有の、ただ一人の個人運動史ー是非次の作品として読みたい。

    なぜ読みたいか?
    それは辺見庸さんが、現在の自分を含めた若い人たちの反安保法案の戦いをぶった切る言葉の数々を、かなり力を入れて放たれている現状への同時代者としての違和感と、その違和感をなんとか埋めたいという思いがあるからである。
    違和感の理由は、自分の側にも責任はあるのだろうが、それらの批判の言葉を裏付けるべき、辺見庸さん自身が過去の体験から学ばれた記憶や記憶に基づく言葉が、辺見庸さん自身の口からいっかな漏れ伝わってこないことに第一にある。少なくも私にとってはそれが故に彼が差し向けてくる批判の言葉が、どうにも突き刺さって来ないのだから。
    せっかくなのでぶちまける。
    同時代者なのに、お前は誰の立場で批判してんねん。お前はお前じゃないのか。お前の批判は高みから過ぎるわ、ボケ!!
    と胸ぐらを掴みたくなることしばし。(福祉の仕事についてる私としては老人に優しくせざるを得ないが、辞めたら殴り飛ばすかもしれません)

    いや、徴しはあったのだ。実際読んだし。哀しいかな。書物ではなくネットで。

    今更言うまでもなく現代という時代は薄ら寒いほどなんでもググれば外形だけは分かってしまうのだが、彼が書いてはいつの間にか消してしまうブログの身辺録の中にそれらを示す痕跡のような物をググった事が幾度か、私にはある。

    その中のある個人名をググった時に辺見庸さんが学生運動をされていた頃の友人が内ゲバなのか権力に殺されたのか、とにもかくにも酷い死に方をされた事実を知った。

    辛かった。何が辛いって、そんな事実をググるなどという非人間的な営みを通じて知った事が苦しかった。自分の軽さと現在の軽さにいたたまれなくなった。
    それから幾日も経ずして実父を喪ったのだが、
    今回この書物を読んで、全共闘世代であった父に、恐らくは学生運動などしなかったはずの父に、なぜ自分は、多くの同世代の人間が殺したり殺されたりする中、あなたは生き延びたのか、
    死んでいった者たちをどう眺めていたのか、
    傷みを覚えることはあったのか、あったとして、その傷みはどうやったら治癒するのか、そこに自分がかかわるよすがはあるのか。
    聞きたかった。聞くべきだった。
    そして聞いてほしかった。
    お前は、反安保法案の戦いの中でもしも仲間が殺されたり、殺したり、自身がそうなるような状況に陥った時、どうするのか?

    そしてこう答えたかった。
    そのような問いをするのもされるのも、これを最後にするために、一緒に考えたいのです、と。

    幸いにまだ辺見庸さんは生きている。

    辺見庸さん、生き延びる術をください。
    僕は僕自身の手でそれを獲得出来んのです。
    甘えかもしれんが、どうかお願いします。

    例えネットであろうとも消さんでください。
    服部多々夫とは誰なのか?
    なぜ、若くして死なねばならなかったのか?
    その方が亡くなられた時、あなたは何処で何をされていたのか?
    その死を私は傷み、悼むことは出来るのか?
    その死を無駄にせず、共に生きる道を、共に生きる資格が私にはあるのか?

