大河の一滴 (幻冬舎文庫)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877287047

作品紹介・あらすじ

なんとか前向きに生きたいと思う。しかし、プラス思考はそう続かない。頑張ることにはもう疲れてしまった-。そういう人々へむけて、著者は静かに語ろうとする。「いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だと、あきらめることからはじめよう」「傷みや苦痛を敵視して闘うのはよそう。ブッダも親鸞も、究極のマイナス思考から出発したのだ」と。この一冊をひもとくことで、すべての読者の心に真の勇気と生きる希望がわいてくる感動の大ロングセラー、ついに文庫で登場。

感想・レビュー・書評

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  • 1.著者;五木氏は小説家・随筆家。少年時代は、父親から古典の素読や詩吟を教えられました。小説を読む事を禁じられたので、坪田譲治や江戸川乱歩を隠れて愛読。中学以降は、ドフトエフスキー・ゴーリキー等を読み漁る。「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビュー。「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、「青春の門」で吉川英治文学賞など、多数受賞。「大河の一滴」他、仏教に関する著作も多い。
    2.本書;五木氏が1999年に書いたエッセイ。構成は5章建て47項目。第一章;人はみな大河の一滴(なぜかふと心が萎える日に他) 第二章;滄浪の水が濁る時(この世に真実はないのか他) 第三章;反常識のすすめ(他人とは違うただ一人の自己他) 第四章;ラジオ深夜一夜物語 第五章;応仁の乱からのメッセージ。あとがきより「私は著しく自分の人間性を歪めてきた・・・。多くの心優しい人達の犠牲の上に、強引に生き延びて母国へ帰ってきたいかさま野郎がこの自分」と。苦労人ならではの言葉、「人間の一生は苦しみと絶望の連続。そう覚悟する事から道は開ける」と。
    3.個別感想(心に残った記述を3点に絞り込み、感想と共に記述);
    (1)『第四章;ラジオ深夜一夜物語』より、「他の人間と比べて、自分の人生にコンプレックスを持ったり、優越感を持ったりする事は、全く意味のない事ではないでしょうか。・・・普通の人以上のエネルギーや幸運を与えられた(人はその)事をむしろ謙虚に感謝すべきである。そして、僕達はその人達を羨む必要もない。人間は一生、何もせずに、ぼんやり生きただけでも、ぼんやり生きたと見えるだけでも実は大変な闘いをしながら生き続けてきたのだ、というふうに、僕は考えます」
    ●感想⇒❝262法則(優秀な人=2割 普通=6割 優秀でない=2割)❞は全ての集団に適用するそうです。だとすれば、コンプレックスを持つ人が優越感を持つ人と同程度いるという事です。私はコンプレックスを持って良いと考えます。生きていく上で、人間関係は避けれません。他人より劣っていても良いではありませんか。それをバネにして自分らしい目標を決めて、努力すれば良いのです。目標を達成出来なくても、自分を褒めてあげましょう。そのプロセスに意義があり、きっと人生の肥しになります。過日、新聞である女性の投稿記事を読みました。「中学の時、療養で高校進学を諦めたが、独学で高校と大学を卒業・・・」とありました。そして、「重ねた努力はその後の人生の糧になる。自分の生き様を誇れる人でありたい」と。辛い事を乗越えて、努力する人への応援歌ですね。感動 ❢
    (2)『第四章;ラジオ深夜一夜物語』より、「健全なる精神は、健全なる身体に宿る。・・・きちんと朝起きると顔を洗って髭を剃り、一応、服装を整えて髪もなでつけ、顔をあわせると❝おはよう❞と挨拶し、ものを食べる時には❝頂きます❞という人もいる。こういう社会的なマナーを身に着けた人が意外にしぶとく強く、(南極という)厳しい生活環境の中で最後まで弱音を吐かなかった。・・・人間は健康とか体力だけで厳しい条件に耐えられるものでは無い」
    ●感想⇒「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」。その通りだと思います。健全な精神の基本は、❝清潔な身なりを保つ(不快感を与えない)、人に会ったら挨拶する、社会のルールを守る、どんな時でも感謝の気持ちを忘れない・・・❞等を自然体で出来るという事です。常に意識する態度が必要です。「他人に学ぶ、勉強する・・・」気持ちを忘れず、精神面を充実したいものです。健全な身体は、健康に留意して病気にならない。食事に留意し、適度の運動に心掛けましょう。それでも病気を患ったら、滅入ることなく養生しましょう。聞いた話です。近所に大企業の幹部がいるそうですが、「その家族は、町内会の行事に参加せず、道で会っても挨拶しない」。企業の地位が世間にも通用するという思い込み 、残念です。マナーは社会人の基本。「他人のふり見て我がふり直せ」ですね。
    (3)『応仁の乱からのメッセージ』より、「人間の傷を癒す言葉には二つあります。ひとつは❝励まし❞であり、ひとつは❝慰め❞です。人間はまだ立ち上がれる余力と気力がある時に励まされると、再び強く立ち上がる事が出来る。ところが、もう立ち上がれない、自分ではもう駄目だと覚悟してしまった人間には、励ましの言葉など上滑りしていくだけです。・・・頑張れと言われれば言われる程辛くなる状況もある。その時に大事な事は何か。それは❝励まし❞ではなく、❝慰め❞である」
    ●感想⇒本で学んだり、人生の先輩から教えられました。「精神的に落ち込んでいる人には、励ましの言葉は禁句、聞き役に徹する事」「相談相手は親族よりも、親しい友人が良い」と。五木氏は「自分ではもう駄目だと覚悟してしまった人間には励ましの言葉など上滑り、❝慰め❞だ」と言います。私は、可能であれば、何でも聞いてあげ、それについては意見を言わず、ましてや❝頑張れ❞と言わない事だと考えます。自分が落ち込んで人と話したくない時に思いました。そっとしておいて欲しいと。相手の状況判断がポイントですね。素人判断せずに専門家に頼るのも良いかも。
    4.まとめ;本書はバブル経済の崩壊により、厳しい不況が続いた時に出版。2020年の某社調査で、文庫部門の週刊ベストセラーに輝きました。コロナの蔓延で、社会に暗雲が垂れ込める中、ベストセラー「大河の一滴」が人々に注目された、と言えます。「市場原理と自己責任という美しい幻想に飾られた今日の世界は、ひと皮むけば人間の草刈り場に過ぎない。私達は最悪の時代を迎えようとしているのだ」は現代でも通用します。私達はウクライナ問題を始め、人類の危機に立たされています。疑似平和を謳歌するだけでなく、政治にも関心を持ち、将来を考える事も必要です。解説の言葉です。「本書は、不安だったり、自信喪失に陥ったりしている人には効き目のある、人生座右の書」。(以上)

