君主論 ビジネスで役立つ人心掌握の智恵150 (East Press Business)

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  • Amazon.co.jp ・本 (331ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784872579703

感想・レビュー・書評

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  • マキャベリは本質を突いている。突きすぎているために誤解も受けたのだろうが、学ぶべきことが多いのでこの名著は長いこと読み継がれているのだろう。
    経営者などには今でも通用することが多いが、君主論を読んでいることは内緒にしておいたほうが良いかもしれない。強烈な内容だ。(笑)

  • 本のデザインが綺麗で何度も読み返してる。大切にしてる本の一つ。

  • マキャベリは、イタリア・ルネサンス期の外交官であり、極めて現実的な政治思想家だった。「権謀術数」という言葉がよく当て嵌まる思想家はマキャベリをおいて他にいないと言っても過言ではなかろう。以下、彼の言葉の中で気になったものを備忘録として留める。

    ★国を守るために悪事を行わざるをえないときは、非難されても怯んではいけない。ありとあらゆることを考え合わせてみると美徳と見えたものが実際には命取りになったり、悪徳と見えたものが安全と繁栄に繋がったりするからだ。

    ★君主はケチと言われても、あまり気にしてはならない。国民から搾取しないため、君主の座を守るため、貧しくなって見下されないため、お金に困ってお金の亡者にならないためだ。ケチは君主の座を守るための必要悪である。

    ★戦いには2つの方法がある。法によって戦う方法と力によって戦う方法である。法によって戦うのが人間の方法であり、力によって戦うのは獣の方法である。だが、たいていの場合、人間の方法による戦いだけでは足りないので、獣の方法も使わざるをえなくなる。だから、君主は獣と人間をうまく使い分ける方法を会得しなければならない。

    ★すべての人間が善良ならば、約束を軽んじるのはいけないことだろう。だが、人間というのは約束を守るとは限らない卑劣な生き物だから、あなたも守る必要はない。言い訳などどうにでもなる。約束を破る例は現代も無数にあるし、これまでも、君主の裏切りによって数多の取り決めや約束が無になってきた。人間は単純であり、周囲の状況次第でどうにでもなるから、誰かを騙そうと思えば、騙される人間は必ず見つかる。

    ★君主が戦いに勝ち、国を守れば、その政治は必ず素晴らしいものと見なされ、称えられる。民衆は常に見かけと結果に動かされる。このような状況にあっては、民衆の意見がすべてであり、その意見が強固なときは、少数派は付け入る隙がない。

    ★君主は気まぐれ、浅はか、軟弱、臆病、優柔不断などと見られたら最後、見下されてしまう。威厳に満ち、勇敢、謹厳で力強いふるまいを心掛けるべきである。

    ★歴史を見ても分かるように、謀反の企みは数あれど、目的を達成したものはごくわずかである。謀反人には協力者が必要であり、それは自分と同じ不満分子だと確信できる者でなくてはならない。心のうちを打ち明けた瞬間、謀反人は相手にすべてを託すことになる。打ち明けられた側は、すべてを知ったことによって、望むものすべてを得る可能性を手にするからだ。密告して確実な利益を得るか、一か八か危ない橋を渡るかを天秤にかけた上で、なおも秘密を
    守ってくれるのは、類まれな真の友か、よほど徹底的に君主を憎んでいる者くらいである。

    ★身近に仕える使用人や側近をひどく傷つけることがないよう、己を戒めるべきである。

    ★君主の偉大さは、困難や難局をどれだけ克服するかにかかっている。幸運の女神は新たに君主となった者を大物に育て上げたいときは特に、世襲の君主より急いで名声を確立しなければならない彼のために、敵を仕立てては戦わせる。君主はそれを困難を克服する好機とし、差し出された梯子を高みへと上っていく。有能な君主は、智恵を働かせて、わざと敵をつくるといい。それを制すれば、自分の存在を一回り大きくできる。

