北東アジアのなかのアイヌ世界 (アイヌ文化の成立と変容―交易・交流を中心として)

制作 : 榎森進  澤登寛聡  小口雅史 
  • 岩田書院
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  • Amazon.co.jp ・本 (555ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784872945324

作品紹介・あらすじ

法政大学プロジェクトの成果。上巻に続き、近世編として4部21編で構成。

感想・レビュー・書評

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  • (1)中村和之 小田寛貴/蝦夷錦と北のシルクロード、(2)佐々木史郎/東アジアの歴史世界におけるアイヌの役割、のみ読了/(1)より。清は当時世界の地理学会で論争となっていた幻の土地エゾに興味。1726-27年、雍正帝期に、ロシアとの国境確定交渉。その際にロシアから得た地図に、エゾとカムチャッカがあるのを見て衝撃。それをきっかけにサハリン南部へ進出。アイヌを辺民という組織に編入、毛皮の朝貢を義務付け、一定の地位、待遇をあたえ、見返りに龍袍・莽袍と呼ばれる清の役人の服を下賜。これが日本で蝦夷錦と呼ばれる。活発な交易活動の影響は先住民社会に多方面におよぶ。ニブフがヤという貨幣単位を日常的に使い、それが中国の両やロシアのルーブルとリンク。山丹交易もさかんで、清では黒貂の毛皮、日本で蝦夷錦の需要が高く、山丹人には巨大な富を蓄えるものも。一方、松前藩から蝦夷錦などの献上を強制されたアイヌはには、負債のため身寄りのないものを山丹人にわたすケースも。山丹人の優位は、背後に清朝の権力を背負ってたことも一因。山丹交易の絶頂期の18c後半から19c初頭はバブルの時代。しかし、19c後半ロシアのアムール川下流域、サハリンへの進出、明治元年函館奉行所が山丹交易の廃止を決定すると、北方の先住民族社会の交易活動は縮小。アムール川下流域・サハリンの先住民族は、狩猟・漁労を生業の中心に。「自然と共生する人びと」というイメージは、実はこれ以降の時代に形づくられた。(p.42-43要約)。/和人との交易により、蝦夷錦の多くは、比較的早い時期に、アイヌ社会から流出していったらしい。アインの首長が、蝦夷錦を晴れ着としてみにまとうことは少なくなっていく/(2)より。「皇輿全覧図」では、サハリンと同定される「庫頁島」の南には海が広がっているだけ。清題には、その南に日本があることは知られていたはずだが、どの程度の距離のところにあるかまでは知られていなかった。/中国側の役人はサハリンまでは来られたが、北海道までは足を伸ばさず。山丹やスメレンクルの商人も白主までは盛んに来るが、海峡を渡り宗谷まではほとんどこない。日本側も調査でサハリンが島であると確認した後は、ほぼ海峡をわたらず。そこで大陸側にも北海道にも自由にわたることができたのがサハリンアイヌだった。/クギは北海道方面から北上し、サハリンに進出しギレミと対立、元の軍隊とも衝突、13c末には大陸側にのりこんでくることもあった、とする、中村和之「中世における北方からの人の流れとその変動-白主土城をめぐって-」「歴史と地理」580、2004年、にもあたってみたくなる。

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