もしも一年後、この世にいないとしたら。

著者 :
  • 文響社
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感想 : 121
  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784866511467

作品紹介・あらすじ

国立がん研究センターで、がん患者さん3500人以上の方の話を聞いてきた精神科医が
今、生きづらさを感じているすべての人に伝えたいこと。

人生の締切を意識すると、明日が変わる。

「もしも1年後、この世にいないとしたら――」
そう想像したとき、今やろうとしていることを変わらずに続けますか。
それとももっと別のやりたいことをやりますか。

感想・レビュー・書評

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  • がん告知を受けると、それまで当たり前であった「健康で平和な毎日」が続くと思っていた世界が突如変貌する。
    人はどのように、喪失と向き合い、様変わりした現実をどう過ごしたら、そこに意味を見出せるのかを考えることができるようになるのか。

    がん患者に寄り添う精神科医が、がん患者に寄り添い続けて学んだ「今を大切に生きる」ことについて述べられた本。

    ・がん告知後1年以内の自殺率は一般人口の24倍。

    ・今日を大切に過ごすということは、今自分にとって心地よいことをするということ。

    ・Wantの自分が本当の自分と思って大切にしたほうが良い。Mustの自分に反抗しよう。「こうあるべき」で生きると、なんのために生きているのかわからなくなる。

    ・「悲しみ」という感情が苦しみを癒す。

    ・心的外傷後成長(Posttraumatic Growth:PTG)
    苦難を経験することで、病気になる前とは異なる新たなる世界観を見つけていくこと。あるがままに病気と向き合うプロセスの中で自然に生じる次の5つの精神的変化。
    ①人生に対する感謝
    健康はいつか必ず失われるもの メメント・モリ
    今日1日を生きられることの感謝
    ②新たな視点(可能性)
    絶対にやりたいことの準備
    ③他者との関係の変化
    自分はたくさんの人に支えられて今を生きている
    ④人間としての強さ
    案外、思っていたより自分は強い
    ⑤精神性的変容
    人間の力を遥かに超える存在や力に気づく

    ・死を意識しない世界はどこかで破綻する。

    ・科学は「人間は死んだらどうなるのか」と言う問いに対しては納得のいく説明をすることができない。説明ができないことについては「考えることを避ける」と言う方法を多くの人が取るようになった。

    ・人が「死」を恐れるのはなぜか。
    ①死に至るまでの過程に対する恐怖
    ②自分がいなくなることによって生じる現実的な問題
    ③自分が消滅するという恐怖

    人生とは1回限りの旅である。そして、今日一日をこのように過ごせることは当たり前ではない。だからこそ、自分に真に心地いいことをして生きよう。

  • 帯に引かれて購入。

    「普通の日の連続が幸せ」
    「こうあるべきよりこうしたいの自分を大切にする」
    「本当は皆、いつ何が起きるかわからない世界を生きている」

    本当にそう思う。
    でも実際はそれを叶えたり、守るのは難しい。

    精神腫瘍医とがん患者との出会いを書かれています。
    その中の1人のがん患者さんは「心が窒息したままで人生が終わることには耐えられない」と話され病気がきっかけになり変わっていかれます。

    色々と考えさせられる本です。

  • 看護師をしていた頃に出会った患者さんの顔が浮かんだ。
    家族にも甘えずに辛い最期を迎える患者さんも居て、ずっとどうしてか分からなかったけど、本を読んで分かった気がした。強い自分であるべき、家族には弱みを見せたくないと思っていたのかな、と。そしてわたしはその人の気持ちを全然分かっていなかった。もっと心に寄り添えたら良かったなぁ。

    自分のことを振り返る機会にもなった。限りある時間を、自分のしたいこと大切なことに使っていきたいと思う。



  • 生涯においてがんになる確率は
    男性では62%、女性では47%

    自分ががんになる確率は高いし
    周りの人ががんになるのは決して他人事ではない

    3人に1人は
    15〜64歳で発症する

    5年生存率は62.1%


    苦難を経験することで、以前とは異なる、新たな世界観を見つける。

    心理学の領域では、このことを心的外傷後成長(Posttraumatic Growth: PTG)と言う。


    「今与えられている健康は永遠に続くものではない」

    そう思えるようになって
    毎日を大切にできるようになった。



    もし10年先がないとしたら
    何のために今を生きますか?

    「健康はいつ失われるかわからないもの」であるし、
    「いつかは必ず失われるもの」



    適当に就職して、誰かと結婚してぬくぬくと生活していけたらOKなんて思っていた時もあったけど

    実際ぬくぬく生活してみたら
    そんなんじゃ、何も得られないし満足できない自分に気づいた。



    せっかくの人生、やりたい事を探し続ける人生でありたい。


    自分の人生何も良い事がなかったで
    終わらせてたまるか!

