歴史の授業で教えない 大日本帝国の謎

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784883929689

感想・レビュー・書評

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  • 以前、大日本帝国というのがあって開国後に現在の名前で言うところの、中国やロシアを戦争で破り、最後には太平洋戦争で負けてしまったことは知っていますが、そもそも現代史を勉強する事には授業時間数が足りなくて学校で何を習ったか恥ずかしながら記憶にありません。

    そんな私にとってこの本は現代日本史を学習する良い機会となりました。太平洋戦争が終了する直前(玉音放送日の未明)にクーデターらしきものがあったというのは驚きでした。

    今(2014.6)「M資金」という小説を読んでいて、その記述があり本当かどうか疑問に思っていたので良いタイミングでしたね。

    また、陸軍が世界で唯一、潜水艦を製造していた(p186)、原爆が投下された浦上天主堂が残されなかった経緯(p205)等も興味あるものでした。

    以下は気になったポイントです。

    ・朝鮮半島がロシアの植民地になればロシアは大規模な艦隊を容易に日本へ送れこめれるようになる、その前に朝鮮半島の安全を確保しなければ日本が侵略されるのは秒読みであった、たとえ勝算がなくとも戦わざるを得ない状態(p12)

    ・日露戦争前の10年間、日本は軍備拡張に国家予算の約半分を注ぎ続けた。ロシアの傍らには三国干渉にタッグを組んだフランスとドイツがいた。(p13)

    ・日英同盟は、日英どちらかが戦争したときに、その敵国に味方する国が現われた際には参戦するという取り決めがあった(p14)

    ・バルチック艦隊が旅順港の太平洋艦隊と合流すればロシア艦隊は日本の倍以上になる。太平洋艦隊を壊滅させるためには旅順要塞を落とす必要があった(p16)

    ・日露戦争はつい最近まで続いていた、1905年にモンテネグロ公国がロシア側にたって日本に宣戦布告していた、これが無視されたので講和条約に招かれず、法律上は戦争が続いていた。2006年に日本はモンテネグロに戦争終結文書を送り終結した。もし日本への宣戦布告が受諾されたらイギリスの参戦とともにドイツ、フランスが参戦する世界大戦になっていた可能性あり(p17)

    ・日清戦争前の日本と清の国力の差は子供と大人ほどの差があると思われていた、常備軍は150万人、北洋艦隊の主力戦艦「定遠」「鎮遠」は当時世界最大の30.5センチ砲を四門そなえていて世界最強、本土での防衛作戦も日本は準備した(p26)

    ・当時の清は私兵の集まりであり、近代的兵力は3-4万人程度、そこに24万人の兵力を送ったので勝って当然(p27)

    ・第一次世界大戦は、「あらゆる戦争を終わらせるための戦争」といわれるほどの大戦争で世界各地で行われ、その期間も4年4ヶ月、動因兵力は6500万人、日露戦争の双方80万人と比較して大きい(p30)

    ・大政奉還は倒幕後の内戦を防ぐための政治工作、西洋列強に付け入る隙を与えなかったのが日本が植民地にされなかった最大の理由の一つ(p54)

    ・廃藩置県によって藩が領内から徴収していた税はすべて政府が使う事になるが、一方で借金も肩代わりしたので好都合と受け止めるケースもあった、さらに中心となっていた、薩摩・長州・土佐が受け入れていた(p60)

    ・近代的な国家像にそぐわないとして、1872年に装飾用の刺青は非合法化された(p65)

    ・天皇の神格化が急速に強まり、現人神として扱われ始めたのは日中戦争が始まる2年前の1935年、つまり大日本帝国末期の10年間程度(p70)

    ・昭和天皇が自分の意志で政策を決定させたことは、1936年の2.26事件の鎮圧、太平洋戦争の降伏の2回のみ(p71)

    ・日本は明治においても強い輸出力をもっていたので貿易大国になれたし、西洋の植民地にされることはなかった。日本は太い糸を紡いだ厚手の綿布を生産、イギリスは薄手であり別の市場に向けて商売していた(p75、78)

    ・明治初期の徴兵制度では10人中一人しか合格でなかった、終戦間際の1945年は9割が兵隊となった(p84)

    ・終戦時の4大財閥(三菱、住友、三井、安田)の払込資本金は日本全体企業の半分を占めていた(p86)

    ・1898年の民法改正により、25歳未満の離婚は双方の親の承認が必要となり離婚率は減少した(p98)

    ・1900年に未成年者喫煙禁止法が施行されて20歳未満の喫煙が禁止になる、理由は学校での喫煙は秩序を乱すためであり健康に有害という理由でない(p116)

    ・新橋ー横浜間の最初の鉄道路線(29キロ)は3分の1が東京湾を埋め立ててつくった細長い土手の上を走っていた(p139)

    ・ゼロ戦は1941年までの中国戦線で敵機の撃墜・撃破は266機に対して、損失は対空砲火の2機、投入されたのは30機のみ(p146)

    ・堀越によって戦争末期に開発された、ゼロ戦の再来とよばれる「烈風」に搭載された、誉エンジンは馬力200の怪物であったが実戦配備できず(p149)

    ・明治時代まで人間が感じる味は、甘・酸・苦・塩の4つだけと考えられていたが、昆布や鰹節から出汁をとると料理の味に「コク」が加わる、これを「うまみ」とした(p154)

    ・パナマ運河は狭く33メートル以上の横幅をもつ戦艦は通れない、この制約からアメリカが太平洋に投入できる戦艦のスペックの限界を試算して、大和のスペックがそれを上回るように設定した(p163)

    ・ミッドウェー海戦に敗北していても、半年以上は戦場の主導権を握っていた(日6米3の空母)が、1943.6の時点で太平洋上の空母は6:11、その1年後には、6:21となり決定的となる(p180)

    2014年6月28日作成

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著者プロフィール

ライター、フォトグラファー。1985年生。日本大学藝術学部、ニューヨーク市立大学ジャーナリズム大学院卒。朝日新聞出版、メール&ガーディアン紙(南アフリカ)勤務等を経てフリー。アジア、アフリカ、南アメリカの国々を中心に公共政策、コミュニティ、貧困問題等をテーマに取材・執筆を行う。著書に『SLUM 世界のスラム街探訪』『アジアの人々が見た太平洋戦争』『大日本帝国の謎』(いずれも彩図社)がある。

「2020年 『世界最凶都市 ヨハネスブルグ・リポート』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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