はじめての現象学

著者 :
  • 海鳥社
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本棚登録 : 165
レビュー : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784874150481

作品紹介・あらすじ

誰にでも理解・実践できるかたちで現象学を説き、人間の可能性を探求する思想として編み直す。さらには独自の「欲望‐エロス」論へ向けて大胆な展開を示した"竹田現象学"待望の著作。

感想・レビュー・書評

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  • 『現象学入門』(NHKブックス)と同じく現象学の入門書ですが、『現象学入門』がある程度までフッサール自身の議論にそくして話が進められていたのに対して、本書は著者自身の立場がよりはっきりと打ち出されています。

    「主観-客観」問題は、デカルト以降の近代哲学の中心問題でありつづけてきました。しかし著者は、フッサールによってこの問題は大きく転換されることになったといいます。フッサールがめざしたのは、主観と客観との「一致」ではなく、「確信の成立の条件」を解明することでした。そのうえで著者は、フッサールによってもたらされたこうした問題の変更の意義を、次のように説明します。

    ひととひとのあいだで、あるいは文化と文化のあいだで認識の齟齬が生じたとき、われわれはことばやルールによって理解しあいながら共存しうる可能性の原理を問いなおすことになります。もしそのような可能性が存在しなければ、ひととひと、文化と文化とのあいだに共通了解は成立せず、ただ力による世界解釈の押しつけだけが存在することになってしまうからです。現象学における「本質直観」とは、われわれの知覚経験のなかに含まれている普遍的な意味をつかみ出して言葉にもたらすことを意味します。このばあい、本質直観によってつかみとられる意味は、客観のなかにはじめから含まれている「真理」ではありません。むしろわれわれが現実経験の「意味」をさぐることは、確信の「共通了解」をさぐることを意味しています。著者はこのような観点から、フッサールの現象学が人びとのあいだで共通了解を築いていくための方法論としての意義をもつことを指摘しています。

    われわれはさまざまな経験を通して、世界についての多くの確信を抱くようになります。その結果、人びとのあいだで「良い-悪い」「快-不快」といった感受性の違いが生じます。しかし人びとは、たがいいの感受性の違いを認めあうようになり、共通了解の新しいルールを形成していきます。著者は、このとき人は自己のエロス的な満足を追求することから、他者との関係の中で新しいエロスを追求することへと変わっていったのだと考えます。共通了解はこうした「関係のエロス」を味わおうとする人びとの努力のなかで形成されていくとされています。著者は、こうしたエロス的原理に基づいて、他者との関係性のなかでみずからの生を「よい」ものとして味わい感受することについての考察を展開しています。

  • 現象学の基本的な“考え方”を、一般的な用語で具体的に解説した名著。素人が哲学を堪能するのにちょうどいい。しかも、内容は高度。とても良い。

  • どこかで薦められていたので読んだが,現象学を学ぶのに最初に読む本ではなかった。
    同筆者も「現象学入門」という入門書を別に出しているようだし。

    前書きにあるように,前半はフッサール現象学の解説,後半は筆者の思想。前半はそれなりに分かったつもりだが,後半は何が言いたいのかよく分からなかった。

    フッサール現象学の中では,「生活世界」の概念の必要性がいまいち理解できなかった。
    また,所々現象学に対する批判への反論が挟まれているが,初心者の自分には蛇足に感じた。反論の論理もどこか早足で納得しがたい。

    特に前半を通して得た自分の印象は,現象学は,(いわゆる客観的な)真理ではなく,物事の捉え方に着目し,それをどのように・どの程度人々が共有できるかを主題としているのかなということ。この考え方自体は自分にはしっくり来た。

    「「真偽」、「よし悪し」の根拠において必要なのは、「完全な認識」ということではなくて、ただ「認識の一致」(共通了解)の可能性ということだけである。」(55頁)

    「いま見てきた「認識問題の原理」から言っても、わたしたちは世界に何らかの同一存在が実在することを疑うことができない」(48頁)というのは疑問。疑うこともできるが想定することもできる、という程度までしか導けないのではないか。

    「客観存在」というものが一つの想定された観念(49頁)というのはなんだか皮肉。

    「本質直感は……一人一人の人間が誰でも試みることができ、それは同時に自分の素朴な直感や感受性を疑って、自分と他人たちの間を貫いている「意味の関係」の秩序を取り出してそれをよく意識するような方法」(101頁)
    で、小説や将棋や野球は本質直感には不向き(見たことがない人がいる)ということだが、そうすると本質直感できる対象はあまりないのではないのか。だとすると、本質直感の意義はなんなのか。

  • 物語、神話は世界の成り立ちの説明の方法のひとつ。
    但し、その時代のその地域でしか有効でない。

    哲学、世界の成り立ちの説明方法の別のひとつ。
    いつの時代でも、どのこ地域でも有効な説明。
    ただ、必ず矛盾が生じる


    ・・・以下、挫折。興味を維持できませんでした。

  • 2008

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著者プロフィール

1947年生まれ。哲学者。早稲田大学政治経済学部卒業。現在、早稲田大学国際教養学部教授。主な著書に、『プラトン入門』、『言語的思考へ』、『人間的自由の条件』、『完全解読 カント『純粋理性批判』』、『完全解読 フッサール『現象学の理念』』ほか多数。

「2017年 『ハイデガー入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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