「ケータイ・ネット人間」の精神分析―少年も大人も引きこもりの時代

著者 :
  • 飛鳥新社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784870314467

感想・レビュー・書評

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  • ITの進化によって、今までにない事件が起こる事についての、精神分析からの視点を論じた本。

    目次
    <blockquote>第1章 仮想現実と現実、二つの世界の使い分け―出るときが危ない、ネットへの引きこもり
    第2章 遊びが狂になる時代―リアリティ(現実感)の逆転
    第3章 仮想現実が「現実」になる―操作人間と「一・五」の世界
    第4章 心の中の「内的な引きこもり」―やさしさの裏に潜む、自己中心的な破壊性
    第5章 自己愛への引きこもり―等身大の自分になれば脱出できる
    第6章 やりたいことがわからない時代―モラトリアムが現実に
    第7章 引きこもる女性たち―スーパーウーマン挫折症候群
    第8章 父親なき自己愛家族―楽園がやがて地獄に</blockquote>
    メンヘラ・ニート・リスカ……昔なら引きこもりにパラサイト・シングル、フリーター。言葉はいつでも変わるのだけど、これらの言葉は精神的に問題があるのか社会的に問題があるのか、それは現状どうにも言えないのですが、おそらく21世紀になって一番の問題がここにあると思います。
    その背後にはどうしたって以前には無かったITというものの社会の変化があることは誰もがわかっていることですが、著者はちょうどその21世紀の直前に、黎明期のネット(とはいっても誰も知らないといった訳でなく、ある程度は認識があるわけですが)から、社会問題化した少年犯罪(2000年当時)を原点に、精神分析の視点から、何が問題なのかを論じています。

    <blockquote>これまで人間の心を構造化し、現実と出会う心の動きを心の動きたらしめていた秩序や境界が曖昧になった。そこにネット社会の私たちの心の危うさがある。手段が目的になり、実物を代理する記号のほうが実物よりもリアリティを持つ。
    </blockquote>
    どうしてもこういう犯罪を精神的な面からアプローチすると、極論・反論・感情論がどこからともなく沸いてきて、決着の付かないことが多いのですが、ネットという仮想社会とケータイなどで深く結びついた自分たちの生活は、以前はそうであったルールが崩壊する事によってある意味でつながりが変わったところがあります。

    そうすると、以前には無かったつながりは、それ自体がトラブルを呼ぶ。失敗の前例がないから、誰でも簡単にやってしまうミスがある。深くつながる事が当たり前だったのに、羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くように、つながりを薄くしてしまう。
    本書では「山アラシのジレンマ」を引き合いに出して論理を展開させている。

    <blockquote>山アラシのジレンマに傷つきすぎると、次第に私たちは人嫌いになっていく。かかわりを持つのが傷つけあいの始まりだ。それなら、かかわりそのものを避けるのが安全。お互いに自分の殻に引きこもり、表層的な付き合いしか持つまいとする。その結果としてシゾイド人間心理が広がった。
    シゾイド性格者とは、山アラシのジレンマを恐れ、相手にのみこまれたり、傷つけられることに不安を感じる性格の持ち主のことであるが、その結果、彼らは人との間にはいつも隔たりを置こうとする。もし隔たりが失われると不安になり、人が自分に侵入してくるように感じる。
    したがって、冷たく、やさしく、表層的な人間関係しか持たない。
    </blockquote>
    長いなー……。まあ、所詮馴れ合いなんですよ。そこまでしか関係を結べない。
    そういう関係になるには、もう1つの柱がある。「自己愛」だ。

    <blockquote>現代の人と人とのかかわりには、自分の自己愛をみたす手段、道具としてのみその人に価値があり、その人とかかわるような世界がある。
    (中略)
    この自己愛人間社会では、人と人とのかかわりは自己愛的なものであり、何かを一生懸命にやるのもすべてこの自己愛の満足を源泉にしている。衣食住がみたされて、食欲も性欲も満たされるような社会では、唯一、私たちの心に活力を与えるのは自己愛の満足追求である。
    </blockquote>
    そして、社会はそれを容認している節がある。
    社会的弱者に対し、モラトリアム(責任の支払い猶予的な意味)を提供する社会福祉のシステムがあるから。

    <blockquote>モラトリアム人間社会は、一種の心理的不良債権をどんどん抱え込む社会になってしまった事を意味する。そして、義務・責任の支払いに苦労するよりも、むしろ不良債権の放棄を社会にお願いすることで生き延びていくほうがずっと楽な生き方だ、という心性をいつの間にか誰もが共有するようになった。そして、モラトリアムを提供される人々は永久にその返済を要求されない人々になってしまった。
    </blockquote>
    要はフリーライダー、もらい逃げである。
    もらったもの勝ちなんだから、自分が弱者であるならば、権利を主張して利得を得て、もらったら逃げればいいわけだ。
    ん……なんか昨今のモンスターなんちゃらとかと通じる点があるね。

    そんな状態だから、仮にモラトリアムを提供する側が限界に達したとき、その関係は破綻する。
    それが結局、家族間のトラブルの原因だということだ。

    他にも幾つかの点からトラブルの原因を語っている。
    これは家族・社会の変化という環境的な面が、どれほど心理的に影響するかということを証明してるような気がする。
    もちろん著者の論理ではあるから、一面的な論理だと反論する事はできるけれど。

    しかし、今までは手間であってもしっかりやってたり、強く出れた事が、なんだかんだと制約やルールが増えたことが、本来であれば指導的な立場を担っていたはずの人が、技術の進化と相まって何もできずに居ることで問題が拡大されてしまっているという論理は、確かにそうであるような気がしないでもない。
    どちらにしても、すでにITは隣にあって、排除する事ができないほどになっている。<b>ケータイを持たない生活が考えられないのであれば、同時にケータイがあることによって変わった世界を受け入れなければならないのかもしれない</b>。
    それは、いままでずっと正しい事だと思われていた価値観が常に通じない世界であり、その都度、試行錯誤の上に新しい価値観を作り・受け入れなければならないという事だと思う。
    かなり深く考えさせられる本だと思う。

    だから、この本はかなりの名著。絶版らしいが、図書館などで是非借りて読むべき。
    関連書籍も合わせて読むと、ネットのある世界の価値観はそれとなくわかるんじゃないだろうか?


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著者プロフィール

1930年東京府生まれ。日本の医学者・精神科医、精神分析家。学位は、医学博士。1954年慶應義塾大学医学部卒業。1960年「自由連想法の研究」で医学博士の学位を取得。慶應義塾大学環境情報学部教授、東京国際大学教授を歴任。フロイト研究や阿闍世コンプレックス研究、家族精神医学の分野では日本の第一人者である。著書はいずれも平易な記述であり、難解な精神分析理論を専門家のみならず広く一般に紹介した功績は大きい。2003年没。主な著書は『精神分析ノート』(日本教文社,1964年)、『モラトリアム人間の時代』(中央公論社、1978年)、『フロイトとの出会い―自己確認への道―』(人文書院、1978年)など。

「2024年 『フロイト著作集第7巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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