    • ☆ベルガモット☆さん
      ダイちゃん、こんばんは。
      以前実家の母に薦められたのに、結局読了できずにいました。
      また読もうというきっかけを与えてくださりありがとうご...
      ダイちゃん、こんばんは。
      以前実家の母に薦められたのに、結局読了できずにいました。
      また読もうというきっかけを与えてくださりありがとうございます。
      2023/10/01
    • ダイちゃんさん
      ベルガモットさん、おはようございます。コメント頂き、ありがとうございました。良書だと思います。是非、ご一読を。
      ベルガモットさん、おはようございます。コメント頂き、ありがとうございました。良書だと思います。是非、ご一読を。
      2023/10/02
  • 『大河の一滴』五木寛之氏
    冷たい夜と闇の濃さのなかにこそ朝顔は咲くのだ。(291ページ)
    【こんな方におすすめ】
    「少し心も体も疲れているな、、、」「でも、、、無理して頑張るという気持ちにすぐにはなれないな・・・」。
    もしも、そんな状態ならば・・・この書をポケットにいれて、お気に入りの喫茶店や近所の公園のベンチでくつろいでみる、そんなひと時はいかがでしょうか?
    ――――――――
    【作品】
    優しい、しっとりとした語り口のエッセーです。
     
    五木さんは敗戦を「平壌」で迎えたと記述しています。戦後の復興から現代までをつぶさに観察してきた作家のおひとりです。
    作品は、バブルがはじけて約10年、阪神淡路大震災のあとに生まれています。また、当時の自殺者人数は2万人を超えていました。
     
    五木さんは、そんな時代に危機感を持ちながらも、決して批判をするわけではありません。ご自身のなかで「どのように解釈をしたらいいのだろうか?」と悩みながら、読者のわたしたちに語りかけてくれます。
    ――――――――
    【読み終えて】
    自身と外の世界の対比 ★★★★★
    自身の心の光と闇の対比★★★★★
    二律背反の世界への解釈★★★★★
     
