縮図・インコ道理教

著者 :
  • 太田出版
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本棚登録 : 34
感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784872339741

作品紹介・あらすじ

10年前の「あの事件」を背景に、哄笑と衝撃をはらみつつ、描き切られた「この国の闇」。この研ぎ澄まされた文章のナイフは、どこまで僕らを連れて行くのか?2005年の日本を見据え、『神聖喜劇』の巨匠が送り込む最新の戦慄。

感想・レビュー・書評

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  • 斬新で鮮烈、巨人さんがもうこの世にいないなんて信じたくない。まだまだ戦ってほしかった、と喪失感を新たした次第。天皇制、死刑制度、戦争、テロリズム、改憲問題に修正マルクス主義…もちろん文学論も含めて大西巨人のエッセンスがギュッと詰まっている。このブレなさ、頑固さ、かっこよさ。もともとのタイトル『「皇国」の縮図・インコ道理教』で大凡の内容をイメージできるだろう。それでは説明的で曲もないと上の部分を省いてしまったらしいが。奇態な結構の小説ながら既作品の中でも圧倒的に読みやすく、大西巨人手つかずの方へおススめ。

  • ネットで公開されているPDF版で読破。嫌●流というのが流行った。これは嫌皇流とでもいう感じ。対話ベースの小説ということになっている。引用が多く、これ小説っていうのだろうか? という左翼的な体裁。その割には保守的な文学議論などをしており、本音を全面に出しつつ煙に巻くような書き方。ああいう論旨にはこう反駁するっていう感じで。当然、この感覚には添えない。もちろん、暴力や殺人を肯定するわけじゃないけれども、オウムの省制度と大日本帝国をわざわざ重ねたり、オウムを皇国の縮図だというのは不敬なのは当然、まったく当たらない。こういう左翼的な一面性こそが戦争においてああいう局面を生んだと思えないのだろうか?それを近親憎悪などという言葉で結び付けようという企みには与しない。歴史の重みは関係ない、というような言説から始まる一連の天皇制軽視をさらりと書いているが、かなり無理やりであり、そのまま自分へブーメランで返ってくる言説だと思う。この言説がありなら、あの頃日本は左翼だったとも言える。当時、虐げられていた有色民族を代表し既得権益に闘争を挑み最終的に敗れた。こんな風に左翼闘争と重ね合わせたりされたらどう思うのだろうか?当然、皇国の戦いはそのような新興宗教にも左翼闘争の縮図でもない。ただ、こういう反応が出てくる分、面白かったと言えなくもない。喧々諤々の議論をしていた頃の残滓といった感じ。

  • 2012/1/13購入

  • 初出コピー

  • 川原泉は「インコ森羅教」だった。

  • このテーマの小説ははじめてみた気がした。いま気になること、でも隣の人とは話せないこと。80過ぎのじいさんにやらせておいていいのか。全くもっていいけど。あのヒトに読ませて感想が聞きたい。

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著者プロフィール

作家(1916年8月20日~2014年3月12日)。福岡県生まれ。九州帝国法文学部政治学科中退。新聞社勤務の後、1941年12月召集され、以後敗戦まで対馬で兵営生活を送る。敗戦後、福岡で発刊された『文化展望』の編集に携わる傍ら、文筆活動を開始する。46年新日本文学会に入会、以後『近代文学』や記録芸術の会など、さまざまな文学芸術運動に関わる。48年日本共産党に入党、61年以降は関わりがなくなるが、コミュニストとしての立場は生涯変わらなかった。公正・平等な社会の実現を希求し、論理性と律動性とを兼ね備えた文章によって個人の当為を形象化する試みを続けた。1955年から25年の歳月を費やして完成した『神聖喜劇』は、軍隊を日本社会の縮図ととらえ、主人公の青年東堂太郎の精神遍歴の検証を通じて絶望的な状況の中での現実変革の可能性を探った大作で、高い評価を受けている。ほかの小説に『精神の氷点』(1948年)、『天路の奈落』(1984年)、『三位一体の神話』(1992年)、『深淵』(2004年)、批評集に『大西巨人文藝論叢』(立風書房、全2巻)、『大西巨人文選』(みすず書房、全4巻)など。

「2017年 『歴史の総合者として』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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