想像の共同体 増補: ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784871885164

作品紹介・あらすじ

国民国家分析に新地平を拓き、いまやナショナリズム研究の新古典となった第一版にさらに二章を加えた待望の増補版翻訳完成。

感想・レビュー・書評

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  • 国民とは、近代国家の誕生に合わせて作られた想像の共同体である、
    とことが本書のタイトルです。
    筆者は中国生まれのイギリス人でインドネシア研究者であり、ナショナリズム研究の古典本とされています。
    国民という概念がどのように成り立ったのか、歴史など様々な観点から
    論述されていて具体例が多く、
    世界史に詳しい方、地域や民族について研究されている方など
    様々な分野の方が参考になる内容だと思います。
    時が経っても内容が古臭いと感じることは少ないでしょう。


    ナショナリズムは出版語により確率されていったという定義は、
    確かに明治以降の日本にも当てはまるのかもしれません。
    ただ現代の日本では、ナショナリズムという言葉は歪められており、
    ネガティブな印象があるように思います。


    ごく個人的には、ナショナリズムが近代、宗教の代わりであるというのは、
    少なくとも日本においては違うのではないかなと思います。
    元々日本は外国と違って宗教に対してゆるい付き合いをしていますし、
    現代でも無宗教と言いつつ初詣は神社に行き、葬式は火葬し、
    信心がなくてもお地蔵様を蹴るようなことは大抵の人はできないものですが、
    これはナショナリズムがあるからなのでしょうか。


    日本の場合は現人神という考え方があるわけで、
    それがナショナリズムに通ずると判断する向きにはそうなのかもしれません。
    神話と国の成り立ちがそもそも近しいものであり、
    それが近代の一部の人の『ナショナリズム』によって、
    面倒な主義主張に変化させられ、神話自体が穢されている印象はあります。


    自分は日本人だ、と強く思うためには世界との比較が必要になります。
    そもそも、明治政府が成り立つまで、国というのは藩のことでした。
    藩という小さい単位だったのか、日本列島という単位になっただけで、
    出版語に拠る以前から藩という単位での”ナショナリズム”があった訳です。
    ナショナリズムは国旗や国家に代表されるものではなく、
    本来動物の本能として、自分を守る為に所属を求めるものではないのでしょうか。
    個人ではなく家族、家、藩、どんどん枠組みを大きくしていけば
    国に辿り着きますが、そこで終わりではなく
    宇宙という”外”と比較した場合は地球人という枠組みになります。


    肌の色で差別する感覚は恐らく大抵の日本人には
    理解しがたいものではないかと思います。
    意思の疎通が出来るかどうかの方が重要であり、
    たとえ意思疎通が出来なくとも、危害を加えられなければ
    基本的にはこちらから加害するようなことはありません。


    民族意識、同胞意識というのは、国民という言葉とイコールなのでしょうか。
    顔も知らない日本人の戦没者の慰霊碑の前で祈ることができるのは、ナショナリズムなのでしょうか。

  • ナショナリズムを考える時には、これらを実体としてとらえずに、国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体であるとしてとらえるべきだと考え、そのために、古今東西のさまざまな国家の分析から、このことを証明している本である。

    とはいうものの、有名でありながらも中身は濃いので、[ナショナリズムの名著50冊」などを脇において、自分の読みが間違えていないか確認して読み進めた。

    宗教、国家、言語、印刷技術、帝国主義などいろいろな考えはあれど、先の想像の共同体であるとの例証になっている。結論を分かった上で、いろいろな例証を読んでみると、難解だが読めないことはないと思う。

  • 国民国家がどのようにして生まれてきたのか、を分析した、説明不要の古典です。

    しかしまさか、小説の書かれ方にまで言及して「国民」意識の出現を見ていくとは、予想以上の突っ込み方でした。

  • どこからか湧き上がるナショナリズムの源泉を人々の想像に求める。そして人々はいかにしてナショナリズムを想像できるようになったのか、印刷技術の発展などから探っていく。「公定ナショナリズム」について、あくまで民衆の想像の共同体に対する応戦にすぎない、って考えなんかは目新しいと感じた。

  •  国家が想像の共同体であることを仮定とし、クレオール文化はじめ、世界史の検証によってそれを明らかにする書物。
     もともと中世は王や宗教主導の共同体だった。しかし、出版資本主義の台頭によって民衆のリテラシーが高まり、それが崩壊していく(特に話し言葉から書き言葉への軸の変化)。そこで公定ナショナリズムが表れる。これは民衆と王ないし貴族を皇帝主義(ロシアやドイツ、日本のような体制)によって統合するというもの。だが、それも限界になり、植民地ナショナリズムへと変わっていく。これは本土の人間の方が、植民地の人間よりその本土らしいということを強調するためのシステム。このように、ナショナリズムは時代によって想像されていった。
     今日、日本では「外人が来たら日本人らしさが失われる」という差別主義が生まれている。同時にそれが「誤ったナショナリズム」に結びつこうとしている。しかし、本来、ナショナリズムは「社会をつなぐ接着剤」であると同時に「偏見を乗り越え未来の行動を生むもの」である。本来のナショナリズムにいかに近づいていくか?

