さびしい宝石

  • 作品社
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感想 : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (178ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784878935947

作品紹介・あらすじ

なにがほしいのか、わからない。なぜ生きるのか、わからない。孤独でこわがりの、19才のテレーズ-。ある日、死んだはずのママンとそっくりの女性を見かける。気まぐれで、うわべを飾りたて、神経質だったママン…。テレーズは、ママンのほんとうの人生を探すことで、自分を見つけようとする。でも、ママンが話していた経歴は、みんな嘘だった。探すほどにわからなくなる真実、深くなる謎。たったひとつの手がかりは、ママンが残していったビスケット缶の中のセピア色の写真と手帳…。

感想・レビュー・書評

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  • パトリック・モディアノらしい過去の自分探しに囚われた孤独な少女の物語。
    1960年代のヌーヴェルヴァーグのような世界観が底辺に垣間見られ、フランス映画らしい趣の作品であったとも思う。
    パリを始めとした情景や地理的配置が随所に散りばめられており、そういう面においてもフランスの空気を存分に味わえる作品であった。

    19歳のテレーズはある日、地下鉄内の動く歩道でママンらしい人を見かけた。モロッコで死んだと聞かされていたママンであったが、後をつけその女性のアパートを住所をつきとめるテレーズ。かつて幼い時にママンから「かわいい宝石」と呼ばれ、ママンとの生活や別れの記憶がまざまざと再現されていく。
    ママンと再会すべきか悩むテレーズ。いまの「わたし」はどうしてここにいるのか・・・。

    ママンに捨てられ天涯孤独な少女の、行く先の見えない閉塞感を見事に表現している作品となっている。
    ところどころで過去の記憶と交錯し、不安な少女の心情の細やかな揺らめきが読者に迫ってくる。
    過去の記憶からの自分探しの物語はパトリック・モディアノの得意とする畢生のテーマであり、作者自身の記憶とのパラレルな交錯が良く表れた作品であったと思う。
    全体的に重苦しい感じがする物語であったが、抑制の効いた淡々とした展開がある意味、読者に映画を観ているかのような第三者感を醸し出していた。

    結局、ママンはどうなったかは謎のままであり、ベビーシッター先の家族の関係や行方も謎のまま過ぎ去ってすっきりとしないもやもや感は残ったが(笑)、男友達や薬局の女の人といった一見関係性が薄そうな人たちの心温まる手助けが読者に安堵感を与えてくれていた。
    また、最後まで閉塞感は解消されないままやはりフランス映画のような終わり方をするのかと思いきや、新たな生活への光が少し見えたのも救いであったと思う。
    優しいいたわりの上に、テレーズが追体験するかのようなベビーシッター先の少女家族の消失と彼女のその後の行動は、彼女の人生のリセットと再生を暗示するものだったといえよう。

    自分的にはこれぞフランス!という空気が味わえたのが良かったですね。

  • この本は、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真が表紙となっている。パリのカフェの一瞬を捉えた写真だが、この小説の物語とシンクロしていて印象深い。

    物語は、孤独なパリジェンヌのテレーズが死んだはずのママンに似た人を見掛けるところから始まる。ママンの面影を求めて孤独にさまようテレーズ。それは「かわいい宝石」と呼ばれていた頃の、不幸せな少女時代を思いながら、自分を理解しようとする自分探しでもあった。

    まるでフランス映画を観ているかのように、感性に訴える情緒豊かな作品。物寂しい晩秋に読みたい物語です。

  • 最初はどんな話なのかわかりづらいし、結局ママンらしき女の人と対面するわけではないので、そこは肩透かしを食らうかもしれない(カバーなどの作品紹介を読むと)。しかしやはり注目するべきは「独り」に限界を感じはじめた主人公が作中で出会う人々の小さな気遣いに救いを見出す様子で、そこまで持っていくための装置としてママン(?)との出会いはうまく機能している。読者を救うような作品ではないかもしれないが、読後にほんのりと残るか細い希望は、この本でしか得られない気がする。