  • もう長いこと辺見庸さんを愛読しています。
    理由は、突き詰めていえば、「単独者」だから。
    情勢がどう変わろうと自分を曲げない、転向などもってのほかです。
    3つの例を挙げます。
    辺見さんはこれまで日中戦争における日本軍の戦争犯罪を繰り返し繰り返し厳しく告発してきました。
    こう書くと頑迷なイデオロギー主義者は「左翼」ないしは「サヨク」のレッテルを張るのではないでしょうか。
    しかし、辺見さんは共同通信の北京特派員時代、もし、仮に辺見さんが「左翼」ないしは「サヨク」なら、是が非でも擁護したい中国共産党に不利な報道をして国外退去処分となった過去があります。
    さらに、最近では、安保反対運動で注目を集めた学生団体「SEALDs」に対しても激烈な批判を展開しました。
    「やるべきときには何もせずに、今ごろになってノコノコ街頭にでてきて、お子ちゃまを神輿にのせて担いではしゃぎまくるジジババども、この期におよんで『勝った』だと!?」
    「国会前のアホどもよ、ファシズムの変種よ、新種のファシストどもよ、安倍晋三閣下がとてもとてもよろこんでおられるぞ」
    ―などと、まったく容赦ありません。
    決してなびかない、ですから私は辺見さんにほとんど全幅の信頼を寄せているのです。
    頑なということではありません。
    むしろ、いつも揺れているという印象が辺見さんにはあります。
    ただ、常に眼差しが全体よりは個に向いています。
    そういう意味では頑なといえるのかもしれません。
    というわけで前置きが長くなりました。
    本書は「南京大虐殺」について、堀田善衛の小説「時間」、さらには南京で従軍の経験がある父の記憶を足掛かりに日本の悪逆非道ぶりを暴きます。
    「南京大虐殺」についてはご存じの通り、その存否自体が論争となっており、私自身はさまざまな資料から中国共産党が主張する「犠牲者30万人説」は言うに及ばず、日本軍による組織的な虐殺はなかったと推察していますが、それでも「民間人の殺害は全くなかった」という主張には無理があるという立場です。
    掠奪や強姦もあったでしょう。
    それを「戦争なんだから仕方ない」とするか、「戦争であっても看過できない」とするかで、本書の読み方は全く異なるものになってきます。
    私は後者です。
    日本の戦争犯罪を告発する類書はそれこそゴマンとありますが、本書が特異なのは、辺見さん自身が「南京大虐殺」のあった1937年(本書のタイトルもここから取られています)に立ち、「おまえならどのように振る舞ったのか」と執拗に問うている点です。
    著者として客観的に「南京大虐殺」を眺めるのではなく、皇軍の一人として「南京大虐殺」に関与するのです。
    これは想像するだに痛苦を伴う作業になるはずで、その痛みは読者である私にも伝わってきます。
    戦後70年にふさわしい、唯一無二の作品と云えると思います。

  • 通常はなるべく簡素な感想を心掛けているのだが、この書に関してはそんなこと言ってはいられない。述べるか、全く述べぬか、どちらかだ。しかしこの戦慄をどう伝えようか。戸惑いながら見切り発車の感想文を。

    1937年の南京大虐殺を軸に現在の日本に筆者は鋭くメスを入れる。いや、誰よりも己に刃を向け激しく怒涛の如く苦悶し叫んでいる、この人は。自分に問いかける、なぜ目を背けてしまったと、なぜ問わなかったと、己の恥を晒す。南京大虐殺は確かにあった。あったことをなかったことにしようとする日本の歴史は、国家の差し金だけではなく我々国民の意志からも派生する。幾つもの文学作品の引用が差し込まれる。武田泰淳の『汝の母を!』は衝撃だった。泰淳は経験してしまった。その事実を隠し通すことができなかった。書かずにはいられなかった。しかし、世間はこの小説をなきものとして扱った。このような記憶の抹殺があっていいものだろうか。筆者の友人が筆者に語った言葉が突き刺さる。「きみはおかしいとおもわないか。おかしいとおもわないなら、しかたがない。ぼくはとてもおかしいとおもう」。恥部を無化しては被害者意識だけは旺盛に加害者としての責任をないものとする。記憶の無記憶化。その場しのぎにはなるかもしれない。だがそのツケは確実に溜まり気づけば八方塞がりの今だ。その窮地に気づく気配すら乏しい私達の日常。ほんとうは戦時下の日常。変な雑音に惑わされずに、個の心で辺見の声を聞いてほしい。この人は泥沼から這い出ようと誰よりも必死に、己の苦辱を曝け出すことも厭わない。肝を据えて読んでほしい。無痛を装った恥部の傷口は広がるだろう。密封していた光景を呼び覚ますかもしれない。でもそれを認識せずに未来はない。間違いなく今年のベスト。

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著者プロフィール

小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信記者。宮城県石巻市出身。宮城県石巻高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部社会専修へ進学。同学を卒業後、共同通信社に入社し、北京、ハノイなどで特派員を務めた。北京特派員として派遣されていた1979年には『近代化を進める中国に関する報道』で新聞協会賞を受賞。1991年、外信部次長を務めながら書き上げた『自動起床装置』を発表し第105回芥川賞を受賞。

「2022年 『女声合唱とピアノのための 風』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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