    ★新たな国を得るにあたって、内部から協力してくれた者がいた場合、君主は彼らの動機をよく考えてみるべきだ。新たな君主への自然な愛情でなく、前の政権への不満のためなら、友好関係を保つにはかなりの困難と苦労が伴う。彼らは、今度は新しい君主に不満を持つからである。

    ★隣国同士が争ったとき、どちらにつくかをはっきりと宣言しておけば、その国が強国であなたを支配下に置くとしても、あなたに恩義を感じて、はっきりと友好的な態度を示してくれる。人間は、こういうときに相手を手ひどく扱ったり、恩知らずな真似をしたりするほど、恥知らずな存在では決してない。また、勝利というのは水ものだから、勝ったからといって何をしてもいいというわけではない。特に正義をないがしろにするのは禁物だ。一方、もし味方した国が敗れた場合は、今度はその国が庇ってくれる。可能ならば手を差し延べてくれるだろうから、やがて運が上向いたときにその幸運を分かち合える。

    ★やむを得ない場合を除いて、自国より強力な国と同盟して、他国を攻撃すべきではない。たとえ勝っても、その強国の言いなりにならなければならないからである。君主は他国の言いなりにならぬよう最善を尽くすべきである。

    ★君主は有能な人物を積極的に引き立て、職務に秀でた者を称え、才能を重視するべきである。商売であれ農業であれ、それ以外であれ、市民の仕事を奨励し、安心して働けるようにしてやることだ。没収されるのを怖れて資産を増やすのを控えたり、高い税金を怖れて新しい事業を始めるのを思い留まったりすることがないよう、配慮してやらなければならない。

    ★賢明な者を選び、彼らだけに君主に真実を語る自由を与えることだ。ただし、意見を求められた問題についてのみ話すことを許し、他には何も語らせない。君主は徹底的に質問し、その意見に耳を傾ける。そして、決断は自分一人で下す。彼らが率直に話すほど、歓迎する姿勢を見せることが大切だ。彼らの意見以外は、一切気に留めるべきではない。決断したことはすぐに実行し、断固として貫き通すことだ。これをやらないとお世辞屋につぶされたり、相反する助言を受けてころころ判断を変えたりすることになり、君主の評判は失墜する。

    ★賢明でない君主が、複数の人物に助言を求めたりすると、決してまとまらず、君主もまとめる力を持たない。助言者はそれぞれ自分の利益を考えるが、君主は彼らを諌めることもできなければ、理解することもできない。助言者たちは必ず私欲に走る。人間は美徳を強要されない限り、必ず悪事を働く。

    ★私は人間の自由意志を完全に否定したくない。だから、運命や神は人間のやることの半分程度を決定するだけで、残り半分は人間の力で変えられる、と考えるぐらいがちょうどいいのではないかと思っている。

    ★運命は変わりゆくが、人間は自分のやり方に固執する。人間がうまくやれるのは、運命と自分のやり方が調和している間だけであり、合わなくなればうまくいかなくなる。人間は、慎重であるより果敢なほうがいい。運命を征服したければ、力ずくで自分のものにすべきである。

    ★時はあらゆるものをひとからげにして、よいもの悪いものをまとめて運んでくる。

    ★もっと欲しいという欲求は、誰もが持つごく自然なものである。欲したものを得ることは、賞賛すべきであって非難すべきではない。しかし、それだけの器もないのに何がなんでももっと欲しいと望むのは、過ちとして非難されるべきである。

    ★民衆を権力の基盤とし、なおかつ、統率力に優れ、勇敢で、危機にあってもあきらめず、あらゆる備えを怠らず、その人柄と築き上げた社会制度で幅広い支持を勝ち得ている君主は、決して民衆に背かれることはない。その権力は確固たるものである。

