- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784876722549
感想・レビュー・書評
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「アジアは生きたい。生きたいと言っている。ヨーロッパは死にたくない、死にたくないと言っている。」
中略
インドの人々の「生きる」事を目的としている事の強烈さ。
「生きる」ことが保障された途端、人は生きる目的を失ってしまうのだろうか。少子化もそのあらわれかもしれない。
中略
私たちは「生きる」をケアしたい。
「死にたくない」をケアするのは嫌だ。
介護予防、筋トレ、脳トレ、みんな「死にたくない」に迎合したものではないか。
生きていても仕方ないと感じた人が、もう一度この身体で生きていこう、と思うようなケアがしたい。
ケアの本質について改めて考えさせられた1冊。
2008年の本、今から10年前に出版されているが決して色あせていない。
ケアについての考え方は日々変化している。
様々な理論が根拠という専門性の名の下に確立されていっている。
専門性の高いケアを。と日々自分自身も口にしているが
その専門性って何だろう。
ケアすることの本当の目的って何だろう。
改めてし自分自身に問う事ができた。
「今、ここ」に寄り添えるケアを。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<特に印象に残ったこと>
私たちに何か特別なことができたわけではない。特別なやさしさがあったとも思えない。やさしい人もいたが、そうでない人もいた。それは病院と同じだ。でも抑制はしなかった。法的にもできないが、でも抑制はしなかった。法的にもできないが、でも抑制している施設はいくらでもあった。だって抑制の方法を看護師が寮母にに教えていたのだから。
*「問題行動」とされたものの多くは、老人たちのルサンチマンだったのだ。
*介護職がなすべきことは今でもこのことではないか。まず、老人が嫌がることをしない。どうしたらいいかいっしょに考えることだ。
*それが給料分の仕事だ。だって安い給料ときつい仕事で、特別なことや、やさしい心を要求されたって無理ではないか。それは給料と教員の数が1.5倍になってからやればいい。
*自分が同じことをされたどう感じるだろいう、と考えることである。
*振り返ってみると、「給料分の仕事」というのは大変なことだということがわかる。たとえ、安給料とはいえ、世界の賃金レベルから言う
と、それなりの金額なのだ。それくらいの知と技は手に入れたいといと思う。
*自分たちが考えてきた「人間」像がいかに特殊なものだったかを痛感するだろいう。「自分が入りたい老人ホーム」ではなくて「いちばん深く呆けている人が落ち着いていられる老人ホーム」をつくらねばならない
*老人が寝たきりになるのは筋力が低下するからではない。老化や障害をもった身体で生きていく気持ちがなくなって、目がトロンとして何もしなくなり、その結末、筋肉が小さくなるのだ。つまり、主体性の崩壊が先で、筋力低下はその結果にすぎない。
*介護予防でまずやるべきことは病院の医者や看護士の教育ではないか。老人の寝たきりをつくっている病院の高いベッド、狭いベッドを取り替えることではばいか。
*寝たきりなどの要介護度が進行するのは老人の筋力低下だ、と考えて筋力増強をやろうなんて政策はまさしく「スターリン主義」の亡霊のようなものである。
*医学で解けないものは人間学でアプローチしよう。個体で還元できないものは生活のなかに、さらに人生のなかに原因や誘因を求めていこう、
それが介護の方向性である。
*「この仕事は自分には向かないので辞めます」と言って辞められないのだろうか。介護という仕事が、こんな使命感で自分を支えねば突けられないのだとしたら、そのことこそが暴力行為の原因であろいう。
*「老いの見方、感じ方」に載っている。効果がないどころか、ホパテなんて薬は副作用でいっぱいで老人を殺している。
*薬がなくても関係障害が治癒すれば、進行しないどころかよくなる人がいくらでもいる
*この世界では自分の感情を率直に表現するのは禁忌なのだ。
*「感情が喪失した状態から回復するきっかけ」であるなら、涙もろくなった私は果たしてどう回復しているのだろう。
*偉い先生の言うことだから正しいというのがすでに思考停止ではないか、と笑ってしまった。
*脳血管の血液量が増えることと、呆ける、呆けないことに因果関係があるだろうか。
*テレビ番組も、“脳トレ”取りあげるなら、オムツ外しや、機会浴をやめて生き返った無数のケースと取り上げるべきだろう。
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