- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784866221281
感想・レビュー・書評
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【感想】~未熟な大衆とプロパガンダ(教育)能力なき未熟な国家~
~総合~
大衆としての行動、思考様式で生きる自分たちのルーツ。GHQが発禁にしていたとすると、大衆というう概念をどれほど注意深くアメリカが扱ってきたかが想像でき、日本はどれほど大衆概念を蔑ろにしているが伺る。
ルーツをもぎ取られた孤児としての日本大衆が今なお迷走を続けるこの状況がそれらを物語っているように感じる。
廃藩置県を起点とする明治史のなかで、維新の当事者たちが感じた革命の疑惑が断片的に織り込まれているのに着目したい。
戊辰戦争を巡って、四民平等による徴兵の基礎固めを痛感した板垣退助。征韓論を挟んだ西南戦争、近代兵力へのアップデートと、サムライとの決別。早すぎた民主政治と黎明期。
ときと場所とを取替えながら、目覚めた人が出会ったであろう未開文明の片鱗を想像すると、開拓者である維新者たちは、楽しかっただろうなと思った。彼らが真っ先に切り捨てたのが侍としての自分だったことを思うと、革命は自分に対してのみ適用される概念ではないかと感じる。
生まれ変われない侍たちはみな軍人になった。彼らの切腹としての戦場が読んでいて感じられたことだった。
士農工商の民が、近代化を遂げるまでに辿った道筋。その上巻は、帝国日本の姿と、奴隷としての民主像を彷彿とさせる。教科書からは得られない考察がふんだんに編み込まれている。再読しよう。
~大衆(public)の誕生~
日本の大衆はまだ生後二か月だ。現時点(2023年)の一般大衆の誕生が明治維新の期間(起動は14年の政変以降の政治の大衆化)にあったと仮定したい。
それ以前に大衆は存在しなかったのか?
“その楽しみを俱にせざるものは、その憂いを俱にせず~士族の持っている愛国心を、国民一般のもの
として、普及させるためには、士族の持っている特権を国民一般のものとして、広く享受させなけれ
ばならないと云うこと~(p,98)”
戊辰戦争への板垣退助の術懐。そこで確認された、国を持たないヒトビトがその最たる例かもしれない。日本のそれまでの非大衆的大衆はいつも被支配者だった。幕府と武士が経営するサークルだけがそれまでずっとあっただけで、国家も大衆も存在しなかった。
国家とはなにか?○○人とは何か?
国という集合意識をクラウドにした個人と言う端末。これが国家成立の条件だと仮定したい。
○○人というのが国家に由来するヒトだとすると、民族とは区別する必要がある。民族はそれだけでひとつの国家かもしれない。(○○人と民族は話がそれるので別に記す)
明治の先導者たちの課題が国民の生産だった。面白いのが、政府が幼児期にあたる民衆の幼稚さに手を焼く親のようだったことだ。
“李鴻章の身分に対しても、殆んど聞くに堪えぬ悪口雑言を放ちし者が、今日卒然として李に対して、
その遭難を痛惜する。~戦争の狂熱は社会に充満し、浮望空想殆ど其の絶頂に達したる(p,198)”
大衆を生み育むメディア、その大きな役割を果たしていた新聞が、未発達だったために、戦争は阪神巨人戦のように大衆に受容される始末。後に続く三国干渉への対応が失敗だとして、それを大衆のせいにしようと陸奥がしたのだとすれば。
プロパガンダの失敗だ。
仮定すると日本で機能しているプロパガンダは欧米のものだ。日本政府が独自に考案したプロパガンダじゃない。
そうして少年のような国家は、無邪気に公園へ遊びに行くように、海外へ進出し、はじめて大人たちから容赦なく攻撃される。黒船に怯えていた小学生たちが、中学生になったようなものだった。
日本の帝国主義が民主主義への過渡期だったと考える。大衆が育つまでと考えてもいい。
政党が殆ど力を持たなかった時期。そこでは、メディア機能を果たしながら、教育的プロパガンダをする政党の教育力がなかったことに、過渡期における大衆の成長の阻害があったと感じる。
『墨東奇譚』収録の読後贅言で永井荷風が語った景色をふと思い出した。トウキョウは街を挙げての祭りを禁止していたところに、松坂屋だったか、百貨店がその売り出しのために催したこと。商店街をぶち壊すという、無目的の暴動が起こり始めたこと。カフェーの給仕など、近代化した女性の性風俗、円タクによる交通治安の悪化。大正、昭和期の大衆は、娯楽を与えられてその消費者としての進化を遂げることになる。
話を明治に戻す。国際状況を知るため、役職者たちが盛んに渡航していた時期なのに、教育が瞬く間に普及するわけもなく、国際情勢や安全保障その他ありとあらゆる知識を大衆が持っていたわけがない。教育なき国民たちが、同じく右も左も分からない一大メディアに扇動されて、ただただ混乱のなかに戦争へ突入していた。これが、大衆明治史の側面かもしれない。
~侵略と奪還~
征韓論を改めて考えると、現在の台湾を挟む米中対立、韓国の反日感情の背景が浮かんでくる。
考えてみれば、韓国は日本よりさらに若い国家かもしれない。
韓国における日本との協調を旨とする開進派、清との協調を旨とする旧慣派の対立がそうだ。前者は日本に、後者は清にその存在を依存したイデオロギーで、自立した国家としてのアイデンティティーが持てずに来たのだと仮定できないだろうか?
