あまりにも騒がしい孤独 (東欧の想像力 2)

  • 松籟社
4.06
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本棚登録 : 294
レビュー : 31
  • Amazon.co.jp ・本 (156ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879842572

作品紹介・あらすじ

20世紀チェコを代表する作家ボフミル・フラバルの代表的作品。
 ナチズムとスターリニズムの両方を経験し、過酷な生を生きざるをえないチェコ庶民。その一人、故紙処理係のハニチャは、毎日運びこまれてくる故紙を潰しながら、時折見つかる美しい本を救い出し、そこに書かれた美しい文章を読むことを生きがいとしていたが……カフカ的不条理に満ちた日々を送りながらも、その生活の中に一瞬の奇跡を見出そうとする主人公の姿を、メランコリックに、かつ滑稽に描き出す、フラバルの傑作。

感想・レビュー・書評

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  • チェコの作家ボフミル・フラバル(1914~1997年)は、池澤夏樹さんの文学コレクション(『わたしは英国王に給仕した』)にもエントリーされていてとても面白い。少し悩みましたが、どちらかといえば私は本作『あまりにも騒がしい孤独』がより楽しめましたのでレビューしてみます。それにしても魅力的なタイトルをつけてくれる作家でわくわくしますよね♪

    ***
    ひたむきに故紙処理の仕事をしてきたハニチャは、毎日大量に捨てられる故紙をつぶしながら、ときおりそこでみかける美しい本たちを救い出しては仕事そっちのけで読みふけります。そこに書かれたまばゆい作品たちを読むのを唯一の生きがいとしてきたハニチャでしたが、あっというまにときは流れ、なにやらそとではざわめきの予感が……滑稽で悲哀の漂う孤独な男のみじか~い物語。

    「……僕は心ならず教養が身についてしまい、だから、どの思想が僕のもので僕の中から出たものなのか、どの思想が本で読んで覚えたものなのか、もうわからなくなってしまっている。こうして僕は、この三十五年の間に、自分や自分の周りの世界と一つになってしまっているんだ。というのも、僕が本を読むとき、実は読むのじゃなくて、自分のくちばしに美しい文をすーっと吸い込んで、それをキャンディーみたいになめているからだ」

    ああなんて可愛らしいこと、なんだか『エセー』のくだりをパロっているようで思わずにんまり。棄てられた美しい本はきっと禁書になった本たちなんだろうな……学者や知識人たちがボイラーマンや肉体労働をしながらひっそりと隠れるように生きていたり……そこらここらに言いようのない愛惜と切なさが散らばっていて、冒頭から読む者をとらえて放しません。

    「……そもそもまともに休暇をとったことなんかなくて、休暇は交代勤務を休んだ日の埋め合わせでほぼ使い果たしていた。まともな理由なしに交替勤務を一日休むと、ボスは休暇から二日を差し引いたし、何日が残っても、僕は仕事をして賃金に替えていたからだ。だって僕にはいつも仕事が残っていて……だから僕のためにサルトル氏が見事に、そしてカミュ氏がもっと見事に書いていたように、三十五年間、毎月僕はシーシュポスコンプレックスを経験し生きてきたわけで……要するに切りがなかったんだ」

    はたからみてもハニチャは貧乏暇なしで、それこそ大きな石かなにかに押しつぶされてしまいそうな日々を過ごしているわけですが、そんな悲哀を滑稽でシニカルな笑いで包みこんでしまうフラバルの魔法にうなってしまいます。

    それにしても、チェコにはフラバルのほかにもカフカやハシェクあるいはチャペックやクンデラといった優れた作家が多くて、いつも驚きと感動の連続です。その目線はつねに庶民的で気取りがない。長い歴史の中で翻弄された人々、ひどく不条理でカフカ的な国、ナチズムとスターリニズムの両方を経験した悲壮で滑稽ともいえる現実を、あえて笑い飛ばそうとするある種の陰りを含んだ明るさとユーモアがあります。そこにはどこか東欧イディッシュ(ユダヤ)文学に通底するようなしなやかさと笑いが感じられて感銘をうけます。そんな力強い作品たちの魅力から目がはなせないわたし♫