  • もしも一年後、この世にいないとしたら。。清水研先生の著書。精神科医・医学博士である清水研先生。死を意識して日々暮らせば、自分勝手で自己中心的な自分を捨てられるかもしれないし、自分勝手で自己中心的な他人に対しても優しくなれるかもしれない。傲慢な気持ちは捨てて、謙虚に生きるきっかけがもらえる一冊。

  • 4つの章からなる医師の「死」についての考えが、まとめられています。各章ごとに、単元が分かれていて、それぞれにテーマが分かれています。そのテーマを書き出して読み返したくなります。本のタイトルに関心を持ちました。ここ数年、学生時代の友人が複数亡くなりました。今の時代では早死になります。しかし、自分自身に確実に死が近しいものに感じます。今まで避けていたこの問題を考えさせてくれます。極論、日々の生活に感謝して大事に1日を生きることだと当たり前のことではありますが、感じました。

  • 別に病気になったわけでもないのだけれども、折り返しは過ぎたし、やりたいことを手加減せずにやれるのは無事に行ってもあと20年だろう(お花見、紅葉狩り、お正月があと20回)、ということで。著者の清水さんが仕事柄なんだろうけれどとても優しい/易しい話し方をしてくれるので、すいっと読んでしまった。友だちとのご飯会に清水さんが来ていて、ひとしきりお話してもらったみたいな感じ。

    人生が、自分の思い描いていたとおりに進まない・途中で終わってしまうのはがんが原因でなくても起きることなので、突然の方針転換を迫られて混乱している人は、怒りのフェーズが過ぎたら役に立つことが書いてあると思う。悲しみが苦しみを癒すって本当にそのとおりだ。

    余談:清水さんが「自分の人生だから自分のしたいことをしよう!」と決意してまず最初にやったことが、気の進まない集まりに行かずにターシャ・テューダーの映画を見に行くことだったの、お疲れだったんですねというのと、でも好きなものわかってたんですねっていうので、ほろりとしてしまった。自己開示のネタとしては最高なのでは。

  • 「人は何歳になっても変わることができると断言できます。」

    臨床で得られたこの見解に救われる思いです。

  • 本書はがん患者専門のカウンセリングを行う精神科医による作品であり、日々患者と死に直面している中から導き出した「生きる意味」を伝えている。
    自分も日々、生きる意味(働く意味)に悩んでいたので、答えを出すための道しるべを与えてもらった。
    これまでの長い人生で身についてしまった「must」から「want」に耳を傾け、仕事においても出来るだけ「want」を優先していきたいと思う。仕事に「want」を持ち込むべきではないと勝手に思い込んでいたが、著者も同じように悩み「want」を優先することで自分の生き方を取り戻してきているという話に勇気をもらった。
    繰り返しになるが、これからは、自分の「want」に素直に従い、「want」を先送りしない人生を送るようにする。

    ・多くの人にとって、「死」はいつか自分に訪れるということは頭では分かっていてても、実感はしていないのかもしれません。自分の「死」はまだまだ考える必要がないことで、今日と同じような明日や明後日が当然のようにやってくる。そうすると、自分にとって「絶対にやりたいこと」があったとしても、「明日やればいいや」「そのうちやろう」「この仕事が一段落したらやろう」「定年後の楽しみにとっておこう」と、先延ばしにしてしまいます。
    ・毎日の生活に充実感がなくて、「変わりたい」と思っていたとしても、変化することへの不安が勝ってしまい、充実感のない場所に甘んじてしまうかもしれません。そして結局は、周囲からの期待や責任にからめとられ、虚しさを感じながらも、今と同じ日々を続けてしまうことも多いでしょう。

    ・大切な人ががんになることで、家族の人生も様変わりします。その人を支えるために家族が負わなければならない物理的、心理的な負担も並大抵のものではありません。ですので、家族は第二の患者と言われ、精神的な苦痛の程度は、患者本とも劣らないと言われています。

    ・人は「自分の悩みを誰かが理解してくれた」と思えたときに、苦しみが少し癒えるからです。
    ・人が悩みと向き合うカ(レジリエンス)を育むために、私は何をしたらもっとも効果的なのか。それは先ほど述べたとおり、その人が自分の悩みをより深く理解するために対話をすることと、大切なものを失ったことに対してきちんと悲しむための場を提供することです。

    ・病気と向き合う過程では様々な葛藤があり、一筋縄でいくものではないですが、一方で、多くの人は衝撃的な出来事に打ちのめされても、時間とともに柳のように立ち上がってくる力を持っているのです。さらに、苦難を経験することで、病気になる前とは異なる,新たな世界観を見つけていかれることです。心理学の領域では、このことを「心的外傷後成長」といいます。
    ・心的外傷後成長は、その人があるがままに病気と向き合うプロセスの中で、事前に生じるものなのです。

