- Amazon.co.jp ・本 (751ページ)
- / ISBN・EAN: 9784866511283
作品紹介・あらすじ
余命宣告を受けた学生が、
”命をかけて”受けたいと願った伝説の授業の完全翻訳版!
--人は必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか
※本書の第1講、第8講~第15講、「死についての最終講義」は、
『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義〔日本縮約版〕』と同内容です。
第2講~第7講の追加に伴い、原書に従う形で一部を再編集しております。
感想・レビュー・書評
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【死を恐れる人と受容する人の違い】
・恐れる人
死ななかったらもっといい人生が未来があったはずなのに...
・受容する人
やりたい事、やりきった
未来を恐れず
過去に執着せず
今を生きろ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
死について考える前に、生とは?私とは?存在とは?について触れ、二元論と物理主義での私を問い、魂の存在について考察する。魂が不滅か?存在しないとすれば立証できるか?
なにを私と定義づけるのか(人格の同一性)。魂説、身体説、人格説。その場合、複製・分裂はどうなるか。そもそも生き延びることだけが大切なのか。
ここで死の本質について。
いつ死んだことになるか、睡眠と死の違い、死ぬのは孤独か?
死はなぜ悪いのか?不死は善か?人生の価値の測り方。不可避、不平等、残り時間の未知、幸福度とは。死になにを恐れるのか。
さらに自殺の合理性について。
合理的な決断になりうるか、それは明晰で冷静な判断になりうるか、道徳性に対する疑問、功利結果主義の考え。
最後にシェリー先生の結論。
一晩かけた長い講義だったが、すごく考えさせられた。
そもそも私が私であるのは脳にある記憶のみである。(昨日したことの記憶とそれ相応のエビデンスと思われる状態、さらに鏡に映る容姿が変わらない自分であるという記憶)
生きていると実感するのも今生きているから。死んだ時の感覚はわからないが、物理主義であれば五感はなく寝ているのと変わらない(時間も感情もない)。
わたしの人生の価値は何か。
富でも名声でもなく、細く長く生きることでも短く濃いものを期待するのでもなく、幸せにプラスで終わりたいがそれを躍起になって戦うでもなく、人と比べるでもなく、終わりを恐れるでもなく、どっちがより心赴くかを考えながら日々無数の決断を積み重ねて一喜一憂して過ごすことだろう。
251冊目読了。
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読み易い哲学の入門書のようなイメージ。
徹底的に議論したいと思う人には物足りないが、入り口として分かり易い視点を提供してくれるのは良かった。 -
読み進めるには難しいだろうけど内容に興味があったのでずっと気になっていた本。オーディオブックになったのを機に講義を受けるつもりで購入して聴いた。読むよりすんなり頭に入ってきて「死」を哲学的に理解しやすかった。例えも分かりやすい。
私たちが死に対してやんわり抱いているイメージは哲学的に見てもだいたい間違いないという感じ。私は魂や生まれ変わりを信じていないので著者の考えはわりと近かった。でも私が自殺大国・日本の生まれだからか、自殺の章はつい感情論に意見が流れそうになった。 -
合理性と道徳性に分けて、自殺を考えてる
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話題になるだけあって、読みやすい!例えると、どんな揚げ足取りにも分かりやすい例で説き伏せる、みたいな。読んでて納得したり、「うーん」って考えながら読みすめめられました!
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原書で読みたい。
先に哲学の入門書を読んで予習しておく事をお勧めする。
疑ってかかるという哲学のお作法を頭に入れてから読めば、割とすんなり内容は入ってくる。
問題はその内容のどこを受け入れ、どこを拒絶するか。 -
もともとの縮約版が形而上学的部分を割愛していたことで不評であることを聞いており、この完全翻訳版を読んだが、それでもなお、もっと徹底的に形而上学的部分の検討をして欲しかったというのが率直な感想である。前半の哲学的検討の着眼点や展開は非常に面白かったが、不十分な幕切れという印象。
まず魂という非物質的存在を肯定する二言論と、あくまで心や魂は脳などの物質的存在の状態を表す方便として意味を持つとする物理主義との対置は面白く、著者が物理主義側に立って議論を展開するのも、私の個人的な考えと合致していて納得感が高かった。そして、意識やクオリアについては未だに物理主義でも二言論でも説明不能であり、従って引き分けに思えるものの、魂という不確かな存在を信じるのが考えうる説の中で最も妥当であるという論拠がない以上、やはり物理主義を(現時点では)とるのが合理的という説明はさすがであったが、本書を読むときに一番期待していたのが、この意識やクオリアの正体についてであったために、肩透かしをくらったような気分。
後半は、哲学的というより、人生観、どう生きるかの啓発のような内容。死んでしまえば快楽もなくなるが苦痛もなくなるため本質的に悪いものではなく、死なずに生きていれば本質的に良い快楽などを経験できるにも拘わらずそれが失われてしまうという意味において、死は相対的にわるいという剥奪説をとる。
そして、悪い事象であっても、それが確実に訪れる場合には、嫌がったり悲しんだりするのはともかく、恐れるのは合理的な反応ではないとする(恐れとはその発生が不確かな事象に対して適切な反応である)観点から、死を恐れるのは(そういった感情がよくあることは理解したうえで)適切な反応ではないという。そのうえ、不死は耐え難い悪いことであることを示したうえで(永遠という時間に耐えられる快楽も楽しみもない)、死に対する適切な反応は、悲しんだり嘆いたりすることよりも、むしろ、限りある生を受けてそれを経験できていることへの感謝であるとする。そして、剥奪説の観点から、人生のあらゆる良いことを経験するには絶対的に短すぎる人生を生きるうえで、やり直しの機会が(1万年の寿命がある場合に比べて)少ないことを踏まえて、何をやるべきかを定めることとそのためにやるべきことをやることに注力して生きるべきだとする。ここらへんは圧巻の展開。
死を、生命のあらゆる現象の終わりであり、本質的にはプラスマイナスゼロの現象であると冷静に割りきったうえで、場合によっては自殺も合理的選択になりうると説明される。
前半の物足りなさを除いて、素晴らしい内容だった。
ただ、余命半年の学生が受けたいと渇望した授業という触れ込みがあったが、実際には、余命半年の学生が残った人生の目標をイェール大学の卒業と定め、その一環でこの授業をとっていただけなんですね。本書の中でそのように説明されていて、ちょっと面白かった。 -
一冊は持っておきたい
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誰もが必ず経験する「死」について哲学的に考えを重ねていく本書。 剥奪説などなるほどと思う箇所もありながら、特に自殺に対する考え方は表面的な道徳を超えたものがあり、興味をもって読み進めた。 大切なのは本書の内容の是非ではなく、「死」について自ら向き合っていくことなのだと思う。
著者プロフィール
シェリー・ケーガンの作品





