日本皇統が創めたハプスブルク大公家 國體ネットワークから血液型分類を授かった陸軍特務 (落合・吉薗秘史3)
- 成甲書房 (2017年11月2日発売)
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- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784880863627
作品紹介・あらすじ
「自分の役目はウィーン大學の血液學を盗みに行くようなものである」
欧州に極秘潜入した周蔵、それはハプスブルク家の企図だった!
十八歳で初対面の陸軍中将・上原勇作から「草を命ずる」と言われ、それを引き受けたときに吉薗周蔵の一生は定まった。周蔵はその日から永年にわたり、自筆の手記を認めてきた。そこには、上原付の陸軍特務として活動した周蔵の眼を通して、大正・昭和の日本国家の動きが裏側からとらえられており、その内容には今日の歴史常識を大きく覆すものがある。平和国家となった戦後日本の常識では理解しがたいことが、その時期には日常行われていた。東京裁判史観とそれに基づく社会教育の結果、当時の世界状況と日本を取り巻く欧米列強・アジア諸国の実情から目を逸れされた戦後人は、その時代の祖国と父祖の実績をいたずらに悪意をもって見ようとしてきたが、我々の父祖は痴呆でもなく狂気でもなかった。ただ生を享けたこの国と、ここに住む家族を外国の奴隷にせぬために、あらゆる努力をしてきたのだ。それを実証するのが「吉薗周蔵手記」である。
―日本は明治になって、大忙しで外國文化を見た国であるから、きっと浮き足立ったところがあったのであろう。然し日露戰争は大変だったにしろ、日本はシッカリと勝ったのである。その時にロシア公使館付武官の立場におられた明石元二郎と云われる人物と私は知り合った。この人物は、まるで一人で勝利に結びつけたような人物である。日露戰争がはじまるやいなや、スエーデンの首都ストックホルムに行き、戦法の策士、つまり竹中半兵衛と同じ軍師になったのである。―[吉薗周蔵「敗戦カラノ記」より]