    素頓狂なおしゃべり好きのフラバルは、ハシェク『兵士シュベイクの冒険』、セルバンテス『ドン・キホーテ』、ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』などの先達の作品に霊感を受けたよう。なるほど、だれもかれも読む人をあきれさせるほどしゃべりまくる面々で、そこには豊かな笑いとペーソスが溢れています。
    わかりやすくひもといてくれる解説にも感激(^^♪

  • 故紙処理係のハニチャは毎日どこからともなく運び込まれてくる大量の故紙を潰すのが生業である。
    時折故紙の中に美しい本を見つけてはそれを救い出し、ビールを煽っては青年と老人(イエスと老子)の幻を見る。

    彼が潰している「故紙」の正体は、共産党政権の下禁じられた書なのだ、ということに途中まで読んで気がついた。

    表現の自由も知る自由も制限された世界の底辺で、ひっそりと知を貪り「心ならず教養が身についてしまった」ハニチャ。
    一方で昔愛した娘の名前も思い出せないハニチャ。

    娘はナチズムの犠牲者だった。
    生き延びたハニチャはスターリニズムの犠牲者である。

    強大な国に囲まれ、蹂躙されてきた国の歴史がそこにはある。

    “三十五年間、僕は故紙に埋もれて働いているーこれはそんな僕のラブストーリーだ”

    こんなラブストーリー反則や。
    不条理や。
    せや、これがチェコ文学や。

  • 現時点で日本語で読めるフラバルの長編の中では一番好きだ。憂鬱で先がなくて抒情的。それと同時に、幻想が過剰でお高く留まっていないところもよい。美しくまとまっていないところがよい。

    55歳前後であろうハニチャが青年のような口調で話すのに違和感がなくて、自分がこの物語に取り込まれているのがわかった。ハニチャのように誰の注目も受けず、求めず、自分だけがうれしい何かをこつこつ続け、辛ければ怪我をした野生の生き物のようにじっとして過ごし、という生き方。それは寂しいかもしれないけれど、自分の生を完全に自分のものにできる生き方であるように思える。過去にかかわりのあった女性たちのことを至極大切に思い出せるのは、やはり男性は名前を付けて保存をするものなのだなと羨ましいようなあきれるような気持ちになったけれど、最後の最後に思い出せる人がいるというのはよいものなのかもしれない。

    結末については訳者解説(この解説もよい、チェコ文学の特徴とフラバルの位置づけがわかる)で戸惑うことになった。あれは読む人によって解釈がかわるところらしい。読んだ人にどう思ったか聞いてみたい。

  • 螺旋状の環をぐるぐるとたどるように物事は進み、同一円上をたどっていつの間にかはじめに戻る。「未来への前進が本源への後退の一つになり、おまけに僕はそのすべてを、身をもって体験している。(P.68)」
    いや。同じではない。同じようではあるけど少しずつ違っている道のり。でも行き着く先はいつも始めのところで通る道も結局はいつか来た道のように思える。けれど似ているだけでやっぱり同じではない。

    廃棄された本をプレス機で押しつぶす仕事をしている主人公ハニチャの一人語り。
    廃棄された本の中に見つけた美しい本を救い出しては、収集し「心ならずも教養を身につけ」る。収集しすぎた本の山に自分がプレスされる不安、旧型プレス機のエンジニアであるハニチャが新型の巨大プレス機に仕事を奪われ、町ごとプレスされる不安、そして行き場を失ったハニチャはプレス機の中で自分自身をプレスしようとする自殺願望。
    ナチズムからスターリニズムという暗い時代を背景としてハニチャは不条理な螺旋構造の日常をぐるぐる巡る。
    とはいえ、暗く世を儚んでいるわけでもなく、不条理な日常をビールがぶがぶ飲んで今日も「あーあ。」みたいにメランコリーとともにやりすごすハニチャ。いいな。
    ネズミ戦争とか、線路上においた金属を電車が轢いてできる金属片を、そこから妄想できる形状ごとに分類するのが趣味の叔父さんとか、印象的で愛おしい挿話もいいな。

