国文学の時空―久松潜一と日本文化論

著者 :
  • 三元社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784883030941

作品紹介・あらすじ

日本文化・日本文学は、どのような時空のなかで整序されてきたのか。「まこと」「もののあわれ」「わび」といった今日でも日本文化論のキーワードとされる概念は、その時空にいかように配置されていったのか。「今に徹する」ものとして時代と調和的に構築された「国文学」が、敗戦をのりこえようとした回路を、一国文学者の議論を中心に検証する。

感想・レビュー・書評

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  • 久松さんの本を読んでいて常々感じていた古典文学に対する概念の当てはめに意味があるのか?という疑問が本書を読んでより大きく膨らんでいる。「もののあわれ」やら「ますらおぶり」やら久松さんの言う意味での「まこと」などという言葉は古典文学の解釈以外では使用されないわけで、文学の解釈にのみ使用される言葉で文学を説明する意味は何なのか。ディティールに拘らずに本質を捉えようとするといえば聞えはいいですが、結局都合よく抽出した概念を取りあげていたようにしか、今となっては見られない。そして取上げられたものが悉く戦争をするのに都合のいい概念だったことが、最大の問題である。
    近代化が始まったのと同時に日本は戦争へと歩んでいたと思うので、当時の国文学者を一概に糾弾するつもりはない。古典から求められた「日本特有」の強さや美しさの概念は、西欧からの外圧で西洋化しなければならなかった日本人にとって非常に気持ちのいいものだったと思う。時代の要求だった、と言っても良かったかもしれない。(この議論自体が彼等の戦争への加担を証明してるようなものだけれども)
    ただ、戦後の彼等の対応は、卑怯だったのではないか?と本書を読んで改めて感じた。彼等が責任を逃れたことで、戦後の日本というのは更にややこしくなってしまったように思うのだ。戦中に政府が統制に使っていた思想には、国文学者の思想と研究がかなり反映されている。その彼等が戦後戦中の自身をしっかりと位置づける作業をせず、うやむやに逃げてしまったので、後世の日本は、結局何を本当に反省すべきだったのか、わからなかったのではないかと思うのである。

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著者プロフィール

現在 一橋大学大学院言語社会研究科教員。
[著書]
『植民地のなかの「国語学」』(三元社)、『帝国日本の言語編制』(世織書房、以上1997年)、『「言語」の構築』(三元社)、『〈国語〉と〈方言〉のあいだ』(人文書院、以上1999年)、『近代日本言語史再考』(2000年)、『国文学の時空』(2002年)、『脱「日本語」への視座』(2003年)、『日本語学は科学か』(以上、三元社、2004年)、『辞書の政治学―ことばの規範とはなにか』(平凡社)、『統合原理としての国語』(三元社)、『「国語」の近代史』(中公新書、以上2006年)、『国語審議会』(講談社現代新書、2007年)、『金田一京助と日本語の近代』(平凡社新書、2008年)、『「多言語社会」という幻想』(三元社)、『かれらの日本語』(人文書院、以上2011年)、『日本語学のまなざし』(三元社、2012年)、『漢字廃止の思想史』(平凡社、2016年)『近代日本言語史再考Ⅴ』(三元社)、『大槻文彦『言海』』(慶応義塾大学出版会、以上2018年)、『「国語」ってなんだろう』(清水書院、2020年)

「2021年 『「てにはドイツ語」という問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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