聖書と殺戮の歴史: ヨシュアと士師の時代 (学術選書 55)
- 京都大学学術出版会 (2011年12月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (359ページ)
- / ISBN・EAN: 9784876988556
作品紹介・あらすじ
モーセの死後、古代のイスラエル人たちが「乳と蜜が流れる」と喧伝される約束の地カナンを征服するに至る過程は、まさに"殺戮"の歴史であった。旧約聖書にみられる、目を覆いたくなるような血なまぐさい戦争にあけくれた同時代の歴史を、ヘブライ語聖書、ギリシア語訳聖書、ヨセフス『ユダヤ古代誌』全20巻の歴史記述を詳細に比較検討しながら、ユダヤ教・キリスト教研究の世界的権威が、絶妙な語り口で紹介する。
感想・レビュー・書評
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旧約聖書のユダヤ人によるカナン征服&殲滅のくだりを読むと不快感・嫌悪感を禁じ得ない。ついパレスチナ紛争と結びつけてしまう。一方で、史実ではユダヤ人そんな戦うたび圧勝ってほど最強(凶)じゃなかったんじゃ? という疑問もわく。そんな気持ちに答えてくれるのかしら! と思って読み始めたが、全然違っていた
(「はじめに」では、現代のパレスチナ紛争の視点からは、創世記にあるカナンの土地の「永遠の所有」の言こそ旧約中最大の問題個所のひとつと書いてあるのだが)。
フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』とそのネタ本である旧約(ヘブライ語もギリシア語版も)の読み比べだった。ヨシュア記からサムエル記まで。創世記からやっているようだが、先行作は全然読んでいなかった。
ヨセフスと旧約の差異から、ヨセフスが旧約の記述に自らが体験したユダヤ戦争を投影しているという解釈は説得力があるが、ヨセフス当時決定版聖書があったわけではないとしつこく書くのはいかがなものか。そんなの当たり前なんじゃないの?(聖書聖典原理主義者は違うかもしれないが、そんな濃い人々向けじゃない一般書だし)。さらにしつこいのが岩波版旧約への嫌味。特にギリシア語版の扱いへの批判なのだが、言い方がすごく陰険でいやらしい。そんなの学界で直接やってくれと言いたくなる。著者の言い方を借りれば「ヤレヤレとため息のひとつでもつきたくなります。」しかも、岩波訳者に嫌味を言うのに気を取られて、突っ込んでほしいところ放置したりするし。例えば、サムエル記上のベト・シェメシュ村民の死のくだり(pp.314‐316)、岩波訳が「喜ばなかった理由」に言及しないことを批判しているが、その前に、岩波訳はベト・シェメシュ人のうちエコニヤの子らがヤハウェの箱を喜ばなかったとしているのに対し、ギリシア語版旧約は、紹介された2種の版とも、エコニヤの子らがベト・シェメシュの男たちを喜ばなかったことになっている。喜ばない対象が違うし、エコニヤの子が、岩波はベト~の一部、ギリシア語版は、別物扱いと全然違うところはスルーなのかよ。70人と5万人も、新共同訳の数字の扱いにも言及しないと、岩波訳への言いがかりに見える(ギリシア語版の書きぶりは意味不明なまでに不自然だし)。
図版への参照がずれてしまっているなど細かいミスも散見し、まず自著のチェックをちゃんとしなよと思いたくなる。詳細をみるコメント0件をすべて表示