そう考えてはじめて日本を嫌う韓国の心の背景というものがはじめて想像できたような気がする。
北朝鮮にしても、ごろりと転がる戦場に取り残された国家なのかもしれない。敗戦とともにアメリカの安全保障の中に取り込まれた日本とは違って。
台湾にしてももとは清、もとい中国の領地にあったものを、世界大戦を経て、安全保障の側面から独立国として認められた背景は知っておいた方がいいかもしれない。侵略という単純な視点ではない動機を他者が持っている。そのことを実感できた。
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ネットで上下巻共に購入し、
マンションの図書室に寄付をした。
すると、この本はないかと図書委員に何人かが聞きにきたらしい。
寄付してよかった♡ -
利権と権益を追及し、その世襲を繰り返す不公平な現代社会の政治・経済界の原型がいつ生まれ、どの様にこの日本に根付いたのか、それを知るために先ずは明治時代を学習してみることにした。
明治維新は、その言葉から我々日本人は非常によいイメージを持っているが、不思議なことに、日本史の時間でも大政奉還以降の詳しい歴史を学ぶ機会は少ない。そこにも大きな疑問を持った。
この本は、その我々が疎い明治時代について、あの菊池寛が書いているものだ。そして。この本を戦後あのGHQが禁書扱いにしているのも不思議だ。何か日本人にとって大事な精神が、この明治時代の西洋化、欧米化の過程で大きく変化したか、もしくは失ってしまったのではないか。
それまでの日本人には、武士道等の高潔な精神が宿り、それを脈々と継承してきたと思うが、ここで政権を幕府から天皇に戻す過程において、薩長の人間たちが政権を取り、西洋的な個人的利益の追及とそれを世襲する術を取り込んだのではないか、という疑問が沸いた。
何故か下巻だけで販売されていないようなので、少々困ったが、早く続きが読みたいものだ。
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明治時代の日本史。国内外での戦争が頻発していたような印象。日露戦争の部分を注目して読み進めた。
本書のようなスタイルであらすじを追えると、全体像を把握しやすい。
歴史の流れも理解しやすいと感じた。 -
GHQが発刊停止にした理由は
日清戦争の正当性を書いているから
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詳細は、あとりえ「パ・そ・ぼ」の本棚とノートをご覧ください。
→ http://pasobo2010.blog.fc2.com/blog-entry-1942.html
明治時代の政治、国を動かす人々の話のようです。
そういう本にしては、読みやすいのでしょうが、それでも内容も 文章も 漢字も難しいです。
これから、下巻を読みます! 頑張る (*^_^*)♪ -
文体も含めて、明治維新前後の歴史の一部に入り込んだ気持ちになる。
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送料550円のみというネット広告にのったカタチだが、買って正解。面白くて一気読みした。
「この日本をどうか世界列国と肩を並べるようにしたいと思う一心(p151)」と、晩年の大隈重信の述懐を紹介した上で、その信念を「気概ある国民の一様に抱くところ」という昭和初期の作者、菊池寛。
国際競争力が凋落した令和日本に、もう一度このような気概を取り戻せたらと思った。
そして本書、司馬遼太郎さんは絶対読んでるな、確証はないけど。 -
話は面白いが、出版社が下巻を一般に流通させていないとすれば、詐欺商法でしょう!アマゾンは上巻だけしか買えないこんな出版社を扱わないようにしてほしい。
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