蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか

著者 : 紀田順一郎
  • 松籟社 (2017年7月1日発売)
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  • レビュー :7
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879843579

作品紹介・あらすじ

蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし。
やむをえない事情から3万冊超の蔵書を手放した著者。
自らの半身をもぎとられたような痛恨の蔵書処分を契機に、「蔵書とは何か」という命題に改めて取り組んだ。
近代日本の出版史・読書文化を振り返りながら、「蔵書」の意義と可能性、その限界を探る。

蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのかの感想・レビュー・書評

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  • 3万冊もの蔵書をどのようにして捨てるに至ったのか。著者の読書遍歴と共に紹介される。間には日本人はどのように書籍と向き合ってきたのかが紹介され、深みを増している。拙著「本で床は抜けるのか」を参考資料にあげてくださっていて、ありがたい。この本と「蔵書の苦しみ」と拙著の三冊が朝日新聞に紹介されていたが、絶妙な取り合わせだったと呼んでみて実感した。

  • 2018.2.17市立図書館
    webでも考える人の津野海太郎の連載で気になり、手に取った一冊。
    著者自身の何度かにわたる引っ越しや蔵書整理の経緯をふりかえりつつ、日本にはなぜ個人の蔵書家が多いのか、そしてそのかけがえのない蔵書が散逸しやすいのか、古今東西のエピソードを見渡しつついろいろな視点から分析し、最近のシェア・ライブラリーといった試みにも触れつつ、日本の蔵書思想の限界を考えさせてくれる。
    戦中に帝国図書館の蔵書と学者や蔵書家から買い上げた貴重書を長野に疎開させた秋岡悟郎と中田邦造の話は感慨深いが後日談まで読むと虚しくやるせない。「本バコ」から「本ダナ」への保管方法の変化などの指摘も印象深い。
    研究者や物書きという仕事柄資料がたまる一方の蔵書家と一読書好きの自分ではスケールの点ではとても比べることはできないが、いろいろ身につまされる内容。そして、わたしはどうしてこのように本を手元におきたがっているのだろう(図書館や出版・古書業界を信頼していないというか…)、と「蔵書」の意義への根源的な疑問を喚起してくれる本だった。

    カバー(背表紙)の「蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし。」がずしりと響く。

  • 自分の本についての話がもっと書いてあると面白かったな〜σ^_^;

  • 評論家であり作家でもある筆者が、蔵書を泣く泣く処分する過程を記しつつ、日本人の蔵書の志向、歴史(世界も含む)、傾向などを考察・分析もした書。

    僕自身も日々、家人のプレッシャーのもと本を処分しつつ生をやり過ごしているが、そんなささやかな本棚とは比べ物にならない蔵書たちへのレクイエム(それは同時に死を迎える人間を少しずつ死へ送り出している)のように感じられる。

    井上ひさし、江戸川乱歩などの蔵書の行方も興味深い。

    とにかく蔵書の維持にも処分にも体力が必要であるということがよく分かる。

    何も考えずに死んでしまえば本人は幸せであるが、残される者のものをことを考えると自分が辛い思いをするべきであろう・・・と考えた。

  • 自分自身の蔵書と比べても仕方がないが、今から少しずつ処分していくしかないな。戦時中の図書館の疎開のエピソードは、当該の本をかつて読んだが、すごいと思う。戦争はないのが一番。

  • 筆者が3万冊に及ぶ蔵書を処分するショッキングなシーンから始まる。それ以降、日本の出版文化の歴史などを追いながら、蔵書がどのように日常を圧迫するか、なぜ蔵書が増えてしまうのか、だけでなく、蔵書がどのように処分されてきたか、なぜ(図書館などへの)寄贈が難しいのかなど、様々な視点から『蔵書』というものを考える興味深い本だった。
    自分も万にはいかないが数千の本を所持しており、生活を圧迫し始めている。まだこれからどれだけ増えるのだろうと思うと、暗い気持ちになってしまう(尤も自分の場合は何かの研究で本が増えているなどではなく純粋に好きな本を買っているだけなので、どこかが引き取ってくれるアテもなく、まあ買取不可でもブックオフあたりに売ってもらえればと思っているのだけれど)。どうなることやら…。
    ただ気になったのは、『サブカルチャー』という用語の使用法。

  • 紀田さんはぼくが敬愛する文筆家の一人であり、著作集も一部?持っている。ぼくがいろんな分野の本に興味を持つようになったのは紀田さんのおかげである。たとえば『北越雪譜』等というような本は、紀田さんの本の本を読まなければ知り得ようがなかった。その紀田さんが『蔵書一代』という本を出した。意味は蔵書は一代限りで終わるというものである。子どもがいてもそれを継承してくれるとは限らない。いや、むしろ引き継いでくれることを期待してはいけないということばである。ぼく自身も自分の趣味の広がりとともに、研究の分野が広り、新しいテーマが見つかるごとに多くの本を買い入れてきた。これまで研究室の引っ越しを2度経験しているので、書架20本くらいは処分したことになるが、まだ研究室に20本はある。家にも8本ぐらいはある。これをこのままにして死ねば、あとに残されたものは困る。負の遺産である。紀田さんは増え続けていく本を置くために1997年に岡山の吉備高原に書庫を核とした家を建て、3万冊のうち1万冊をそこへ移した。そこではじめて紀田さんは自分が読んできた本の背を眺めることができた。本棚はその人が読む読まないにかかわらずその人の歴史、人格を反映するものである。そして、紀田さんはそこで隣人にも恵まれ14年の夢のような生活を送った。その生活を破ったのは、横浜にいた奥さんが骨折したことである。その後の老老介護を考えると、とても岡山にいることができない。そう悟った紀田さんは横浜に舞い戻った。しかし、そこで紀田さんが直面したのはやがてやってくる自分の終焉に対し、これだけの本をどうするかという問題だった。こんなとき強いのはなんといっても妻の方である。妻の方が現実的なのだ。そこで紀田さんは最後に移動式の書架2本分の本を残し,他をすべて古書店に売ってしまう決意をした。本書はその蔵書との最後のわかれから始まる。以上は紀田さんの蔵書歴を簡単にスケッチしたものだが、紀田さんは日本人の蔵書志向、蔵書維持の困難さ、個人の蔵書がどうして公共機関の図書館に寄贈できないのかなど、蔵書をとりまく様々な問題、東西の蔵書家の悲哀を合わせて描いている。ぼくは紀田さんのほどの蔵書をもっているわけではないが、身につまされる思いをした。

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