  • ノーベル文学賞受賞ということで読んでみました。

  • とても寂しい
    人は沢山いるのに,ひとりのような気がする

  • 1941年。パリの訪ね人
    にも通じるが、
    一人の人間が残す、消せない痕跡。余韻。
    それを追う者が、感じる確かな存在、
    虚無感、、
    見つけられないのに、自分自身が確かな証拠として、そこに存在してしまっていること…

    どこまでもそれを追求し続ける、モディアノ。

  • 深い孤独感と喪失感に包まれた作品。

  • ミニマリズムのエステティック。孤独。「永遠のくりかえし」を描く。悲壮感と喪失感。2014ノーベル文学賞:パトリック・モディアノ。



    パリという都市に住むから孤独になる。いや、孤独な生き方しか知らない人間だから、都市でしか生きられない。そんな孤独な女性、いや、女性というには未熟な、テレーズの、アイデンティティを求める物語。



     教育の失敗のお手本。そんな本。


     子供時代に、孤独ゆえにちゃんと子供ができなかったから、体は成人しても、大人になれない人間。

     しかし、そういう人間は同じような人間を再生産してしまう。そんな永遠のくりかえし。

     

  • 謎が多い。
    住所不定無職に限りなく近い浮浪生活でありながら、若く魅力的なパリジェンヌらしき主人公は何者なのか。主人公が偶然見かけて後をつける死んだはずの母親、彼女の正体も謎だ。善意の登場人物も、「どうして」や「あなたなは何者」という読む側の問いには答えてくれない。謎解きが魅力の物語ではない。というのは、最後までそれらの謎は謎のまま放って置かれる。だが、その放って置かれ感が、なんともいい余韻として残る。名文体であると思う。

    パトリック・モディアノは2014年11月にノーベル文学賞の受賞者として知られるまで、わが国ではほとんど読まれていなかったのではなかろうか。今俄かに日本語訳でこの『さびしい宝石』を読んだ私のような読者にとっては、謎が謎のまま漂うような物語として読むことができる、それだけでも高い芸術性を備えた文体だと思う。事実、矢継ぎ早にモディアノ作品を読み漁っている私は、謎の物語として読み、感銘を受けた。

    しかし、巻末の訳者解説を読み、たまたま自称「無類のパリWalker」である自分がパリの街をうろついていて見聞きした雑学を駆使すると全く違う物語の構図が見えてくる。その構図は、1区から20区までの地理だとか地下鉄路線図や、ドイツ占領時代の歴史のあらましなどが一通りは頭に入っているフランスの読書人層から見たらこう見えるはず、というものかもしれない。また、それはノーベル賞の選評が「記憶の芸術」と称賛した『1941年。パリの尋ね人』と対を成す一冊であることも見えてくる。人々の記憶から消えつつある占領下のユダヤ人の悲劇と作家自身の出自とを、事実に基づく完全なノンフィクションという小説としては異端的手法で綴った『1941年』に対し、完全なる虚構の物語という正統的小説の手法でもって、いうなればユダヤ人とは真反対の立場の人々の身の上に起こった悲劇と、後の何十年も消えることのない傷とを描いているのだ。

    欧州写真美術館はマレ地区にある。私は後で調べてみるまでそこを「欧州戦争写真美術館」というものだと勘違いしていた。高級でも有名でもない普通のパリの街らしいそのあたりをうろついていて、「なんとかフォトグラフィエなになに」と記されたその美術館を偶然見かけ入ってみた。著名な戦場カメラマンたちが撮った戦争の記録写真ばかりが展示されていた。フランス語が全く不得手な私は、その展示が常設のものなのか一定期間だけの企画展示なのかは判らなかった。ただ、画像の示す意味や衝撃はすぐに伝わった。しかも、どの写真も「ああこれは」とどこかで一度は見たことのある「記憶にある一枚」ばかりだ。

