一休道歌

制作 : 禅文化研究所 
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784881821220

感想・レビュー・書評

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  • 池田某が、狂雲集とともにあげていた一冊。坂口尚の『あっかんべぇ一休』を読んでから、この一休といふ人間がどのやうにものを考へ、生きて死んでいつたのか戀ひ焦がれたかわからない。
    乱世の中に産み落とされ、数奇なご縁から僧侶として生きることを定められ、時に苦しみ、時に悲しみ、それでも彼は自分自身の等身大で生き抜いた。
    世界からひとの苦しみはなくなることはない、けれど、苦しみもまたひとつの流れの中にある。喜びも悲しみも同じ掌の裏と表、右手と左手の間にあって輝くものだ。さう知つてしまつた。不自由であるから自由であると知つてしまつた。生命の輝きがこれほどまでにまばゆいものであるとは。
    存在すること、それ自体がすでに分かち隔てることの始まりである。分かつことは清いものも穢きものも生み出してしまふ。何かを捨てやうとすること自体が、穢れを厭ふ欲の現れなのである。どうあつても、欲を捨てることなどできやしない。存在せずには居られない、この驚くべき事実。生きてゐるからこそ、死んでゆける。一生とはこの死んで行く生を愛おしむことにあつた。
    ここまで知つてしまふと、逆に生きにくくはなかつたのか。坂口尚の一休は、常に世に遍く糸を張り巡らす蜘蛛、虚無との闘いが描かれてゐる。ここに書かれた数々の歌は、彼が自分自身に言い聞かせるやう、そのやうな気がする。惱み、苦しむひとに対しても、ものをわかつた気になつて騒ぎまき散らすひとに対しても、彼は自分の知りえたことをつと嚴しくもやさしく、まるで自分自身を勵ますやうな。
    風狂とは、周りの評価であつて、決して彼自身狂つてゐるつもりはない。いや、自分が他のひとよりも狂つてゐることを誰よりも知つてゐる。人間等身大に生きて死ぬことに、僧侶であることも、男であることも、身分の貴賤もなにひとつ関係ないのである。それを堂々と生きただけである。それができるからこそ、まじめに狂つてゐると言へやう。

  • とんちも良いけど、本当の一休を知れる歌も良い。

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