漫画人間とは何か? 自己啓発の劇薬 マーク・トウェインの教え

  • 文響社 (2022年2月3日発売)
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本 ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784866514611

作品紹介・あらすじ

100年前、匿名で出版するしかなかった名著は、生きづらさを抱える現代人に必要な劇薬だった!!

『トムソーヤの冒険』『ハックルベリーフィンの冒険』
世界的文豪マーク・トウイエンが匿名で遺した伝説の名著がついに漫画化 

「人間は機械である」だからこそ、自由に生きられる

東京大学教授・マーク・トウェイン協会理事の石原剛が監修
九州大学准教授 妹尾武治がコラムを執筆「AIと人間は何が違うのか?」
「サバイバル・ウェディング」「難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください」の大橋弘祐が企画・脚本
「嫌われる勇気」「僕は君たちに武器をくばりたい」の吉岡さんがブックデザイン

感想・レビュー・書評

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  • 漫画でわかりやすく、人間とは何かを解説している。トウェインの主張は、一貫した人間機械論である。人間を特別視する人間には、到底受け入れられない思想だと思う。

    これは人間は外的要因や情報をインプットして、あとは決められたアウトプットするだけの器に過ぎず、そこに自由意志などないというある種の過激な思想である。

    僕はAIの仕組みを学ぶたびに、人間もただの機械だと思うことがある。要するに大量のデータを与えれば、AIだろうが人間同様の思考はできる。倫理観も膨大な教師データがあれば、パターン化できる。その中から最も尤もらしい選択をするだけだ。その選択基準は、環境に依存する。

    人間の選択も機械のようなものと考えても、正直違和感はない。特に近年の生成AIの発展は、その思想を強める要因なのではないか。人間の仕事と思われてきた高度な仕事は、むしろAIで代替可能である。

    この人間機械論は、だから人間に意味などないというニヒリズム的な思想ではなく、人間讃歌であると感じた。誰かの成功や失敗などを特別視することもなく、あくまでそれは機械的にプログラムされた人間の結果でしかない。だからこそ、そんなものを奢ることも卑下する必要はないという、逆境からの幸福論に近いと僕は感じた。

  • 『トム・ソーヤーの冒険』でお馴染みのマーク・トウェインさんの原作である『人間とは何か』を漫画化したもの。
    九州大学准教授の妹尾武治さんの寄稿文が読める。妹尾さんは『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。心理学的決定論』という書籍を書いているお方。
    本書と併せて、読むことをお薦めする。妹尾さんの書籍の内容の一部は、本書の寄稿文でも知ることができる。最初に読んだ時には衝撃を受ける人もいるかと思う。ただ、同様の内容の書籍はいくつかあるので、気になる人は学びを深めることができる。
    さて、本書では著者の卓越した人間観察眼と哲学から、人間は設計図通りに環境からの刺激で反応する機械であるという考えを知ることができる。この主張に反論したくなる人もいるだろうが、果たして著者を論破できるのだろうか?それほどにも説得力ある主張になっている。科学的にも、マーク・トウェインさんの思想を補強する実験結果が示されたりしている。
    人間は機械だとしても、どう生きていけばよいかを考え行動できるのではないか?
    というのが、本書のテーマだ。漫画は気軽に読めて、初心者にとってとっつきやすいものだ。岩波文庫の『人間とは何か』も読んでみたいと思った。

  • 「人間は機械である」

    人間は自らの心をコントロールすることはできず、全て気質と環境により受けた影響に自動作用で働いているに過ぎない。
    他人を助けることはとても美しいことであるが、それも自己満足でしかない。
    人間は自らで何かをすることのできない無力な存在である。しかし、無力を自覚した時、人間は他者にも自分にも寛容になれる。

    現代においては、先人たちの発見により様々なものがより便利に変化している。そのため、環境も目まぐるしく変化していき、自動作用で生きづらさを感じるようになっている人も多くいると感じる。
    しかし、どうしようもない絶望であってもそれは環境からくる自動作用である。死にたくなったとしても、そのことを自覚していればまた違った選択ができるかもしれない。

    自己満足であったとしても自分の人生をより良くすることを大切にしていきたい。そう思える本であった。

  • 『とりあえず人間は機械』だということが書いてある。
    様々な角度から書いてある。
    そしてそれを理解できた時、自分は少し人間になれた気がした。


    以下全てメモ。







    人間は自らの承認を求めて動く単なる機械。
    設計どおり作用する。生まれた環境、外的要因、遺伝、生息地から作られた存在で、あるのは質の違いだけ。行動や思考は集積によって生み出された自動作用。

    事実として脳波は意志よりも先んじる。意志よりも先に脳。よって後付けの錯覚。外部からの刺激→意志でなく脳。機械と同じ。

    心理学的決定論。
    人間は環境に変化するカメレオン。
    自分で自分を変えることはできない、あくまで外的要因で。ただ気質を教育で抹消することはできない。

    人間は自己満足のためだけに行動する。

    人間は自らの心もコントロールできない、独立した機関。
    人間は経験したイメージを勝手に結合する機械、それがひらめきであり、発見である。よって人間が発明したものなどない。

    いまAIにできず、人間にできることとは?
    意識とは結局のところ情報の統合、生命の本質は情報。
    本能とは、昔は考えて行動してたことが遺伝的に受け継がれ習慣化し考えなくても体が動くもの。いわゆる石化した思考。

