イン ザ・ミソスープ (幻冬舎文庫)

著者 :
  • 幻冬舎
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本棚登録 : 2752
レビュー : 241
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877286330

作品紹介・あらすじ

夜の性風俗ガイドを依頼してきたアメリカ人・フランクの顔は奇妙な肌に包まれていた。その顔は、売春をしていた女子高生が手足と首を切断され歌舞伎町のゴミ処理場に捨てられたという記事をケンジに思い起こさせた。ケンジは胸騒ぎを感じながらフランクと夜の新宿を行く。97年夏、読売新聞連載中より大反響を引き起こした問題作。読売文学賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 村上龍さんの作品は初めて。
    カンブリア宮殿の人と同一人物と知ったのも
    少し前…笑
    1年くらい前に買ってたのを1日かけて読んだ。

    これは本当に同じ日本なのか、と思って
    いかに自分が平和ボケしているなぁって…笑
    読んでて感じた攻撃性や不気味という感覚が
    社会の風潮やメッセージを強く感じた。

    10代のときのほうが、こういう本を欲してた
    気がするのは青年期特有の脆さや凶器とか
    あったからなのかなあ。それとも今の
    自分のメンタルが落ち着いてないのか笑
    コロナの緊急事態宣言が終わったら
    もう一度読み直してみよう!

    でも、その時代の流れを掴むのにいい気がする。

    かなり残虐性が描かれているし、気持ちを抉られた
    感覚もする中で、他者とのコミュニケーション、
    生きることに対してもっと考えろという、訴えも
    感じて考えさせられた。

    フランクがホラー映画が好きな人は刺激を欲しがり、安心したいんだ。どきどきする映画が終わって自分や世界が依存としてちゃんと存在していることで安心する。と言っていて、なるほどなあと。

    あと想像力の話でポジティブに発揮されれば
    芸術や科学を生む、ネガティブに発揮されると
    恐怖や不安、憎悪という形になり自身に返って
    くると…。そういうネガティブな感情も活きる
    前向きさが欲しいと思った!
    自分は危険回避が出来たり
    ネガティブって悪いことじゃないと思ってて
    だけど前向きには生きたい。


  • すっかりはまってしまった村上龍作品。相変わらず文章から目をそらしたくなるくらいどろどろな描写がすごかった。これまでもいくつか著者の本は読んだけれども、欧米諸国との"普通"の感覚の違いとか、地理的にも歴史的にも閉じた国にであることをいつも痛感させられる。だからといってアメリカの"普通"がいつも正しいわけではないし、欧米の考え方を丸ごと持ってくるのは違うと思うけど、やっぱりもっと本質的なことを考えることは必要だと思った。今の日本は見栄とかそれこそ煩悩(もっとも、より程度の低いものである気はするけど)みたいなものに憑りつかれている気がする。
    あと、どうしてホームレスは嫌な匂いがして赤ちゃんは頬ずりしたくなるのは全世界で共通なのか、というところは印象的だった。

  • グロテスクな描写もけっこうあるサイコホラー。
    「キッチン」の直後に読んだから落差がすごかった。笑

    これ昔一度読んだのだけど(手元になかったからたぶん図書館で借りて)こないだある人と本の話題になったとき、その人が村上龍が大好きって言ったのをきっかけに思い出して強烈に読みたくなったから今度は買った。
    グロテスクなのってあんまり得意じゃないから、読んでる途中かるく後悔しつつ(笑)、でも先が気になって一気に読んだ。
    ほんのりだけどミステリ要素もあり?

    合法ではない夜の性風俗ガイドをしているケンジに、アメリカ人のフランクという男から依頼が入る。
    実際会ったフランクの顔は奇妙な肌に包まれていて、時折ぞっとするような恐ろしい表情を見せる。その顔は、売春をしていた女子高生が手足と首を切断されて歌舞伎町のゴミ捨て場に捨てられていたという事件の記事を、ケンジに思い起こさせ…。

    ネタバレになっちゃうからあんまり内容は書けないけれど、日本は平和な国なのだということを改めて思った。
    ものすごく貧しい環境じゃない限りは強い意志や目的を持たなくても何となく生きていけるし、何かひとつの宗教を強く信じるお国柄でもない。
    そういう“何でも受け入れて”“ぬるい”ところが、そうではない国で育って苦労している人から見たら許しがたく映るかもしれない。
    自分自身もきっとそうだと思う。多少の苦労はあれど、明日生きるか死ぬか、というほどの思いは、今のところしていなくて、確実に平和ボケしているだろうから。
    フランクと中南米の女とのエピソード、そしてフランクの独白の言葉たちは、心に深く刺さった。

    グロテスクな描写も、印象的な言葉も、妙に後に引きずる小説。
    “問題作”と言われたのも頷ける。

  • この小説を語る上で何かと残虐性が取り沙汰されがちであるが、単に残虐なだけの小説ではない。
    フランクは残虐な殺人鬼であったが、一連の犠牲者には共通する特徴があった。「みんな誰かに命令されて、ある種類の人間を演じているだけのようだった。おれはあの連中と接しながらこいつらのからだには血や肉ではなくて、ぬいぐるみのようにおがくずとかビニールの切れ端がつまっているのではないかと思って、ずっと苛立っていた」彼はこのように空虚に生きる人々を切り裂いているのだ。
    ウイルスの中には動物のDNAのなかに入り込み、時として生存に有利な突然変異を誘発するものがある。フランクは自分をウイルスのようだと言う。凄惨な殺人事件は人々にショックを与え、深く考えさせる為だ。
    本作全体を通じて、意志を持たずに生きることへの痛烈な批判を感じた。意志を持たずに生きるとは、他人とのコミュニケーションや、主体的に考えることを放棄することである。今自分は意志を持って生きられているのか、自分を見つめ直す機会をくれた一冊。