  • 国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体であるーそしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なもの[最高の意思決定主体]として想像されると。p24

    ドブレ「しかし、わたしがフランス人に生まれたのはまったくの偶然である。されどフランスは不滅である」p34

    出版資本主義(プリント・キャピタリズム)こそ、ますます多くの人々が、まったく新しいやり方で、みずからについて考え、かつ自己と他者を関係づけることを可能にしたのである。p64

    人間の言語的多様性の宿命性、ここに資本主義と印刷技術が収斂することにより、新しい形の想像の共同体の可能性が創出された。これが、その基本的形態において、近代国民登場の舞台を準備した。p86

    経済的利害、自由主義、啓蒙主義などは、視野の中心にある憧憬ないし嫌悪の対象に対立するものとしての新しい意識のフレームワークーほとんど意識されないでいながら、その視野を規定し、それを通して我々がみる眼鏡のフレームーを提供するものではなかった。この特定の任務の達成のために、遍歴のクレオール役人と地方のクレオール印刷業者は、決定的な歴史的役割を演じたのである。p111

    【19世紀ヨーロッパ・ナショナリズムの胚胎】
    ホブズボーム「学校と特に大学がナショナリズムの最も自覚的な戦士となるにつれ、学校と大学の進歩がナショナリズム進歩の物差しとなる」p125

    19世紀を特徴づける読み書き能力、商業、産業、コミュニケーション、国家機構の全般的成長は、それぞれの王朝において、俗語による言語統一への強力で新しい推進力を生み出した。p132

    【公定ナショナリズム】
    これを理解するには、それが、とりわけ中世以来集積されてきた広大な多言語領土において、帰化と王朝権力の維持とを組み合わせる方策、別の言い方をすれば、ネーションのぴっちりとひきしまった皮膚を引きのばしてエンパイアの巨大な身体を覆ってしまおうとする策略である、とするのがもっともわかりやすい。p147
    Cf. 帝政ロシア化

    出版物を読みまた書くこと、これによって、すでに述べたように、想像の共同体は均質で空虚な時間の中を漂っていくことが可能となったのだった。二つの言語を使いこなすということは、すなわち、ヨーロッパ国家語を経由して、もっとも広い意味での近代西欧化、とくに十九世紀に世界の他の地域で生み出されたナショナリズム、国民、国民国家のモデルを手に入れることができるということであった。p192

    主としてアジア、アフリカの植民地に打ちよせたナショナリズムの「最後の波」は、産業資本主義の偉業によってはじめて可能となった新しい型の地球的帝国主義への反応として発生したものであった。p217
    資本主義はまた、印刷出版の普及その他によって、ヨーロッパにおいては俗語にもとづく民衆的ナショナリズムの創造を助け、そしてこうした民衆的ナショナリズムは、その程度はさまざまであれ、伝来の王朝原理を掘り崩し、可能なかぎり王朝を国民へと帰化するよう駆りたててもいった。
    ついて公定ナショナリズムー新しい国民的原理と古い王朝原理の溶接ーは、便宜上「ロシア化」とも呼びうるものを、ヨーロッパ外の植民地にもたらした。
    ある特定の教育的巡礼と行政的巡礼の組み合わせ、これが新しい「想像の共同体」に領土的基盤を提供し、そしてこの想像の共同体のなかで、「土民(ネイティブズ)」は自分たちを「同国人(ナショナルズ)」と見なすことができるようになった。p218
    資本主義が、物理的、知的コミュニケーションの手段を加速度的に変えていくにつれ、インテリゲンチアは、想像の共同体を宣布するにあたり、文盲の大衆に対してばかりでなく、異なる言葉を読む識字者大衆に対してすら、出版を迂回する方法を見出すようになったのである。p219

    恋する者の目ー彼または彼女が生まれもつあの特定のふつうの目ー、これにあたるのが愛国者にとっての言語ーいかなる歴史の経緯によってか、彼または彼女の母親となった言語ーである。母の膝の上で出会い墓場にて別れるまで、その言語を通して過去が蘇り同胞愛が想像されそして未来が夢みられる。p250

    【地図とは】
    トンチャイ「ほとんどすべてのコミュニケーション理論と常識からすれば、地図は現実の科学的抽象である。地図はすでに「そこに」客観的に存在するものを表示する。わたしの描いた歴史においては、この関係が逆転された。地図が空間的現実のまえにあったのであって、その逆ではなかった。別言すれば、地図はそれが表示すると称するものを生みだすためのモデルであって、現にそこにある空間的現実のモデルではなかった。[中略]それは地表に平面図を具体化する現実的手段だった。地図はいまや新しい行政の機構とその主張を支援する軍隊にとって必要なものとなった。[中略]マッピングの言説はひとつのパラダイムであり、このパラダイムのなかで行政が実施され軍事行動がとられ、またそれがパラダイムに役立つことにもなった」p287-288

    【人口調査、地図、博物館】
    人口調査、地図、博物館は、こうして、相互に連関することにより、後期植民地国家がその領域について考える、その考え方を照らしだす。この考え方の縦糸をなしているのは、すべてをトータルに捉え分類するグリッドであり、これは果てしない融通さをもって、国家が現に支配しているか、支配することを考えているものすべて、つまり、住民、地域、宗教、言語、産物、遺跡、等々に適用できる。p299

    ロゴは、それが空っぽであること、なんのコンテクストもないこと、視覚的に記憶されること、あらゆる方向に無限に複製可能であることによって、人口調査と地図、縦糸と横糸を消しようもなく交わらせたのである。p301

  • 金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=18338

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BA30661865

  • ナショナリズム研究の古典ともいえる作品。
    ナショナリズムは活版資本主義ともいえるメディアが大きな役割を果たしたと主張

  • 東大京大教授が薦めるリスト100選抜

    No.100

  • 今月の16冊目。今年の70冊目。学術書。

    はっきし言って全然何言ってるのかわかりませんでした。ただ有名な本なのでね、まぁ今更ながら、読んでみましたけど・・・。いやー、ほんと自分の勉強不足が露呈しました。ナショナリズムって難しい。もっとナショナリズムの本を読まないと、だめなんでしょうけどね。まぁあんまり興味もないとこだからな・・・。機会があったら、また読みます。多分。

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