真実のサイババ

著者 :
  • 三五館
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本棚登録 : 61
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784883200320

感想・レビュー・書評

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  • 一応読んだ

  • サイババはアヴァター、つまり人間の肉体を借りて降臨した神そのものらしいです。
    ただ、サイババは私たちも神だと言っていますけどね。
    一般的にサイババといえば、手からパウダー状のものを出す物質化現象が有名ですが、まあ、聖者と呼ばれるような行者であれば同じようなことをできる方も結構いらっしゃった訳で、それをインチキだ何だと言うのはこの世の仕組みを全く知らない無知な方なのです。

    本書で紹介されていた「光の瞑想」をやってみました。結構、良いかもしれません。

    レベル:707

    ものすごく高い数値が出てしまいました。評価は星3つなのに(汗)
    まあ、多分、サイババの教えのレベルの高さに対して、本がそれを伝え切れていないということなのだろうと思います。
    本格的にサイババを知りたければ、別の書物を読んだほうが良いかもです。

  • 青山圭秀著「真実のサイババ」三五館(1994)

    なかなか心にずしんとくる言葉が多かったです。

    * インドにある2つの壮大な叙事詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』がある。1つは、ラーマ王子の物語、もう1つはクリシュナである。
    * ヴィシュヌ神の化身ラーマは国民的英雄として、シーターは貞潔さの鏡として、ラーマの弟ラクシュマナは孝順の模範として、猿将ハヌマーンは忠節の権化として、それぞれ崇拝されている。
    * クリシュナが現存したのは今から5000年ほど前のことといわれている。いとこ同士に当たる2つの王家、カウラヴァとパーンダヴァとの間にインド帝国を賭けて戦われた戦争である。
    * 「全ては芝居であり、全ては戯れ」というこの考え方に限りなく惹かれる。実際この世の中は1つの舞台であり、われわれは一人一人、主人公として舞台にたっている。
    * 移り行く現象を超えて、より深い内面に達成する事。そのレベルかrあ、適切な行動を起こす事。それらのことをラーマとクリシュナは教えている。
    * 宗教は、家族、社会を捨てなければならないという人々も多い、しかし、サイババをそうではないと説いている。まず両親あっての師である。そして家庭の調和というものが社会の基盤であり、ひいては世界に幸福をもたらすものであるという。
    * まず自分自身を信じる事だ。そして、至高の神を信じる事だ。自分と神を信じるとき、他人が良かろうが悪かろうが、お前とはかかわりの無い事だ。
    * 我々は、教科書からではなく、教師の人格から学ぶという事実がある。さらに我々は何かの難しい理論からではなく、一つ一つの小さな事実から学ぶ。
    * サイババは、大気の汚染は食べ物に影響を及ぼすと語る。その食べ物から人間の身体がつくられ、その身体から想念が沸き起こる。そうして、われわれの性格や想念、行動がきまってくる。大気が清らかで、邪悪な波動に汚されていなければ、食べ物も、そして人の心も純粋なものになる。今日、環境問題が声だかに叫ばれている。環境を思うのは大切で、尊いことである。しかし、環境問題は、究極的には人間一人一人の内側の問題であることを、われわれはまず理解すべきである。問題や悪は自分の意識の内にある。
    * 我々の人生の目標は幸福になることである。理性はじょじょに、真の幸福は自己の内面よりほかに求める事はできないことを悟り始める。そして、人は更なる自己を探求する旅にでるのである。自己を出発して、自己に戻るたびである。自分の求めていたものは、実に自分自身の中にあることを悟る旅である。
    * われわれの苦しみや悲しみのすべては弱さに起因している。そしてその弱さは、無知から来ているといって良い。無知、無明とは何か?それはつまり自分とはなにか?を知らない事である。今日、人びとは、自己の本性以外のものなら何でも知りたがる。しかし、不幸にも自らの真の姿を知ろうとはしない。
    * 人が遊ぶときなぜあれほどまでに集中できるのか?それは結果に執着しないでよいからである。ところが、仕事となると、状況は一変する。執着の心が芽生えると、そこから恐怖が生まれ、苦しみが育っていく。そうではなくて、喜びをもってたんたんと自分の責務を果たしていくこと。それをサイババ勧めている。
    * 死ぬ事を西洋の言葉では「命を失う」というが、インドでは「肉体を去る」という。西洋では人は肉体を持ち、肉体に魂が宿るというが、インドではひとは魂であり、魂が1時肉体の衣をまとうという。したがってインド人は感覚の楽しみと世俗の栄光を追い求める文明や文化は砂上の楼閣であり、崩れ去る前のわずかな時間が輝くだけのものと考えている。
    * 心は本来の目標に向かうよう、繰り返し軌道修正をする必要がある。それを行うのは、心よりももっと深いレベルにある理性であり、感性である。
    * 人はみな、いずれ、自分が思い描くような存在になっていくという原則がある。
    * 幸福がやってきたら感謝して、それを静かに楽しみ、不幸が着たら、また感謝して静かにこれを偲ぶ。そして、その両方から何かを学び成長する。
    * 最高の幸せはシャンティ、つまり内側の平安である。

  • もう1度読みたい本です

  • 当時マスコミがサイババを取り上げていた頃、
    本物かニセモノか論争にゆれた。

  • 数年前に「理性のゆらぎ」を読み、ようやくこの本を読みました。
    「理性-」や「アガスティア-」に比べると学問的(?)な内容も多く、少し難しいです。
    なんだか、よくわかりませんが青山さんは信用できると思います。

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著者プロフィール

作家。1959年広島県生まれ。東京大学大学院博士課程修了。量子物理化学を専門としながら、インド伝承医学とその哲学的基礎に関心を持つ。著書に『理性のゆらぎ』、『大いなる生命学』『祈りの言葉』など。

「2008年 『地球人12号 アーユルヴェーダ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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