    ・突然のがん告知を受けると、それまでは当たり前であったこと、つまり「健康で平和な毎日が続く」と思っていた世界が突然変貌し、その人の目の前には様変わりした世界、つまり、様々な喪失や、死の予感を伴う現実が姿を現します。世界が様変わりしたことに対して、心理的な観点から2つの課題に取り組むことになります。
    ・ーつ目の課題は、「健康で平和な毎日が失われた」という喪失と向き合うことです。この喪失と向き合うという課題に取り組む際には、負の感情がとっても大切な役割を果たしますので、しっかり悲しんで、しっかり落ち込むことが必要です。
    ・2つ目の課題とは、「様変わりした現実をどう過ごしたら、そこに意味を見出せるのか」を考えることです。

    ・人間は、希少であるものに価値をおく習性があります。貴金属のゴールドも、そこらへんに転がっていたら、たれも見向きもしなくなるでしよう。同じように、時間が永遠に続くと錯覚していると一日を粗末にしてしまいがちですが、時間が限られているとすると、一日一日がとても貴重に思えてくるわけです。
    ・今日一日をすごせることが当たり前ではないことに気づき、感謝の念が湧くと、人は貴重な時間をどのように過ごすのかを一生懸命考えるようになります。人生においてほんとうに大切なことは何か、その優先順位を考え、生きがいについて深く考えるようになるのです。
    ・会社を退くような大きな決断は簡単にできるものではないし、衝動的に行ってしまうことは後悔につながることもあります。しかし、「いつかはやりたい」と思っていることがあったとしても、人生には期限があることを意識しないで「そのうちやればいいや」と先延ばしにしていると、結局実現しないまま終わってしまうこともあります。あなたのこころが「絶対にやりたい」と言っているものがあるのならば、どのような形でやれば実現できるのか、いつ始めたらよいのか、機会をしっかりとうかがって準備されることきお勧めします。

    ・ほんとうはつらいのに、弱い自分を見せることができないので、つらいと言えずに強がってしまう。ほんとうはわかってもらいたいのに、周囲の人に打ち明けられず、孤独になってしまう。つまり、あるがままの自分の気持ちを認めることができない方と言えます。それは、ほんとうは「OOをしたい」と思っていても、「そんなことをしてはけない」と強固にブレーキをかけようとする「もう一人の自分」がいるからです。
    ・レジリエンス外来では生い立ちから今に至るまでの自分の軌跡を振り返るので、もう一人の自分の勢いか強すぎる人、あるがままの気持ちを認めることができない人にとって、自分を理解するためのうってつけの場となります。
    ・「must」の自分のほうが主役になり、常に「弱音を吐いてはダメた」という声が「want」の自分を強烈に縛ってしまうようなあり方は、なかなか大変です。もしその努力により、たとえ社会的な成功を手に入れたとしても、「want」の自分が悲鳴を上げてしまい、こころの奥底には虚しさが漂ってしまうように思います。
    ・「want」の自分、ほんとうの自分が主役で生きていれば、少なくとも「自分はこれでよいのたろうか」という迷いはなくなるのではないかと思います。自分の「want」よりも、求められることに応えようと生きてきましたし、目の前のことに追われ、あっという間に時間が過ぎていく中で、強い虚しさを感じていました。自分の「want」に耳を傾け、「こころの奥底にある自分の気持さ」を大事にしようと思うようになったことにょり、虚しさは影をひそめるようになりました。

    ・「何のために今自分が生きているのかわからない」という大いなる虚しきを抱えていました。そして、その虚しさをなだめるために、「今は迷っていても、探し続ければどこかで充実した人生にたどり着けるのたろう」という将来への見通しに期待をこめ、やる気を失わず、私なりに生きる意味を探していたわけです。しかし、「もしかしたら自分は充実した人生にたどり着けず、生きていても何もいいこともないまま、人生が終わってしまうのではないか」という悲観的な考えが強くなっていきました。
    ・ばぜ私が当時虚しかったのか、それは「自分の気持ちに素直に、確固とした人生を歩んでいる」という実感がなかったからです。私の成長過程の中で、強烈な「must (=こうあるべき)」の自分が形作られました。内向的な性質もあり、「must」の自分の前に「want(=こうしたい)」の自分は叫び声をあげる勇気を失い、たとえやっと勇気を出して小さな声をあげたとしても、すぐに消し去られてしまうような状況にありました。
    ・内向的な私は反抗する勇気も持てなかったので、窮屈な状況を受け入れざるを得ず、すっかり「want」の自分は心の奥底に閉じ込められていったわけです。当時の私は、堂々として自分らしく生きているように見える人をうらやましく感じ、自信が持てない自分自身が嫌いでしょうがありませんでした。
    ・自分の軸がきちんとできていて、その場に合わせて建前を使い分けられるようになれば良いのですが、軸ができていないうちから空気を読もうとして生きているととても窮屈になり、苦しみます。

