僕たちは編集しながら生きている

著者 :
  • 三交社
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本棚登録 : 62
レビュー : 6
  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879196224

作品紹介・あらすじ

この時代をサヴァイヴァルするための、「生活編集術」と「編集生活術」。編集者・後藤繁雄が主宰するワークショップ「スーパースクール」の講義を完全収録。

感想・レビュー・書評

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  • たとえば、「おにぎり」を頭に思い浮かべてください。そして、描いてみてください。みんな、三角形を描きますよね。でも、「おにぎり」って何からできているかというと、「ご飯」からできているわけだから、食べてしまった、お腹に入ったら「おにぎり」も「ご飯」も同じものですね。ただギュッと圧縮してカタチを変えるだけで「おにぎり」に変わる。
    つまり編集というものは「おにぎり」のカタチのようなものであって、ある種の力をかけて圧縮して、何か新たな魅力をそこに生み出すということ。そこで、情報の次元を上げるということです。そのためには、コトバやヴィジュアルの技術に精通していなければなりません。p72

    【メモ】
    編集とは「触媒」であり、インプットとアウトプットをつなぐ、いわば「ミドルプット」のプロフェッショナルなのではないか。

  • 編集という作業は雑誌やWEBデザインだけでなく、我々の生活上においても自然と行っている行為だと説いている本。自分にとっては新鮮だった。

  • 自分のやりたいというエネルギーをできることに変えていくこと。自分のことをイメージすることが大切。
    編集者にとって一番つまらないのは小さな自分にこだわった価値にしがみつき、世界を狭くしてしまうこと。

  • 本書は、編集者・後藤繁雄氏が、自ら主宰する編集学校「スーパースクール」での講義内容をとりまとめたものです。

    スーパースクールは、ワークショップ形式で「編集術」を学ぶ学校です。もっとも、ここで言う「編集」は、本や雑誌をつくることに限りません。特定の仕事のためのスキルというよりも、世界の見方や思考のフォーマット、価値を生むための方法論といった、人が人として生きるためのベーシックな「術」としての編集が問題にされます。そして、単に出版物を編集することを超え、自分の仕事や生活、つまり、人生そのものを編集するための編集術を発明することが目指されのです。

    「編集というのは、未知なる自分の人生を開いてゆく作業である」そう述べる著者にとって、未知の他者や自分と出会い、その中に隠された創造性や可能性を開き、カタチにしていくことはとてもワクワクすること。ですから、その編集の過程自体が「幸福の秘密」と関係してきます。つまり、著者にとって、編集とは幸福に生きるための方法論でもあるわけです。

    確かに、周りを見渡してみても、幸せな人生を過ごしているように見える人達に共通しているのは、未知なるものを積極的におもしろがれることだと気付かされます。おもしろがるということは、言い換えれば、その対象に、最大限の興味と好意と敬意を感じているということで、そういう人には、きっと世界のほうから微笑みを返してくれるのでしょう。おもしろがってくれる人にだけ世界は秘密の扉を開け、その魅力をそっと教えてくれるのだと思います。

    吃音だったというのが信じられないほど多くの人にインタビューをし、スーパースクールを通じて大勢の若者と恊働してきた著者は、「抽象的な『未来』などというものはなくて、すべて具体的な『人』の『可能性』の中に、未来は詰まっているのだ」との信念を持つに至ります。結局、具体的な人の可能性の中に未来を見る態度こそが「幸福の秘密」を開く鍵なのでしょう。

    世界はおもしろさに満ちている。仕事も生活も、そして、人生も、僕らの編み方次第で、いくらでもおもしろくすることができる。そういう大切なことに気付かせてくれる一冊です。是非、読んでみてください。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    自分の「やりたい」というエネルギーを「できること」に変えていくこと。それは編集という術の重要なポイントだと思います。「編集」とは、もちろん本や雑誌をつくったり、情報を整理したり、という「技術」だけれど、それ以前に、自分をラッキーにしてくれる「技術」だと思った方がいいんですね。

    編集とは、日々を生きていく「技術」、「術」なんです。毎日、丁寧に外からやってくるものと付き合ったり、相手のしゃべる言葉の中にかくれているものに触ったり、一日の中の、ひとつの微発見をきちんと重ねてゆくことで、初めて世界はおもしろさに満ちていることを知ったり、同時に、魅力的なアイデアを得たり、まわりを説得できる素晴らしい企画が生まれてくるのだと思う。

    編集というのは、極論すれば、自由の方法です。フリースタイルなんだと強く思います。僕が、編集は人生を幸福に過ごすための秘密とリンクしていると言ったのは、そういう意味なんですね。

    編集者の仕事というのは、その人の才能を見つけることです。基本的には、否定しない。素晴らしい才能は、いつも初々しい、若葉みたいなものです。

    植田(正治)さんというのは、世界の中にあるおもしろさ、それは小さなモノやカタチなのですが、それを見つけて、誰よりもおもしろがることのできる天才なのだということを知りました。と同時に、そうやって、本当に世界をおもしろがっている人には、世界の方から幸運というものを与えてくれるという、その現場をまざまざと見せられた気がしたのでした。

