奇跡の泉ルルドへ (気球の本)

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  • NTT出版
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レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784871886116

感想・レビュー・書評

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  • 病人がルルドに行きたいと言い出したら、医者には止める権利などないんですよ、と、ため息をつきながら語るフランスの医師…というエピソードに、感服しました。日本人が四国巡礼に行きたいと言い出すようなものでしょうか。
    90年代の作ですが、日本語で読める現代のレポートが少ない中で、ルルドの歴史、風土的要素から比較的最近の事情まで垣間見ることができる1冊でした。

  • "La Naissance d'un Mythe - le pelerinage en quete de sens" わたし自身がルルドへ行ったのは、もうずいぶん前のことだ。仏教系の新興宗教に入信したばかりだった友人と、イランの詩を研究しているために心情的にはイスラムだった友人と、「カトリック神学ファン」のわたし、そしてそんな中でにわかに「そういえばうちの宗教は神道だったよ!」と唐突に妙な宗教的アイデンティティーを確立した感のあった妹、という顔ぶれだった。

    グルニエが描いたそのままに、本当にあらゆる実存を肯定したくなるようなプロヴァンスでの1週間のあと、その足でピレネーの寒村に向かったのも悪かったのだと思う。また「これだけの人が集まる場所だから、きっと英語は公用語扱いだろう」と思いこんでいた私もいけなかった。そして4人のメンバーがお互いにあまりに違う宗教的なバックグラウンドを抱えていたために、プロヴァンスでの「かわいいカフェがある~、やーん、すごくフランスっぽいお菓子だ~」という20代の女の子たちが絶対に共有できる一連のノリから一気に、何となくお互いに対して自分が関わりのある宗教を擁護しなければならないような気持ちになったのもよくなかった。

    8月だったというのに、ルルドは本当に寒くて、暗くて、なんだか惨めな気持ちにさせられる場所だった。さすがにヨーロッパ随一の巡礼値だけあって、あのプロヴァンスブーム到来前のエクスなどに比べれば、格段に国際的な雰囲気を持つ場所だったけれど、他のあらゆる言語が話されているように思われるのに、英語だけは細かいニュアンスを伝えられる人に全く出会わなかった。その当時のわたしは、英語というのはまさにこのようにさまざまな国の人々が集まる場所で一定のアイデンティティーを誇示するための唯一のツールだと思っていて、これさえ持っていればありとあらゆる場所へのアクセスが確約されるものだと勘違いしていた。それがルルドで「誰も話さない北の地方の方言」扱いされたことはとてもショックで、初日からそれでかなり憂鬱な苛立ちを抱え込むことになってしまった。

    この当時のわたしの日記には、何よりもそのことを最初に書いていた。

    「つくづく英語だけじゃ全然ダメだと思い知る。それにフランス語をつけてもまだ足りない。この小さな村は本当に国際的、氾ヨーロッパ的だ。アジアはあまりなじまないし、アメリカも全く無視されている。私は世界のこういう面をこの二十数年全く見たことがなかったのだ。

    夕刻より、トーチライト・プロセッション(ろうそくの行進)が始まる。何百という人々が手に手にろうそくを持って、それぞれの母国語で「サンタ・マリア」を歌いながら中央大聖堂の前に集まるのだが、その大聖堂は美しいことに、そして当然のように、オープンエアである。「Pour une Monde Solitaire」の大段幕が掲げられている。年老いた人々が、自分よりもっとずっと古いもの、もっとずっと苦しんだものを誉め讃えようとして集まっている。私の後ろにいた少女が、クレドをすばらしく通る声で歌い始めた。他の人たちとハーモニーになるよう、違うパートを歌っている。それぞれが違う母国語で歌うのだが、クレドはひとつ。バチカンがラテン語ミサを終えたのがなんとも惜しく感じる。そうでなければ私たちみなが共通の言語を持てていたのに。

     ミサは多くの言語で行われる。なじみのないものもある。フランス語、ラテン語、イタリア語(ここにはイタリア人が多い。イタリア語が他の言語を圧している)、ドイツ語、スペイン語(神父の声がステキだった)、オランダ語、ポーランド語、リトアニア語、ラトヴィア語、ヴェトナム語、中国語など、他にもたくさんの言語で執り行われた。しかしクレドだけは、みなひとつの言葉で歌う。

    わたしたちはそれぞれ勝手な母国語を話しながら、周りの人たちとろうそくの火を分かちあう。なぜこんなに長い間、人々は聖母を誉め讃えるためにここに集まってきたのだろう。なぜ病人が、老人が、聖母を「賛美」できるのだろう?彼らは神への絶対的な信仰を示すために両手を高くかかげる。「怒り」や「不満」ならわかるものの、「賛美」とは・・・?現実では、車椅子に乗っている人たちがミサを最前列から見られることもあれば、何も見られないこともある。老夫婦の持ったろうそくを包んだ紙が燃え上がり、あわてて踏みつけなければならなくなる。周りからすぐにたくさんのろうそくが手渡されはしたけれど・・」

    竹下節子のこの本では、ルルドの「歴史」と「現実」が、彼女一流の合理性をもとに描き出されている。カトリック信徒でない人こそが楽しめる内容。そして(彼女の他の本と同様に)読み終えるとなぜか信仰を持ってしまいそうなとても危うい地点に立たされていることに気がついて愕然とするだろう。

  • 「聖女の条件」の著者、竹下節子の1996年の著作。やや古いが、聖母マリアの御出現や、奇跡の泉で知られる、カトリックの聖地ルルドについて、歴史的な側面や、様々な検証を経て認定された、奇跡の治癒例、そして一大巡礼地となった聖地に集う人々を紹介しており、参考になった。なんだか、実際にゆかずとも、その聖地の雰囲気に触れ、癒される。
    著者は決して神秘家などではなく、非キリスト者からの冷静な視点を保ちつつ(テーマパーク化しているなどの見方)も、宗教に囚われない立場で、無償の奉仕と数々の出会いによって、ルルドの奇跡は現代の多くの人々の心を癒すのだと結論づけている。

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プロフィール

東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。同博士課程、パリ大学比較文学博士課程を経て、高等研究所でカトリック史、エゾテリズム史を修める。比較文化史家・バロック音楽奏者。主な著書に、『ジャンヌ・ダルク――超異端の聖女』(講談社現代新書)、『聖母マリア―― からへ』『知の教科書 キリスト教』(以上、講談社選書メチエ)、『キリスト教の真実――西洋近代をもたらした宗教思想』(ちくま新書)、『無神論――二千年の混沌と相克を超えて』『ユダ――烙印された負の符号の心性史』(中央公論新社)他多数。

竹下節子の作品

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