    自分の心と体、そして五木さんが見る世界を対比することによって、足りていること、足りていないことを考える機会に浸ることができました。
    また、同時に、なにに光を見出し、どんな闇に怯えているのか?についても併せて考えることとなりました。
    何が正しい、何が正しくないという二進法で物事をとらえることが多いです。この考え方に加えて、もう少しいい加減にとらえてもいいのでは?という解釈、選択肢をもつ「しなやかさ」に出会うことができました。
     
    30代前半で読んだときと、人生折り返しで読んだときのとらえ方、受け入れ方。
    面白いほどに大きく違うんだな・・・と認識することができました。

    30代のころは、自分に置き換えるというとらえ方ではなかったから・・・。
    五木さんの世界を知るがメインであったから・・・。
     
    【本書より】数字は掲載ページ。
    25
    親切に慣れてしまえば感謝の気持ちも自然と消えていく。だから慣れないことが大切だ。いつもなにも期待しない最初の地点に立ちもどりつつ生きるしかない。
    65
    世の中はときに澄み、ときに濁る。(省略)清らかにすんでいないことをひとり嘆き、怒っているばかりでは生きていくことはできない。
    77
    私という自分が二つある、というのは、そういうことである。すべての人間と共通している自分と、だれとも異なるただひとりの自分。その二つの自分は、ときとして対立し、ときとして同調する。
    112
    人間の値打ちというものは、生きている、この世に生まれて、とにかく生き続け、今日まで生きている、そのことにまずあるのであって、生きている人間が何事を成し遂げてきたか?という人生の収支決算は、それはそれで、二番目くらいに大事に考えていいのではなかろうか、
    124
    なにもやらなくてもよい、失敗した人生であってもよい、それはそれで、人間として生まれてきて、そして人間として死んでいく、そのことにおいて、まず存在に価値があるのだ、と思うことがある。
    129
    混沌を認め、もう少しいい加減になることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させることになるのではないでしょうか?
    159
    ひょっとしたらマイナス思考とか、あるいはネガティブ・シンキングとか、こういうものもすごく大事なことではなかろうかと考えるようになってきました。
    187
    規則正しい生活というものをあまり強調しすぎることによって、規則正しい生活をしなければいけないということが人間の心と体の自由を奪うようになっては、これも問題なのではないか、
    188
    問題は、その人間にとって、どういう生きかたがいちばん自分らしく、そして自分で納得のいく生きかたなのか、ということにかかわっているのではないでしょうか
    189
    プラスとマイナスがお互いに反撥しあい、また引かれあうような、そういう物の考えかた、両極端のどちかではなく、<どっちも>という考え方を、このへんで、もう一ぺん振りかえってみたいという気がします。
    248
    自由に、豊かに、言葉を使って、自分を表現することは素晴らしいことです。しかし、その<言葉>にも限界があるということを、常に感じていたい、と、ぼくは考えるのです。
    291
    冷たい夜と闇の濃さのなかにこそ朝顔は咲くのだ。

  • 時間をかけてゆっくり読了。
    幾つもの気付きがありました。
    示唆に富む良い本でした。

  • 長女(中2)から面白いよ!と言われて、悔しく読んだ「大河の一滴・五木寛之」。「現在人間が謙虚さを失っているのではないか」「失敗した人生こそ価値のある人生である」「人の欠点こそ認め合うこと(寛容)こそ大事なこと」など、示唆に富む内容だった。約20年前に書かれたこの本は現在の社会病理を見事に突いてきていると感じた。柳に風という言葉があるように、敵に立ち向かう努力とともに、受け流すことも必要と思う。受け流すということは、人間の弱さを認識し、社会がお互いに寛容になって、気楽に死に向かっていこう!ということかな。

  • ◯昔、何故か母に読めと言われた本だが、この歳まで読まずにいた。ひと頃の脱力感から抜け出せていたものの、本を読むにはまだ乗り切れなかった時に、有名なフレーズを目にした。
    ◯そういえば親鸞という本を書いていたな、と思い出す。仏教徒ではないけれども、考え方は好きという点になんとなく納得する。端々に、執着せずに生きることが語られていると思う。目から鱗とか、新しい知識を得たというわけではないけれども、
    ◯わたしを苦しませるあの人も大河の一滴であり、当然自分は取るに足らない大河の一滴なのだ。悠然と、流れるようにしなやかに生きていれば良いのだと思った。

