火葬人 (東欧の想像力)

  • 松籟社
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879843128

作品紹介・あらすじ

ナチスドイツの影が迫る1930年代のプラハ。葬儀場に勤める火葬人コップフルキングルは、妻と娘、息子にかこまれ、幸せな生活を送っている。しかしその平穏な日常は、時代状況や親ナチスの友人の影響を受けながら、次第にグロテスクに変質していく……

感想・レビュー・書評

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  • 作者自身が体験した身近、身の回りで起こったホロコースト。じわじわと始まり、最初は父親達が働けなくなり、同級生が消えて行く。本人の父親は警官で手を下していた側であった。自身はユダヤ人ではないが同性愛であり、絶えず恐怖にさいなまれていた。その気持ちがピュアに繊細にこの作品に投下されている。ある家族がいて、火葬場に勤めていた。自分は家族をこの上なく愛していると常々感じていた。これがまんま国に起きて、国がしてきたこと。読者は家族の話を読んでるつもりで、実際に国に起こった出来事を読まされていた。

  • 火葬場で勤務する小市民コップフルキングル氏。
    段々とサイコパス感が増幅してくる。

  • ふむ

  • これ、どこからチョイスしたのか忘れていて、改めて探し直してみると、何とYA向けブックガイドからだった。というのは、自分の想像力がちっとも追いつかなかったから。当初の自分だったらもう少し深く理解できたのかも…とか、厳粛な感情を抱けたのかも…とか、いろいろ思うところあり。でもとにかく、今の自分にはとにかくつまらんかった、ということだけ。

  • ナチスが台頭する1930年代末のプラハ。火葬場で働くコップフルキングルは妻と子を愛し、酒も煙草もやらない模範的な市民だが、何かが少しずつ歪み始める…。男は一見すると良識的な人物だが、すでに何かを放棄した後なのか中身は虚ろで、他者への共感が欠如してしまっている。家族や友人に色々話をしているようだが、相手の声が殆ど聞こえないので、一人壁を向いて話をしているのではないか?と気味悪くなった。終盤で男が、葛藤した末の選択ではなく、ごく自然に、何の痛痒も感じず一線を超えていった事に底知れない恐ろしさを覚える(1967

  • 文学

  • 第二次世界大戦直前のチェコで始まる。主人公はドイツの血をひくコップフルキングルという火葬人なんだけど、そのうちにナチスに取り込まれてユダヤ系の奥さんと子を手にかけるという話。なんかロボットのような主体性を感じない主人公とちょくちょく出てくる体格いい杖の男とヒステリーな女が不気味。

  • 訳者の阿部賢一さんが、あとがきで、フクスの回想録の次のような一文を紹介している。

    『探偵物や犯罪物、あるいはホラーといったジャンルは、思慮深く、そして趣味よく手が加えられていれば、文学的な価値を低くするものではない』

    その通り、本作はホラージャンルでありながら、純文学としての価値も併せ持つ、小説として最高の逸品です。

    舞台は1930年代後半のプラハ。
    ……と、なると……まず簡単に想像する「恐怖」は、彼らに忍び寄る足音と、迫害の未来でしょう。しかし、本作はそこが中心ではなく、最愛であった筈の、ユダヤ人の妻を殺してしまうに至るまでの主人公の心理変化を、なんとも不気味なセリフでもって、陰鬱に、グロテスクに描かれたホラー小説です。

    一行目から、『優美なる妻よ』とあるように、主人公のコップフルキングル氏は、家族を呼ぶ際は、『いとしい』や、『天使のような』や、『大切な』や、『美しい』といった呼び方を、繰り返し繰り返しします。いかがわしいほどに繰り返されます。
    そしてこの蓄積が、終盤にコップフルキングル氏が発するたった一言で、一気に恐怖となって襲い掛かってきます。そこからは、主人公の狂気に巻き込まれて、読者は極上のホラー感覚を体験していくでしょう。