  • 再読。なにか暴力的な話が読みたい気分だった。凄惨なシーンばかりが記憶に残っていたが、いざ本を開いてみるとそういう部分自体はごく短くて、むしろ恐ろしいほどに本質的な話が詰まっていた。その内容はほとんど覚えがなくて、まるで初めて読む小説のようだった。本書が出版されてから20年以上が経っているが、2019年現在でも通じるテーマだと思う。インターネットやその上を走るアプリケーションによって、コミュニケーションのコストは著しく下がり、果ては伝達する意思らしきものも引きだしたように見える。しかし、伝えるべき何かを備えている人間は、そう多くはない。語るべき言葉を持たない人たちが、テクノロジーによって無理やり口を開かされている。

  • イン・ザ・ミソスープという名前からして既に気持ち悪さの漂う本書は、
    外人向けの風俗アテンドをしている二十歳のケンジと、そこへやってきた不気味な外人フランクの話である。

    第一章から二章はかなり色々なことを妄想させられた。
    話に噛んでくる女子高校生のバラバラ事件とか、ホームレス殺人事件など、もしかしたら本当にこのフランクの仕業なのだろうか……など。
    ケンジと共に僅かな仕草や言動から疑心暗鬼になっていく過程を疑似体験できるのは、淡々と、でも確実に描かれる気味の悪さにつきる。

    何時殺されるのか、殺されないのか、どうして自分はフランクから逃げられないのか。圧倒的な恐怖と共に明かされるフランクの過去は、どこか納得できるような、でも「したくない」ような絶妙な怖さ。

    本書ではタイトルのミソスープはまた別の意味だが、
    まさに、ミソスープを掻き混ぜるときのような底からもわもわと湧き上がる気味の悪い感触と、脳味噌を掻き混ぜられるような恐怖は確実に味わるだろう。

    何で読んじゃったかな。

  • 面白かった。"こういう"小説を求めていると思った。最近の社会の−マスメディアやネットを含む−小さな違和感、そんなものの積み重ねで感じる鬱憤、それに名前をつけて表現してくれたような。そしてあとがきには「小説は翻訳である」と。宣言通りの役目を果たす、訴求性の強く分かりやすい小説は意外に少ない。
    作中フランクの語る"日本"論は、遠藤周作の『沈黙』が思い出された。侵略のない歴史、神の不在、それ故の、他国の「神」をも呑み込む集団の力。にも関わらず一体感を亡くした、ぬるま湯(≒ミソスープ)の中で退化した現代の日本人。一体感を亡くしているのに、退化しているのに、「集団のプレッシャー」と「無関心」を以て他者を"攻撃"する、「ぬいぐるみのようにおがくずとかビニールの切れ端がつまっている」日本人。執筆時と今現在を比べるに、匿名性の加わった「集団のプレッシャー」、個別化の進行が育んだ「無関心」が際立っているのは明らかで、そこに(その「ぬいぐるみ」の一員として)大きな不安も感じてしまう。ミソスープの中の野菜くずは存在感こそあれ、すぐに沈殿してしまうミソの浮遊物ばかりで良いのだろうか、と。かといってミソスープがミソから成っているのも紛れもない事実で、どうすべきとかどのようにあるべきかとかまでは考えが及ばないのだが。
    少なくともここ最近の、誰もが「個々の都合だけで」「想像力なく」「適当な仕事をする」という、様々な惨状を見ていて、そうして感じていた「悲鳴」が翻訳されて、少し溜飲を下げた。

  • 読売文学賞
    著者:村上龍(1952-、佐世保市、小説家)

  • 怖い、というのが率直な感想。本旨としては、自分の意思を示すことをせず(またはできない)、右へ倣えの国民性に対して警鐘を鳴らしているのかなと感じた。作中では、内容のないことばかりを言うような人物が次々と凄惨な殺され方をする。自分の意思を伝えることができないと、現実では殺されることはもちろんないけれども、周りからどんどん見捨てられていくことになっていくのかなと思った。
    時代背景が少し昔なので、今とは随分価値観がかわっているけれども、現代にも十分響く作品だと思う。
    改めて、自分の価値観や考えを大事にしようと思う。

  • この物語は、なにを表そうとしているのだろうか?読んでいる間も、読み終わった後も、ずーっと考えているけれど、分からない。題材は、いまや私たちにとって身近な問題を扱っているのだから、読み進めている間も、物語や登場人物たちにもっと「親近感」を抱いておかしくはないハズだったのだけれど、「フランク」という自称アメリカ人の異常者の存在が、一瞬にして、舞台をファンタジックなものに変えてしまった。…彼が猟奇的連続殺人事件を犯している(かもしれない)にもかかわらず。それでも、分からないなりに、物語をいろいろ思い返してみると、「除夜の鐘を聞きたい」と言ったフランク、「ミソスープを飲みたい」と言ったフランクに、すべては集約されるのかもしれない、と思う。何が混じっているのか分からない茶色い液体のような世の中で生きている私たち。何が悪で何が善なのか、そんなの分かり切ってると思っていたハズなのに、いつもと異なる場面に出会うと、確かだと信じていたものがすぐに揺らいでしまう私たち。そんな私たちへ警鐘を鳴らそうとしているのかもしれない。

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著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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