    「静かな瞑想の中で、矛盾に満ちた道徳的状況の解決し難さについての思いを巡らせていた。」
    「人間の体は砂時計なのだと思うー下にあるものは上にもあり、上にあるものは下にもある。」

  • 淡々と孤独に地下にある古紙圧縮機械を作動し仕事をする主人公。心のなぐさみは材料として送られてきた本の中に良書があり、その世界に陶酔する。友達はネズミ。再生される物は、かつて意味を持っていた物なのに現在は不要とされてしまった物で、チェコのプラハの春後、同僚は次々国外脱出する中、古紙=人間の再生を、生の体験によって書き綴った。

    重く暗い生活を表現するというより、体制によってくずれてしまう、世の中のはかなさを表現している感じで体制批判はしていないので、背景を知るか知らないかで大きく印象が変わる。

  • イジー・メンツェル監督の映画は大好きだけど、フラバルの原作を読むのはこれがはじめて。
    共産主義体制への大きな変動の中で、地下の作業室送りになった男は、発禁処分とされた本(なかには印刷されたまま一度も人の目に触れないまま廃棄される本もある)を、来る日も来る日も、ネズミやハエと一緒に押し潰して塊にする作業を続けている。塊の中心部に美しい言葉を閉じ込め、その周囲を美しい複製画で飾りながら。
    「心ならずも教養を身に着けた」主人公は、本への暴虐行為を行いつつも、本に対する限りない愛情をもってその破壊をオブジェとし、救い出した美しい言葉を蒐集しつづける。グロテスクさと美が混然とする中、つねにビールで酔っぱらっている主人公の脳裏を訪れるのは、過去の恋人たち、地下室を訪れるジプシー女たちのトルコ石色のスカート、老子とキリスト…まるで破壊され圧縮された本のように、混迷しながらも濃密な文章だ。
    しかし、本を葬る行為さえもが圧倒的な近代的機械と近代的な人間たちの前によって不可能とされるのを目の当たりにし、本がただの物質に還元されていく世界が不可避であることを悟った主人公は、自らを本とともに押し潰し葬ることにする。その直前に主人公が幻視する、プラハの街そのものが押し潰されていくイメージは圧倒的だ。近代化、あるいは近代化とともにもたらされた何かは、砲弾さえもなしえなかった破壊をもたらすものであったのか。言いようのないイメージと哀しみが後に残る。

  • いわゆる世間の底辺にいながら、古紙処理係として紙屑をプレスする毎日の中で、魅力的な本を見つけては持ち帰り読むことを生きがいとしていたハニチャ。
    時代の流れ、支配者と被支配者との関係によってそんなささやかな幸せさえも得られなくなる絶望と不条理に陰鬱な気持ちになりながら迎えたラストに、私は希望を見た。人によって解釈は変わると思われる、面白い作品。

  • 文学

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  • 痛々しいといえば空々しい。この物語は社会的地位がなくなってしまい生きていけなくなったと思い詰める男ハニチャと、新しい社会主義労働班の若者たちと、ナチスに殺された名前を思い出せないジプシーの少女と、糞まみれのマンチンカで出来ている。たくさんの本や古紙を廃棄する仕事をしているハニチャはそれらの中から美しい本をを救って自分のものにするのが楽しみだ。はっきり言って飲み過ぎのアル中の労働者だけれど、文学や哲学、美しい文章の載った本たちを自分の部屋に持って帰りなにかのために必要だと思っている。でも結局のところ、彼は中年の労働者でしかなくて、仕事を追われたらもう死ぬしかない。死ぬしかないと思ってしまう。どんなに思い出さないようにしてもどんなに他のことを考えたとしても最後に叫ぶのはナチスに殺された恋人、今は名前を思い出した少女イロンカのことだった。死のうとして彼女を思い出して叫ぶ。そこに少しだけ救いはあるのかもしれなかった。所々マンチンカの出てくるところは笑える。

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著者プロフィール

1914年ブルノ(現チェコ共和国)生まれ。63年短編集『水底の小さな真珠』でデビューし一躍チェコの代表的な作家となる。『厳重に監視された列車』『わたしは英国王に給仕した』『あまりにも騒がしい孤独』他。

「2019年 『わたしは英国王に給仕した』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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