- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784883993666
感想・レビュー・書評
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古代インドの〈ブラフマン〉=個別的生命力の源、と〈アートマン〉=宇宙創造の原動力とは究極には一致する、というウパニシャッド哲学は魅力がある。それを否定したのが釈迦の「無我」「一切皆苦(我に執着することが苦の原因)」だった。単純だが、恐ろしい現実に直面する教えに従い家を捨てセックスも絶ち邁進する弟子が続出する(まるでオウム真理教)不思議な説得力あった釈迦の死後、数百年経って「釈迦の真意はそうではない、万人が救われるはず」という大乗が興起して「大乗経典」を堂々と釈迦の業績とした…日本では体育会系修行が仏教だと…
「不立文字」を標榜する禅宗はよくしゃべる。あたかも、前衛芸術が解説の巧みさで成り立っているように。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
経典は元々口伝で曖昧(他の宗教もまあまあそう)
現代の仏教のイメージには誤解が多い
仏は超越した存在ではない。
輪廻転生の概念はない。等
仏教の本質は
縁起(全て繋がっている)と
空(全てモノではなくコトである)
なんとなく、「その宗教の本質」ってのが
学者的にはあるのだと思うが
地域毎に使い易いようにカスタマイズされているのだろうと推測。
後半紙面が余ったのか我慢できなくなったのか説教くさくなったが、難解になりがちなテーマを最後まで平易な言葉で説明してもらえてありがたかった。 -
チョー分かりやすく面白い
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白取春彦著『仏教「超」入門』すばる舎(2004)
* 自分自身の心がすでに仏である。そのことが分かれば、それが成仏である。しかし、いつまでたっても自分に迷っているのでは仏ではない。
* 欲望と欲求の違いは、欲求は、生存に必要なもので、食実睡眠などである。しかし、性欲は生存には必要ない。生存のためには選択の余地がない。
* 人生とは損得の戦いではない。結局は、人間と付き合っていくことに終着する。そのために必要なのは真実と真摯さであることに疑いはない。
* 『縁起』をしり『空』をしるこれが悟りです。
* 「仏教における縁」とは、すべてのものが関係し合ってお互いの存在を支えている。この世のどこを見ても、一切を縁起の理が貫いている。これがブッタの悟りである。最初から自分というものが存在しているのではない。多くの人とモノと事柄との関係から自分というものが今個々にこういう風にありえている。つまりこの世のなかのいっさいがあなたという存在を支えている。またあなた自身が他の人はものの存在をさせている。こういう関係を仏教では縁という。
* 「仏教における空」とは、そこに見えているものには実態がないということを意味している。ふつうは実態があるからこそ、そこにモノや人が存在していると考える。しかし仏教はその存在はたんに現象にすぎないのだと見る。だから、空とは決して存在の「無」を意味する言葉ではなく、実態の無を意味すると同時に現象の「有」を意味している言葉だとなる。では、そこに実態がないのに、どうして現象が生じているのか。現象が相互に限定したり依存したりすることによってである。現象のこの孫後依存は、縁起とよばれる関係である。縁起によって、現実世界がここに生じているというわけだ。したがって縁起が分からなければ空の意味が分からなくなる。
* 努力が良い縁起をつくる
* これまでに無数の縁があったからこそ、今の自分がここに命をもって存在している。
* 自由になりたいのだったら、今のままで自由にいきればいい。ここに自由がないのではなく、自分が自由になっていないのだと気づけばいい。人間は不思議なもので何か都合が悪いことがあってもなかなか自分のせいだとは思わない。自分を不自由にさせているものはナンなのだろうかと自分の外に何か原因を探そうとする。しかし、自由を感じるのも、自由に動けるのも自分なのである。自分に自由さを許すような何かが外にあるわけではない。
* 自分から働きかける、自分からやさしくする。笑顔を向ける。声をかける。気持ちのいい挨拶をする。それらはみな、縁をつくる行為である。あなたが自由だと感じる縁をつくるもっと尾効果のある働きかけなのである。
* 物事は心に基づき、心を主とし、心によってつくりだされる。
* 世間の価値観や会社の方針に沿い、人並みに生きようとするかぎり煩悩はつきない。いつまでたっても不満が多いものだ。それはすべてそろっていなければ満足できないし、何事もできないとダダをこねているようなものではないか。縁起と空を郷って生きるとは、そのようなところからさっぱりと出て、何にもおもねることなく、惑わされることなく、今のこの自分の人生を全力で生きるということにほかならない。
* その花は美しいか、美しくないか。この問いには誰にも正確に答えられない。なぜなら、美しさはその花に付随している何らかの要素ではなく、花を見る人の感性の働きだからだ。心が何かの事柄に捉えられていれば、花に美しさを見る余裕もなくなる。これを言い換えれば心がどこに向いているか、そのことによって世界はその人にとって意味を変えていく。世界は自分が見ているまま、他人にも同じに見えているわけではない。心だけが世界に見え方にかかわっているわけではない。自分がなした行為はより一層強く世界に影響を及ぼすし、その前に自分が何者であるかを明確に語るものでもあろう。 -
仏教哲学というか、倫理について。それも出典が明らかでない章が多く、仏教教義を解釈して倫理を語るのではなく、ただ筆者の倫理観が延々と述べられるだけ。これは仏教を盾にした自分語りだろう。入門書どころか読み物として不適切。
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ブッダを正しく理解するための良書である。
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仏教に関する入門書であるが、日本の仏教に関する問題点を取り入れながら書かれており、仏教観を深めることができました。
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やっぱりおかしいと思ってたのです現世の仏教は。「日本人の仏教に抱いているイメージはヒンズー教とキリスト教の知識から合成されたもの」「仏教は輪廻や生まれ変わりを否定するから仏教なのです」って。ほら、ちまたの仏教亜種の宗教はみんな輪廻とか言っているでしょ?
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仏教へ誤認識を痛感させられました。
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愛することは執着することではない。