    今年、これからあと何冊読むか分かりませんが、間違いなくベスト5に入る傑作でした。

    日本のホラー小説(もはや小説ですらない作品)が、ぜんぜん恐くない、とお嘆きの方は、ぜひご一読を(^-^)

  •  「苦しみは取り除かれねばならない、少なくとも和らげ短くしなければならない」という確固とした信念を持つ主人公が、ナチスの思想に呑み込まれていくまでの推移が描かれる。

     どんなときでも優しい笑みを浮かべている主人公の姿は、善き夫/父/友の理想像そのものではあるが、終盤の展開においてはおぞましさしか感じ取れなくなった。
     途中3度も現れる喜劇めいた夫婦のやり取りも、独善的に「常識」を押しつけ妻を否定する夫の態度が実は、主人公の本質を示唆するものだったように思える。

     同じ言葉の繰り返しが多いのも、とても不気味だ。

  • ふつうの人間に潜む狂気。

  • [ 内容 ]
    グロテスクな恐怖が日常を侵蝕していく、恐怖がページから立ちのぼる。
    ナチスドイツの影が迫る1930年代末のプラハ。
    葬儀場に勤める火葬人コップフルキングルは、愛する妻と娘、息子にかこまれ、平穏な生活を送っているが…。

    [ 目次 ]


    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 『「これまで以上にね、そうすれば全てが今まで以上によりよく、迅速に行われる。一見したところ難しそうに思えるかもしれないが」コップフルキングル氏はテーブルのほうに笑みを浮かべた。「実際はそれほど難しくはないんだ。この番号は葬儀の順番を示している」』

    少しだけ台詞掛かった会話の一文が、徐々に倒錯者の独白のような響きを帯び始める。その奇妙な感じの根底に、真面目な性格故に不器用な人が自然と持つ好もしさと、原理主義的な志向が指し示す冷血な真の顔の冷ややかな眼差しを、同時に感じ取る。この恐怖は過去形でのみ表されるものはない。そのそら恐ろしいものは彼岸ではなく此岸に巣食うもの。そんな理解に行きついてしまうと、人が誰しも持つ二面性が、日常の表面的な平穏さの直下で黒々と蠢く様が頭から離れなくなる。それは単に過去のものでないというだけではなく、他人様のことと割り切ってしまうこともできないこと。自分の血の中にも脈々と流れている狂気でもあると覚悟するしかないことなのだ。

    第二次大戦下のヨーロッパに留め置かれたユダヤ人という文脈で直ぐに思い出すハンナ・アーレントは、その二面性をごく普通の人々の内にある狂暴さとして読み解いて見せた。フクスのこの作品もアーレントの著作と同じような文脈に置かれて然るべきなのかも知れない。だがここには、普通の人々の持つ二面性からは遥かに逸脱した狂気がある。

    例えば狂言回しのように主人公の行く先々に現れる夫婦。次第に彼らの存在は現実なのか、あるいは主人公であるコップフルキングル氏の想像に過ぎないのかが不確かとなり、存在自体が怪しくなる。更に想像を膨らませれば、この架空の夫婦の交わす会話こそが現実のコップフルキングル氏と妻との間で交わされた会話であって、コップフルキングル氏の独白の方が想像の会話であるかのようにも読めてくる。恐怖の速度が一段加速する。体制に取り込まれてしまった我が身の悲運を嘆きつつ、コップフルキングル氏は徐々に狂気のみが為せる行為に身を委ねてしまう。チベット仏教の教えもその奇跡も、救いとは結びつかない。そして火葬場が主人公に与える最終的解決の手段。ユダヤ人の悲劇を巡るメタファーが否応無く喚起される。

    しかし如何に恐怖に支配される読書であったとしても、ここには何か大事なメッセージがある、その思いだけは頁を繰る毎に強くなる。他人のふりをし続けても、目の前を過ぎて行った小さな災いは、雪だるま式に大きくなって返ってくる。自分は加害者ではない思っていたとしても、何処かで自分の行為の後始末を付けている人は必ずいる。その因果応報的世界観を現代人はどれ程過去から学び現在進行形の歴史の中で共有しているだろう。望むらくは自分の後始末くらい自分で付けたいものだと思う。