    ・死生観とはその人が持つ生死に対する考え方のことを指し、自分にとっての死を見据えたうえで生きることを考えていく中でだんだん形作られて行きます。
    ・「どうせ終わりが来るんたし、旅と捉えるのであれば、あまりくよくよと考えず思いっきりやればいいじゃないか」という開き直りのような感覚も芽生えました。
    ・「今日一日はいつ失われるかわからないものである」ということを心のどこかに留めておきながら、ともすれば日常生活の中で埋没してしまう毎日の様々な出会いや機会を、大切にしようと思うようになりました。そして、今日を大切に過ごすということは、今自分にとって心地よいことをするということでもあり、自分が何をしたいのか、ずっと押し込めていた自分の「Want」と向き合うきっかけになりました。

    ・100人の患者さんがいれば100通りの向き合い方があるわけですが、おおむね共通する要素がありました。他人からの評価に縛られていてもあまり幸せにはなれず、それよりも自分の気持ちに素直に従って生きても良いこと、自分にとって大切だと思う人との時間を優先すること、いまここにある時間を十二分に味わうこと、などです。
    ・行きたくもない会合に誘われたときや、やりたくない仕事を頼まれたときに、「断ったらその後孤立するかもしれないぞ」と、もうひとりの自分が出てくるかもしれません。もちろん、それらをすべて断ることは簡単ではないかもしれませんが、やりたくないことを引き受けることが積み重なれば人生を虚しくさせ、いきいきと生きるエネルギーを根こそぎ奪い、その結果としてうつ病にさえなってしまうリスクをはらんでいます。そんな犠牲を払ってでも行く価値がある会合なのか、引き受けなければならない仕事なのたろうか、ということを、「must」の声に盲目的に従う前に、きちんと吟味してみたらよいと思います。そして、徐々に「must」の声に反抗していったらいかがでしょうか。恐る恐る、ささやかなものからでよいのです。

    ・もし自分が今、窮屈たと感じていたら、もがいている心の声に耳を傾けることも大切です。悲しい自分は何を失ったと感じているのか、怒っている自分はどんなことに理不尽さを感じているのか。負の感情を押し込めるだけで我慢していては、喜怒哀楽の感情すべてが凍り付いてしまい、いきいきと生きることから遠ざかってしまいます。
    ・何かを判断するとき、「死」を意識しているか否かで答えが変わることは多々あるはすです。あなたの心が「絶対にやりたい」と言っているものがあっても、うかうかしていると実現しないまま人生が終わってしまうかもしれないからです。締め切りを意識しないまま先延ばしをすることは、実はそのことが実現しないという結果に一歩一歩近づいていることを肝に銘じましょう。そして、着実に準備されたらよいでしょう。
    ・私の場合は小さなところから自分の「want」を聴く練習を始めました。理屈ではなくて、その時に食ぺたいと思ったものを食べることで、少しだけ心は満足するように思います。そのほか、借りる映画のタイトルを決めずにレンタルショップに行って棚を眺め、心が動いたものを借りてみる、書店をぶらぶらして心がワクワクと反応した本を買ってみる。

    ・病気になるまでは、いろんな人に気を遣っていた人生だったなと。死ぬ時はひとりだと知っていると、周りを気にしていた自分って何なんだって心底思うんです。今起きていることはただの「普通」ではない。「普通」の連続が「幸せ」なんです。
    ・もし一年後に自分が病床に伏していると仮定したら、一年後の自分が今の自分を振り返る際に、今の自分をうらやみ、あれもしておけばよかった、これもしておけばよかったと後悔するかもしれません。「今日一日をこの様にすごせることは当たり前ではない」ということを意識することは、「今、ここにある自分」を大切に生きることにつながるでしょう。

  • 「がんで死ぬのは悪くない」という言葉が印象に残った。
    「死」と向き合い、受容することは困難なことではあるけれど、受容した先に「生」がより鮮やかになると知った。
    「死」をタブーのものとして、向き合うのを先延ばしにしている現状は変えていくべきだと思う。

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著者プロフィール

がん研究会有明病院・腫瘍精神科部長。精神科医・医学博士。1971年生まれ。金沢大学卒業。2003年、国立がんセンター東病院精神腫瘍科レジデント以降、一貫してがん患者およびその家族の診療を担当している。国立がん研究センター中央病院精神腫瘍科長を経て、現職。

「2022年 『がん患者のこころをささえる言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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