    ★どんな国であっても、もっとも重要な基盤は、優れた法と優れた軍隊である。優れた軍隊なしには優れた法を持つことはできない。優れた軍隊を持つ国は、必ず法も優れている。

    ★自らの武力を基盤としない権力の栄華ほど、はかなくもろいものはない。

  • 現代においてはあまり役に立たない事も多く書かれている。しかし、人を使う側にとって、人の上に立つものにとって、現代でも通用する事も多く書かれており、ためになる。

  • どのパラダイムで読むかによって、
    内容の捉え方が180度変わってしまう。

    その価値観の優先順位として最も上位に来るのが
    「いかにリアルであるか」。

    一見冷徹、無慈悲とも思えるその文章には
    人の上に立つ者への覚悟を促すことと捉えられる。
    またその逆として、その冷酷さに対する静かな反逆とも捉えられる。

    リアルである、ということに関して、
    それが「正論」であるという訳ではない。
    ある意味それは見解であり、ある意味それは事象なのである。
    一見「べき論」的な文章展開をしてはいるが、
    基本その「べき」に対しての歴史的な傾向および見解が含まれる。

    人間が平等ではないという見地もまた、彼のいう「リアル」なのだろう。
    理想郷としてのビジョンを指し示すのではなく、
    あくまで時代、現状に基づいたパラダイムに重みを置いている。

    福沢諭吉の言葉にもあるが、
    平等とは「みんな一緒」といった非現実的理想郷ではない。
    そもそもの不平等は人々の不勉強から来るところであり、
    チャンスというものは本来人間には平等に存在するのだ、と。

    マキアヴェッリとしての身分、平等的な見地とは
    どの立場においてどれだけの「覚悟」が必要なのか、
    というのが私見である。

    村長であれば村民から愛されたい。
    家長としての父であれば家族から愛されたい。

    が、国主ともなると、国民からの愛情よりも
    畏怖、畏敬の念の方が優先順位として高いのだ。
    その現代日本からのパラダイムとしては
    強権政治的な威圧感を感じてしまう文面であるが、
    そのパラダイムからの「黒い側面」が対価となり
    強く統治された強い国家が築ける、というものである。

    みんな一緒、と考えるのは一般的な意味での庶民。
    が、世のリーダー達はおそらく「肌で」そのギャップを感じているはずだ。
    ひとえに「覚悟」と「当事者意識」が形成する世論なのであろう。

    要するに、この書籍に関しては
    「好き」「嫌い」といった概念そのものは成立しえない。
    あくまで個人の立場においての
    「価値観、優先度の順位」が違う、という事象そのものであるからだ。
    それは、日々触れ合う人々との差異とは大きくかけ離れ、
    余りに違う優先順位に対しての「違和感」なのである。
    言ってみればそれがその個人の「ものさしの長さ」そのものなのだ。

  • 愛されなくても憎まれない。
    大盤振る舞いしてもろくなことにならない。

  • (☆交換可能:新品同様)

  • ▼2009/02/15購入@堀之内ブックオフ

  • 君主のことを自分のことより優先する側近を置く
    選ばれた者だけを情報源として信用する
    自分の行動と能力を頼みとする
    改革は強引に実行する
    君主の鑑とは:敵から身を守り、味方をつくり、武力あるいは策略によって新たな領地を制圧し、国民に愛されると同時に怖れられ、兵士の信望と敬意を集め、自分にとって害となりうる者を滅ぼし、古い社会制度を改め、冷酷でありながらも愛され、寛大かつ鷹揚で、言うことをきかない軍隊をつぶして新しい軍隊をつくり、諸国の君主たちが快く協力する一方で、攻撃することを躊躇するような関係を築く者こそ、君主の鑑である。
    災いは芽のうちに見つける
    余計な技術を学ばない

  • 時代は違いますが、

    ビジネスでも使えるなぁ。と思いました。

    人の上に立つ人は読んでみてほしいです。

    難しい話を簡単にまとめてくれてます。

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