  • 家族に薦められた覚えがあるが途中で挫折。ブグ友さんの本棚で見つけて図書館よりお取り寄せ。

    「私たちは、人生は明るく楽しいものだと最初から思いこんでいる。それを用意してくれるのが社会だと考えている。しかし、それはちがう。」
    「どんなに愛と善意に包まれて看とられようとも、死とは自己の責任で向きあわなければならない」「なにも期待していないときこそ、思いがけず他人から注がれる優しさや、小さい思いやりが<争点の慈雨>として感じられる」
    「愛情も家庭も老・病・死する」

    看取られた際に家族や友人のあいだから自然と拍手がわいたという話
    「ご臨終です」と言われたおばあちゃんが、死に水の儀式で使う脱脂綿を探す家族へ場所をつぶやいて息を引き取るという話に、死に方の見事さを感じる。

    「人間はただ生きているというだけですごいのだ。死へ向かって一歩一歩あるいていく旅人のようなものだ。この世に生を受けた者は、ある種の役割があって、存在している」という考え方に勇気づけられる
    免疫の中の寛容というはたらき、なんでも排除するのではなく、自己の中に非自己を共存させていく側面があるらしい。寛容さを身につけたい。
    朝と夜、「おい、親指くん。きょうはくたびれただろう」などと話しかけながら、ゆっくりていねいに足を洗う話もやってみたいと思った。
    「泣くということにより自分の魂の浄化」「自分だけの、他人に明かすことのできない、悲しみとか痛みとか、そういうものを、それぞれに抱えて生きている」ということに同感。

  • 「世界一受けたい授業」で取り上げられていて、キャンセル待ちをしてようやく手に入れた本を、ようやく読みました。

    読み手の年齢や時代や個人の状況によって、受け取り方が大きく異なってくるかもしれませんが、私にはとっても心に沁みるお話ばかりでした。
    本当そうだなぁー…と頷きながら読んでいました。
    そしてこの本の初版が発行されたのが平成11年で、著者が“昔と比べて今はこんな風に変わってしまった(ネガティブな意味)”というようなことを語ったりするのですが、それから23年が経ち、世の中はもっと悪くなってしまったと嘆いていらっしゃるのではないかと想像してしまいます…。
    20年以上も前の本ですが、現在の私たちに響く言葉ばかりです。
    ラジオを聴いているような感覚で、一冊あっという間に読んでしまいました。
    個人の思いや考えを知ることはとても興味深いですが、昨今の動画サイトなどを見ると、個性を強く主張して目立とうとする風潮があるように思えます。
    本作は、終始優しい語り口でも強い思いはしっかりと伝わり、仏教や著名人のエピソードなども交えてお話しくださるので、学びにもなります。
    また著者がどうしてこのようにネガティブに思うのかについて、戦争という凄まじい体験が根底にあり、改めて戦争の惨さを感じました。
    人によってはなかなか受け入れにくい文章もあるかもしれません、でもある程度の年齢になると、誰かしら、どうしようもない耐えがたい絶望的な気持ちになる経験があると思います、そんな気持ちに対して、無理に励ますのではなく寄り添ってくれます。
    そしていかに著者がマイナスな感情を持ち、その中でもプラスの思考を見いだそうとしているか、世界で起こっている事象について、問題点の投げかけと改善策を考えてみる、という後半は特に勇気づけられ、背筋を正してくれて、この言葉もあの言葉も忘れたくない!と思いながら読み進めていくうちに、気付いたらたくさんのドッグイヤーが付いていました。
    私たち人間は自然エネルギーも必要としますし、自分よりも弱い生物を犠牲にすることも必要としますし、精神的な魂の食べ物(愛・友情・人生の目的etc)も必要として生きています。
    人(だけでなく植物や動物もみんな)にとって、生きるということがどれほどの大きな努力に支えられているのかに改めて気づかされました。

