トンデモ本の世界S

著者 :
  • 太田出版
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784872338485

感想・レビュー・書評

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  • この後書き、「目に飛び込んだウロコの話」はまだ覚えている。感動したな。

    日本SF界の重鎮、故・星新一氏の名言のひとつに、僕が座右の銘としている言葉がある。「目のウロコが落ちたのと、飛び込んだのとではどこで見分けるんだ?」

     もう十年も前になるが、ある原稿でこの言葉を引用した際、原典が手元になく、時間も足りなかったので、やむなく記憶に頼って不正確な引用をしてしまった。その後、気になったので、星氏の発言のソースを探し出した。
     それは『SFマガジン』一九六八年二月号の「新春SF放談会 SF人がこう評価する」という座談会でのこと。出席者は星氏のほかに、大伴昌司・小松左京・筒井康隆・手塚治虫・半村良・平井和正・福島正美・眉村卓・南山弘‥‥といったそうそうたる面々。
     その座談会の中で、奇現象研究家として名高い斎藤守弘氏が「最近のSFには発見性がない」と批判した。「普通の小説にはどんなつまらないものを読んでも、確かに発見性がある」「今の世の中は発見だらけなんだ。みんなには、目のウロコみたいなのがあって、それを見出せないんだよ」と。
     ところが、その「発見性」なるものが何を指すのか、他の出席者には理解できない。「センス・オブ・ワンダーということですか?」(豊田有恒)、「文学精神のこと言ってるわけ?」(筒井康隆)、「インスピレーションでもない?」(手塚治虫)、「クリエイティブということじゃないの?」(石川喬二)、などと寄ってたかって問い質すのだが、斎藤氏はどれも否定する。ところが、説明を要求しても、斎藤氏自身にも「発見性」とは何なのか具体的に説明できない。「禅問答だなまるで」という平井和正氏。
     作品名を一つ挙げてくれと言われた斎藤氏、「誤解を招くかもしれないけれど、石原慎太郎なんかそうです」「あれは当時の文学のパターンを破った――人間の見方をね」と言う。たちまち、「慎太郎なんて新しいんじゃなく繰り返しだよ」(矢野徹)、「あんなものは当時の文壇にとって新しかったんであって文学としては別に新しかったんじゃない」(眉村卓)などと、集中砲火を食らう。
     そこで星氏のこんな発言。
     「目のウロコが落ちたのと、飛び込んだのとはどこで見分けるんだ?本人は落ちて新しいものが見え出したと思ってるけど、実は飛び込んだから見えだしたんだ(笑)」
     斎藤氏はなおも反論するのだが、これはどう見ても斎藤氏に分が悪い。彼は昔からあるものを新しい概念だと勘違いして「発見性」と名付け、他の者にそれが見えないのは目にウロコがあるからだと思っているのだ。

     そもそも、「目からウロコが落ちる」というのは聖書の言葉である。『使徒言行録』九章、キリスト教徒を迫害していたサウロが、天からの光とともに、「なぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聞き、とたんに目が見えなくなる。彼の家に、やはりイエスの声に導かれたアナニアがやってきて、サウロの上に手を置く。すると、目からウロコのようなものが落ちてサウロはまた目が見えるようになる。彼は改心して洗礼を受ける。
     だから、何かの宗教に入信した人が「目からウロコが落ちた」というのは、用法としては正しいのである。しかし、僕みたいな無神論者は、ついつい星氏と同じことを言いたくなってしまう。「それって、本当はウロコが飛び込んだんじゃないの?」と。
     ウロコとは、心の目にかかった偏見のフィルターである。フィルターがなくなれば、世界がよりクリヤーに見えると思われるかもしれない。それは逆だ。このフィルターは自分に都合の悪い情報をシャットアウトする働きがある。だから目にウロコが飛び込んだ者は、不都合なことが目に入らなくなり、世界が単純明快に見える。「目からウロコが落ちた」と勘違いしてしまうのだ。
     一例を挙げるなら、「唯物論や進化論は人間を堕落させる」と主張する人たちがいる。神や霊が存在することや、人間が神に創造されたことを子供に教えれば、神を崇める心が生まれ、人は犯罪に走るはずがない、と言うのだ。
     しかし歴史を見れば、人類は唯物論も進化論もない時代から、戦争・大量虐殺・拷問・虐待・人身売買・弾圧などなど、数え切れないほどの愚行・悪行を犯してきたのは明白である。宗教が原因で起きた戦争や虐殺事件やテロもたくさんある。むしろ昔の人間の方が今よりはるかに残酷で、モラルも低かった。人権意識が向上し、そうした行為が禁止されるようになってきたのは、むしろ唯物論や進化論が台頭してきた十九世紀以降である。それなのに、彼らはその事実を都合よく無視する。
     「化学物質は危険」「天然のものは安全」という信仰も、やはりウロコである。自然界にも毒物は多数存在するし、人工物質にも無害なものはたくさんある。そもそも「化学物質」という言葉を天然物質の反対語として使うのが間違いである。自然界に存在する物質も(単体の元素から構成されたもの以外は)すべて化学物質であり、化学物質を使用しない生活など絶対不可能なのだ。
     こうした「○○が諸悪の根源である」という考えは、大抵ウロコであり、間違っている。世の中の複雑な構造を、そんな短い文章で要約できるわけがない。単純に図式化すれば分かりやすくはなるだろうが、正しくはない。それが正しいように見えるのは、図式に合わない事実をフィルターが切り捨てているからだ。
     おそらく「フリーメーソンの陰謀」とか「相対性理論は間違っている」といったトンデモ説も、同じ心理、――「世界は単純なものであるはずだ」という誤った信念に根ざしているのだろう。「世界がこんなに混乱しているのは、どこかにすべてを操る悪玉がいるからだ」とか「相対性理論のような難解なものが宇宙の真理であるはずがない」というわけだ。
     いいかげん、こんな幻想は捨てよう。世界は複雑である。ちっぽけな人間の頭では到底把握できないほどにややこしく広大なのである。正解が存在しない問題だってたくさんある。それに単純な正解を出そうとするのは間違った行為なのだ。
     「ウロコが落ちた」と思ったときが危ないのだ。

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  • トンデモ本とは『著者の意図したものとは異なる視点から読んで楽しめる本』のこと。
    著者はバリバリ本気なのだけれど、どう読んでも的外れな解説であったり、思い込みの激しい解釈でしかなかったり。そんな素晴らしき才能を持った怪本の数々が紹介されています。大いに笑って大いに絶賛。私はトンデモ小説の項が一番好きです。お腹を抱えて笑える、極めつけ・超娯楽本!

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著者プロフィール

1992年に結成された趣味人の集まり。現在の会員数は120名。
「著者は大マジメなのに、常識からするとギャグとしか思えない本」「作者の意図とは別の意味で楽しめる本」を、「トンデモ本」と名付け、各自のトンデモ本コレクションを持ち寄って楽しむことから活動を開始。活動の成果をまとめた『トンデモ本の世界』(洋泉社、1995年)がベストセラーとなり、「トンデモ」という言葉が広まるきっかけをつくった。

「2011年 『トンデモ本の世界 X』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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