日本皇統が創めたハプスブルク大公家 國體ネットワークから血液型分類を授かった陸軍特務 (落合・吉薗秘史3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784880863627

作品紹介・あらすじ

「自分の役目はウィーン大學の血液學を盗みに行くようなものである」
欧州に極秘潜入した周蔵、それはハプスブルク家の企図だった!


十八歳で初対面の陸軍中将・上原勇作から「草を命ずる」と言われ、それを引き受けたときに吉薗周蔵の一生は定まった。周蔵はその日から永年にわたり、自筆の手記を認めてきた。そこには、上原付の陸軍特務として活動した周蔵の眼を通して、大正・昭和の日本国家の動きが裏側からとらえられており、その内容には今日の歴史常識を大きく覆すものがある。平和国家となった戦後日本の常識では理解しがたいことが、その時期には日常行われていた。東京裁判史観とそれに基づく社会教育の結果、当時の世界状況と日本を取り巻く欧米列強・アジア諸国の実情から目を逸れされた戦後人は、その時代の祖国と父祖の実績をいたずらに悪意をもって見ようとしてきたが、我々の父祖は痴呆でもなく狂気でもなかった。ただ生を享けたこの国と、ここに住む家族を外国の奴隷にせぬために、あらゆる努力をしてきたのだ。それを実証するのが「吉薗周蔵手記」である。

―日本は明治になって、大忙しで外國文化を見た国であるから、きっと浮き足立ったところがあったのであろう。然し日露戰争は大変だったにしろ、日本はシッカリと勝ったのである。その時にロシア公使館付武官の立場におられた明石元二郎と云われる人物と私は知り合った。この人物は、まるで一人で勝利に結びつけたような人物である。日露戰争がはじまるやいなや、スエーデンの首都ストックホルムに行き、戦法の策士、つまり竹中半兵衛と同じ軍師になったのである。―[吉薗周蔵「敗戦カラノ記」より]

著者プロフィール

落合 莞爾
1941年、和歌山市生まれ。東京大学法学部卒業後、住友軽金属を経て経済企画庁調査局へ出向、住宅経済と社会資本の分析に従事し、1968~69年の『経済白書』の作成に携わる。その後、中途入社第1号として野村証券に入社、商法および証券取引法に精通し、日本初のM&Aを実現する。1978年に落合莞爾事務所を設立後は経営・投資コンサルタント、証券・金融評論家として活躍。日本および世界の金融経済の裏のウラを熟知する人物として斯界では著名な存在である。著書に『金融ワンワールド』、落合秘史シリーズ として『明治維新の極秘計画』『南北朝こそ日本の機密』『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』『奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新』『京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘』『欧州王家となった南朝皇統』『日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義』、』國體古代史に敢然と挑んだ『天皇とワンワールド(国際秘密勢力)』、『天皇と黄金ファン』、「天孫皇統になりすましたユダヤ十支族』(いずれも成甲書房刊)がある。

「2017年 『活字に出来ない《落合秘史3》』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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