    彼女(オノ・ヨーコ)は毎晩寝るときに、自分を恨んだり、中傷している人たち、いさかいのある人の名前を毎晩思い浮かべながら、その人たちさえ祝福するという「就眠の儀式」を思い付き、実行したんです。「何とかさんに幸いあれ」。そう心の中でつぶやいたんです。そうすれば、安眠できる。その話を聞いたときは、本当に感動しました。(…)彼女の、何ものからも逃げず、より大きく肯定しながら、小さなネガティブを乗り越え、自由へ向かうという方法は、僕も非常に共感しています。

    編集というのは、「おにぎり」のカタチのようなものであって、ある種の力をかけて圧縮して、何か新たな魅力をそこに生み出すということ。そこで、情報の次元を上げるということです。そのためには、コトバやヴィジュアルの技術に精通していなければなりません。

    「来たるべき価値」を、しっかりイメージすること。人の流れも、お金も、情報も、そのような先見性のある「価値」に集まってくるんです。

    「全てのものからインスピレーションを得られる。もしそれができないのなら、それは正しくものを見ていないからだ」(ポール・スミス)

    「丁寧」に触ってゆくことです。「丁寧」に触れば、かならず世界は僕に秘密を見せてくれると思っています。

    人の心の秘密に触るというのは、編集の基本であると同時にゴールでもあると思います。インタビューがある程度できるようになること。それは、単純な技術を超えて、編集にとって本質的に必要なものだと思います。

    コトバが扱えるようになるというのは、編集者になるばかりか、生きてゆくことに深く関わります。自分の人生を編集するうえにおいては、最も重要なことのひとつです。

    僕の文章についての考え方は、あくまでも、文章は、「その人らしければよい」ということです。その人の「人体」と「文体」が重なっていた方がよい。

    古美術のコレクターに、「本物は、いつも新しく見える」と、教えられたことがあります。このエピソードは、つくられたものの鮮度、「賞味期限」のことも考えさせてくれます。本物は、本物の力ゆえ「賞味期限」が長いのです。

    語るという行為は、自分の肉体を通すということで、リアルの強度を上げてゆく作用があります。語ることが、気付くことにもなるし、その風景が、自分のものとなってゆく出発点にもなるのです。

    「お金がない。ならばどうやってお金をつくるか」、それを困難だと思うのではなくて、愉しいこと、実験、挑戦という方向に、いかに転換できるか。その力こそが「編集力」だと言いたいぐらいです。

    間違いなく、これからの時代を生き延びてゆくには、「クリエイション」と「イマジネーション」の力がとても重要になってゆきます。

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    ●[2]編集後記

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    今週はクリスマスですね。何となく街も人も温かになるこの時期の雰囲気は嫌いではありません。

    以前、アメリカに住んでいた頃、クリスマスイブは、全てのアメリカ人が一年で一番優しくなる日に思えました。アメリカ人にとってクリスマスは家族が一つになる日。街も人も優しく穏やかな空気に包まれます。電車の車掌さんまでが "Merry, merry Christmas!"と車内放送してくれる。そんな温かな雰囲気がとても素敵でした。

    日本ではクリスマスは恋人達のものだと言われますが、小さい子どもがいる家庭にとっては、やっぱり家族のものでしょう。我が家の娘も、4歳になった今年は、クリスマスが気になるみたいです。幼稚園で色々と入れ知恵されてきたみたいで、今年はサンタからプレゼントをもらうんだと張り切っています。

    先日、幼稚園でクリスマスイベントがあったらしく、サンタの後姿を見た!と言って、娘は大興奮でした。サンタは夜来るはずなのに、幼稚園で朝に姿を見せたのはおかしいとか、なかなか鋭い突っ込みをしていましたが、それでも、サンタの実在は疑っていない様子。

    今年はクリスマスプレゼントに包丁を買ってあげようと思っていて、昨日、娘と一緒に包丁を見に行こうと思ったのですが、サンタからもらうと信じているのだから、幻想を壊すようなことをしないでくれ、と妻に叱られてしまいました。娘は一体いつまでサンタのことを信じることになるのでしょうね。

  • 後藤繁雄氏主催の「スーパースクール」での講義の様子を増補編纂した一冊。

    ”編集”という行為は何か、そこから生まれる価値は何か、そして我々の今後はどのような今後か、みたいな、普遍的なテーマに寄りから引きから挑んだすげー面白い一冊。「編集とは、ごはんをおにぎりにするようなこと」つまりまったく新しいものを創出するのではなく、既存のものをある新しい価値を提供できるように組み合わせ整えること。これが一番分かりやすかった。
    ドッグイヤーの雨あられ。最初から最後まで大事なのは、「価値」をどう作るかですよね。

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