    ハンガリーで撮られた一枚では、逆さづりの遺体を群衆がなおも鞭打っている。大勢が歓声を挙げている。
    1944年にパリで写された一枚では、頭を丸刈りに刈られた若い母親が赤ん坊を抱きながら歩いている。群衆がそれを取り囲んで口々に罵声を浴びせている。ロバート・キャパがパリ解放直後に撮ったあまりにも有名な一枚だ。キャパの写真はいつも「人間」を捕えている。私は、時にはやらせもやったり、女が好きで女にももてて、男優を目指したりというあまりに人間臭いこの写真家が好きだ。彼の写真を見ると、いつもこの男のヒューマンな叫びが聞こえる気がしてしまう。その時も、
    「敵を愛してはいけないのか。この赤子に罪はあるのか」
    そんなキャパの声を確かに聴いた。

    ニシム・ド・カモンド美術館は、8区の高級住宅街にある。パリには貴族や大富豪の邸宅とコレクションが一般に公開されているような小さな美術館があちこちにある。ここもその一つだ。元邸宅だから、富豪たちが日常暮らしていた居間や寝室や厨房なんかも覗けてしまうのも魅力で、ここではずらりと並んだ銅鍋の赤銅色が見事だった。ただ、ここの元のオーナーはユダヤ人の銀行家だった。だから当然のことながら、見事な美術品の数々や家具調度品と邸宅そのものが、ドイツ軍に公に没収されたり、占領前後の無秩序状態の中で略奪や破壊されたりしないで散逸を免れたのには、一言では言えない関係者の苦心があったはずである。そういうことは、外国人向けのガイドには一切書かれてはいないが、パリジャンにとっては言わずもがなの常識だろう。

    『さびしい宝石』の主人公とママンの正体の謎は、キャパが写しとめた母子にほかなるまい。その証拠に、物語の中では何の特別の意味もないとして何気に語られる母親のあだ名は、キャパが捉えた一瞬に群衆が口々に母娘に浴びせかけていたであろうドイツ人やドイツと係わりのあるものに対する蔑称であるからだ。また、主人公の遠い記憶の中でママンと一時暮らした分不相応すぎる大きな屋敷と、その頃母親が名乗っていた偽りの伯爵夫人としての名は、なぜそんなところにそんな伯爵夫人の偽名でという謎として描かれている。けれども、それこそユダヤ人富豪の邸宅の多くが、散逸や収奪を免れるため、譲渡を偽装したり空き家状態になっていた時期もあったという小さな歴史のエピソードに精通していれば、謎は謎なんかではない。

    謎を謎のままとして読んでも高い芸術性に圧倒される。
    謎を謎ではなくて自明の歴史の一断面として捕えても、あの一枚の写真の先にあったかもしれない物語として世界の人々になにかを訴えている。
    いずれにせよ、ノーベル文学賞に値する世紀の巨匠の作に違いない。

  • 全く個人的な感想で、単なる覚え書きである。いつものモディアノ調なのだが、主人公が19歳の女性というのが、勝手がちがった。着なれない洋服を着込んだようで居心地が悪い。読者が若い女性なら溶け込めるのかもしれない。長い間本を読んできていながら、いまだに主人公に感情移入して読んでしまう未熟な読者の方に問題があるのであって、作家の責任ではない。もしかしたら、パトリック・モディアノには必要以上に感情移入させられるのかもしれない。

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著者プロフィール

1968年、La place de l'étoile でデビュー。1978年、ゴンクール賞(Rue des boutiques obscures)、1996年、フランス文学大賞(全作品)等々。2014年、ノーベル文学賞。「その記憶の芸術で、彼は人間のもっとも捉え難い運命の全てを呼び起こし、またナチス占領期の世界を明るみに出した」と評価される。邦訳に『パリ環状通り』(講談社)、『暗いブティック通り』(講談社/白水社)、『ある青春』(白水社)、『カトリーヌとパパ』(講談社)、『イヴォンヌの香り』(集英社)、『サーカスが通る』(集英社)、『いやなことは後まわし』(パロル舎/キノブックス)、『1941 年。パリの尋ね人』(作品社)、『廃虚に咲く花』(パロル舎/キノブックス)、『八月の日曜日』(水声社)、『さびしい宝石』(作品社)、『失われた時のカフェで』(作品社)等。1945 年、オー‐ド‐セーヌ県、パリ西部に隣接するブローニュ‐ビヤンクール生まれ。

「2015年 『迷子たちの街』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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