  • 空虚な笑顔から浮かび上がる恐怖、汚れなき善意に潜む恐怖―本作の持つイメージを言語化するならそんな感じだろうか。火葬場に努めるコッペルキング氏の持つ哲学や仕事への熱意、家族への愛情は決して変貌した訳ではない。彼の持つユダヤ人への眼差しはナチスの台頭以後もコインの表裏が入れ替わっただけであり、それは彼の善意が終始空虚さに包まれていたことの証左でもある。だが、このような空虚な善意は誰しも日常で触れ得るものではないのか。これは狂気ではない、断じて正気の物語なのだ。そう、凡庸な幸福は、こんなにも悪のすぐそばにある。

  • 独特な重苦しい雰囲気をたたえて、狂気に染まっていく、平凡な弱い人間を描く。ナチスの頃の時代背景と火葬場という特殊な状況設定もあり、ジワーッと恐怖が染み込んでくる。救いのない感じ。こんな世界にしちゃいけないと強く思う。

  • ワカラーン。最後に焼かれたモルヒネ中毒者はコップフルキングルさんなの?メタファーが解けないで不完全燃焼…。

  • 善良な市民の皮を被った独善が導くもの。

  • 火葬場で働く主人公がナチスの影響を受け、それまでの見方を180度変えてしまう話。凡庸で善良に思えた主人公の人当りや語り口が最初から最後まで穏やかなまま、思考と行動だけが変貌していくという展開は、表面が静かなだけにおぞましさがいや増す。表紙を含め随所に染みわたっている死の臭いと灰の色をも踏み越える彼の「選択」には、もう震えるしかない。

  • 第二次大戦直前のズデーテン割譲前後の時代を背景に、火葬人をなりわいとする男と家族、ユダヤ人の話。
    全編を通じて、家族の愛し方への語り口の異常性というか、偏執的な癖を感じてしまい、なかなか読むのが辛かった。家族での外出時に必ず一緒になる夫婦の会話での高圧的な夫の態度も不快さを増して、全編を嫌な空気感が漂っていくのはどうにも気持ちが悪い。
    ドイツに占領されたプラハでのホロコーストのなか、火葬人である主人公は、ユダヤ人の血をひく家族にどう向かうか。
    静かな狂気。
    凝縮された恐怖。
    不安定な精神状態で読むんじゃなかったよ。

  • ユライ・ヘルツが1969年映画化している。絶対に面白い筈(表紙にはルドルフ・フルシンスキーが!!)。。。

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    「ナチスドイツの影が迫る1930年代のプラハ。葬儀場に勤める火葬人コップフルキングルは、妻と娘、息子にかこまれ、幸せな生活を送っている。しかしその平穏な日常は、時代状況や親ナチスの友人の影響を受けながら、次第にグロテスクに変質していく……」

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      映画『火葬人』 パンフレット ユライ・ヘルツ監督 - Galerie LIBRAIRIE6 + シス書店
      http://librairie...
      映画『火葬人』 パンフレット ユライ・ヘルツ監督 - Galerie LIBRAIRIE6 + シス書店
      http://librairie6.shop-pro.jp/?pid=101132343
      2021/07/13
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著者プロフィール

1923年、プラハ生まれ。カレル大学で博士号取得後、学芸員として国立美術館等で勤務。並行して短編を雑誌に発表していた。
1963年に長編小説『テオドル・ムントシュトック氏』を発表。収容所への移送を待ちかまえるユダヤ人の心理を幻想的に描き、一躍脚光を浴びる。ユダヤ系の出自ではなかったフクスだが、ユダヤ系住民と同じく同性愛者が迫害されるのを目の当たりにし、自身も同性愛の傾向を持っていたために衝撃を受け、ユダヤ系の人びとに共感を抱くようになったと言われる。
ほかの作品に本書『火葬人』や『公爵夫人と料理人』など。
『火葬人』は、ユライ・ヘルツ監督によって映画化されている。

「2013年 『火葬人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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