「今は家族を自分の作品のように誇り、それをたえず他者から確認してもらうことで家族を維持している。他者からどう見えるでつくられる家族が今の家族である。同様に、子どもも、「自分の作品よ」と誇る時代が来るのではないかと危惧している。」
これが出版されたのが、1997年。今、まさに、著者が危惧していたことが現実になっているのではないか。
それは、ますます悪化しつつあるのではないか。
ただ救いなのは、今までは、隠されて弱者が耐えるしかなかったことが、白日のもとに晒され、仕方がないと諦めていたことが、仕方がないことではないのかもしれないと、考えが変化していっていることだと思う。
いまだ、家族に幻想を抱いている人は多いと思う。家族とは何なのか?
p77に一つの指標のようなものがある。
「家庭というものは、勝つ負けるというものから自由でなければいけない。支配する、されるから自由でなければなりません。つまり自分が自分のままで生きて、なにか安心できて、ご飯がおいしく食べられて、だらしなくしていても許されて、自分が何か言ったら聞いてくれる人がいる、それだけでいいんです。ところが、それが全然ない家族がどれほど多いことか。」
きちんとしなければ、許されない場所に、安らぎはないと心底思う。
そして、こういう場所をこどもに与えるために、大人は努力しなくてはならない。
p133
「親が子を支配する共依存というのは、必ずその対象が不幸でなければなりません。」
怖いなと思う。こどもの不幸を望む親。珍しいことではない。そして、こういう人ほど、自分こそが被害者で我慢していると思い込んでいる。それが怖い。
全体的に、苦しんでいる人に寄り添ってくれるような印象を受ける本だった。
それが苦しいのなら捨てればいい。
シンプルで、自分の覚悟が必要だけど、自分の覚悟さえあれば何とかなるのかもしれない。
そう思わせてくれる本だった。