    そして現在・過去・未来はすべて“今”に集約できること、今を大事に見つめ続けることの重要性や、人間は喜ぶと同時に悲しむことが大事という話は、ディズニーの名画『インサイド・アウト』を思い出して余計に納得しました。
    また免疫学の観点から、寛容<トレランス>の精神の重要性も教えてくれました。
    そしてP167~のC・W・ニコルさんのお話、アウシュビッツから奇蹟の生還をはたしたフランクルさんのお話では、礼儀や身だしなみという、極限状態では後回しにされそうなことが最も重要であること、感動すること、喜怒哀楽の人間的な感情を忘れない人がサバイバルでは生き残る、というも印象的でした。
    心と体は深くかかわりあい、人の命を支えている。
    そして人間は一人で決して生きてはいけない。他人の悲しみを自分が代わってあげることはできないけれど、相手の痛みを自分の痛みのように感じることはできる。
    そして<布施行>への意識はこれからも忘れずに持ち続けていきたいと思いました。
    また言葉の力の大きさ、蓮如が勧めた、できるだけものを言うようにすることへの意識、とは言えども、言葉にならない深い思いというものもある、という事もきちんと理解しておきたいです。
    先日衝撃的で信じられない事件が起こり、ここ最近、とある特定の宗教がニュース番組で毎日取り上げられていて色々と考えさせられます。
    個人的な宗教そのものの世界観についてですが、
    生きていく中ではどうしようもない絶望感に囚われてしまうこともあり…、そのようなときに救いとなるものが、宗教のような精神的な世界だと思っています。
    著者のP39~『大河の一滴としての自分を見つめて』の中で宗教について書かれていますが、本当にその通りだなと思いました。
    *****引用*****
    “私たち日本人のほとんどは、意外に思われるかもしれないが、常に宗教と背中あわせに生きているものなのである。夕日を見てなんともいえない不思議な気持ちになったり、深い森を不気味に感じて恐れたり、アスファルトの裂け目にめぶく雑草に感動したり、その場その場で私たちはおのずと目に見えない世界に触れるのである。”
    “宗教とは教義や組織によって成り立つものではない。人間の自然な感情から出発するものなのである。”
    ***********

    暗闇の中にいるからこそ光を感じられることの喜びや有難さに気づけていけるようになりたいです。 

  • 芸能人の自殺が続いているので、冒頭を読んだ時に今の時代に書かれたんだっけと勘違いした。それくらい今の日本を取り巻く現状に相応しい内容だし、結局書かれた20年前から世の中変わってないのかなと思うと少し哀しい。
    私達は自分の力で生きているように見えるけれど、そうではなくて生かされていて、大河の一滴のようにちっぽけな存在。でもこの命は大河のように巡っていく。そう思うと、今が辛い時でも生かされているありがたさを実感する。

  • だいぶ以前に購入して、読みかけて積んで有った。
    余りに忙しい日々には、心に落とし込めなかった。
    1日数ページずつくらい、じっくり読まないと、私には内容が濃すぎて、二か月位かけて読了。
    何と沁み入る本だろう!

  • 正に、疲弊しきった現代をいかに生きていくかの指南書。
    人間、ポジティブな考えで生きて行かなきゃねって自分もよく言われるけど、筆者はむしろ闇から光を見いだすことこそが大切だと訴える。
    自分も、精神的にかなり落ち込んでしまう時が今もある。そんな状況から抜け出したいと何度も考えた。
    いくら悔やんで苦しい思いもしても、自分という個にしたら、沢山の人間の方々が抱える苦しみに比べられもしないかなぁ。
    正に、自分の思いは大河の一滴にも満たないものかも知れない。
    我慢するなって言われても、できないから無理をしてしまう。誰も助けてくれない。こういう時代だからこそ、逆行から一縷の希望を探す生き方が必要なんだでしょうね。
    生きるって大変なことなんだよね。
    コロナ禍で苦しんでいる時に読んで欲しいなー

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著者プロフィール

1932年、福岡県生まれ。作家。生後まもなく朝鮮半島に渡り幼少期を送る。戦後、北朝鮮平壌より引き揚げる。52年に上京し、早稲田大学文学部ロシア文学科入学。57年中退後、編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞、2010年『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞受賞。ほかの代表作に『風の王国』『大河の一滴』『蓮如』『百寺巡礼』『生きるヒント』『折れない言葉』などがある。2022年より日本藝術院会員。

「2023年 『新・地図のない旅 Ⅱ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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