    動物や蟻も観察や推理もできる。人間は彼らより少し複雑な機械というだけ。

    金も宝石も悪評も地位も名声も、誰かが価値があると思っているから価値がある。誰も見向きもしなくなったら一文の価値もなくなる。

    人間は「わたし」が全てを支配している王のような存在だと思っている。しかし知性と感情は独立して動くし、心が悲しければ勝手に涙を流す。「わたし」とは至極あいまい。これを自動作用という。教育や環境から「知的プログラム」「道徳的プログラム」を設計している。「わたし」はその集合体。

    機械とは「設計どおり作用するもの」つまり人間は機械。
    良心は自己満足。反対に苦しむことも全て自分が悪いと背負い込むことも人間の驕り。

    そして無力だと感じれば他者に自分にも寛容になれる。
    気質。

    人類は数多の人間の影響や偶然の発見を機械的に取り込み自動で繋ぎ合わせ、この世界を創り上げてきた。
    心理学的決定論は弱者の救い。
    成功者も犯罪者も自由意志でなく、環境からの刺激を受け起こした行動の帰結の享受者でしかない。

  • 漫画だから読みやすかった。

    人間は機械であるという主張、その理由は
    ・満足したいという機械的な心だけで人間は動いている。家族の愛や社会的称賛や自己犠牲をする人も結局はそのひとが何を優先してるかが違うだけで自己満足の奴隷である。
    ・人間の心は自分でコントロールできていると思いがちだが、実は経験したイメージを勝手に結合するだけの機械である。
    ・「私」とは私が全てを支配してると思いがちだが、実際は教育気質や環境の外的要因からプログラムを設計する内なる主人の満足を満たす自動作用である。

    良心を持ってやったことも自動作用だが、逆に、苦しみや悲しみ、他人と比べたりプライドなども全ては自己満足であり設計通りに作用しているだけだと思えば他人にも自分にも寛容になれると言って最後を締めているのは救いがあるなと思った。

    つい先日読んだ種の起源と同じような主張をしてるることも興味深かった。種の起源では人間は遺伝子の奴隷、この本では自己満足の奴隷。

    時折で良いので、この考え方の引き出しを開けて世界を眺めてみることでより広い視点でモノを考えるできるのではないかと感じた。

  • 漫画だけでなく、所々挟まれている妹尾教授の解説もよかった。

    人間は意思決定に基づき、選択をしていると思いがちだが、実は身体が先で意識が後付けで動いているらしい。
    また、”自由意志”という考え自体が、ある種、作られた概念という話も面白かった。曰く、洋の東西を問わず、宗教は善いことをすれば天国に/悪いことをすれば地獄に行くと教えているが、それは社会秩序を保つ上で都合が良かったから。そして、その教えが成り立つには「人々は自由意志に基づき行動しており、行動の責任は行動した人にある」という前提が必要となる。そうして、ある種自由意志という概念が作られた。ただ、科学によって宗教の教えが弱められたように、自由意志も、その信憑性を科学が切り崩しつつあるという話だった。
    確かに、生まれた環境や遺伝によって人々は制約を受けており、ある状態に置かれている人の責任をその人の行動に全て帰することはできないという論調は高まっている。それが昨今の、ダイバーシティの流れにも繋がっている気がした。

  • 【自由意志などない。人間とは機械である。それは自分に全て責任がある訳でもなく、この先であなたを大事にする人が待っているということでもある】

    表紙に一目惚れし、ようやく読み切れました。
    まず漫画なのですらすら読める。
    厚さはありますが、絵も字も大きく、作品内では一貫して「人間は機械である」ことの根拠を示していきます。

    しかし、機械である=自由意志などない、全て決まっているからといって、ただ受動的に過ごせということではありませんでした。

    自分が弱いことも,至らなかったことも、全ては自分たちが機械であるがゆえ。
    だからこそそれを片隅において、全てが自己責任ではない、その先で、必ず幸せになれることが決まっていると捉えられるのです。

    自分がいなくなりたい、自分なんて何もできていやしない,と思った時に読み返して、「全部が自分でどうこうできるわけじゃないよな」と思い直したいと感じました。
    読めてよかった!

  • 人間は機械である
    発想にびっくりした
    環境で人間はきまっており修練で磨くことはできる
    全ては自動化されており決まっていると。

    ネガティヴなようでそうではない
    より一層環境や、学習は大事であると思った

    機械、決まっていることでもあるので、
    必要以上に落胆、落ち込む必要もないということ
    おもしろかった

  • 人間は機械だ
    生まれ持った気質と環境などの外的な要因によって行動が左右される
    そしてすべての行動は自己満足

  • 「生きるとは何か」と考え、訳がわからない状況になっている私にとって、過去も未来も色々な要因で決まっている、人間は機械であるという考えは案外腑に落ちた。

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著者プロフィール

Tsuyoshi Ishihara

東京大学大学院総合文化研究科准教授。
日本航空機操縦士協会会員、FAA・JCAB自家用操縦士。

テキサス大学オースティン校アメリカ研究科博士課程修了。
Ph.D. アメリカ文学・アメリカ文化専攻。

著書に
『マーク・トウェインと日本──変貌するアメリカの象徴』(彩流社、2008年)、
『マーク・トウェイン──人生の羅針盤、弱さを引き受ける勇気
NHKカルチャーラジオ 文学の世界』(NHK出版、2016年)、
Mark Twain in Japan: The Cultural Reception of an American Icon
(ミズーリ大学出版、2005年)、
共著に
『マーク・トウェイン文学/文化事典』(共編著、彩流社、2010年)、
『アメリカ研究の理論と実践──
多民族社会における文化のポリティクス』(世界思想社、2007年)、
『マーク・トウェイン研究と批評 第6号』
(日本マーク・トウェイン協会 編、南雲堂、2007年05月)ほか。

「2019年 『空とアメリカ文学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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