ホリスティック臨床教育学 -教育・心理療法・スピリチュアリティ-

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  • せせらぎ出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784884161385

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  • 〇以下引用

    臨床教育学の課題は、治療的でケアリング的な教育の在り方を追求していくこと

    心理療法やスピリチュアリティは既存の接つ木されるのではなく、教育の不可欠な領域として位置付けられなくてはならない

    人間の全体的な成長とは、意識レベルが人格を越えて魂からスピリットの次元にまでおよぶこと

    ホリスティック教育の実践では、教育的方法に加えて、心理療法霊性修行の方法が重要な働きを担うことになる。ここでいう教育的方法は多様な体験的学習の手法をふくんでいる。

    ホリスティック臨床教育学の試みとして、教育と心理療法と霊性修行を統合する試み

    ケアリングの成否は決して特定のカリキュラムや教育プログラムにのみ還元されるものではない、それはむしろ教育空間の雰囲気や、その場所にふくまれる癒しと成長を育む力に大きく左右される。

    ★学校の雰囲気が柔らかく人を包み込み、いたわるようなエネルギーにみたされている。人が庇護されれ育っていく空間のように感じられた

    スピリチュアリティの教育は、通常の意味での宗教教育、即ち特定の宗教や宗派を背景として、その教義や儀礼や行動規範を教えるような教育形態とあ異なるものであり、「自己を知る」という意味で、自己の内面を探究する活動であり、また世界の不思議さや無限性にふれるような活動

    教育に必要なのは、自己や世界の無限な深みを感じられるような「開け」をふくむこと

    自己実現よるも自己超越に重きを置いた

    パーカー・パーマーは、学校に特定の宗教をもちこむことに強く反対し、「いわゆる<学校での祈り>もふくめて、私は公教育のなかにどんな形の宗教をもちこむことにも、反対する」と述べている。「しかし、教えること・学ぶこと・生きることにふくまれるスピリチュアルな次元を探究するための、どんなやり方にも賛同する」と述べ、霊性と宗教を明確に区別する。

    <スピリチュアル>ということで、私は、どんな信仰の伝統にもある信条を意味しているのではない。、、、、私が意味しているのは、古代から今につづく人間の探究しん、つまり自我よりも大きな、もっと信頼できる何かとのつながりを求めることである。それは、自分自身の魂のつながり、他の人とのつながり、歴史や自然とのつながり、スピリットの見えない息吹とのつながり、生きていることの神秘性とのつながりを探究することである

    教育から宗教を切り離す過程で、宗教と霊性を同一視して人間のスピリチュアリティにかかわる教育がすべて排除されてしまうと、若者の探究心は充たされず、彼らの意味喪失感を助長することになり、ひいては彼らがカルトのようなものに惹きつけられる原因にもなりかねないからである。

    ジェームス・モフェットは「教育を霊性と結びつけるうえで、どんな宗教の教義を教えることも、道徳的な説教をする必要もない」と主張する


    ★★いわゆる宗教教育は特定の宗教を背景として、教義や儀礼や行動規範を教えるような教育形態であるのに対して、霊性は個人のなかで体験されるトランスパーソナルな存在次元であり、それは必ずしも宗教や宗教教育を媒介としなくても体験される

    リンダ・ランティエリ「宗教は実際のところ、人の霊的な本性のひとつの表現でありうるが、多くの人は彼らの人生のスピリチュアルな次元を、特定の宗教に寄りかかることなく育んでいる」。

    人生の意味、創造性、美、愛、慈悲、叡智、正義などの諸特性は、霊性への通路であると同時に霊性の表現である。


    宗教と霊性を区別する文脈のなかで、宗教というのは、教義、儀礼、道徳的行動規範、象徴体系、組織等を備えた制度的な信仰のシステムのことを意味している。これに対して霊性を構成するのは、個人の内的体験、体験をとおした自己の存在様態の変容、そして変容を導く修行プロセスなどである。霊性とは、人が自己探求をとおして、自己の存在次元を深め、魂やスピリットの覚醒へといたるプロセスである。宗教が外的な制度への適応過程をふくんでいるのに対して、霊性は個人のうちなる次元の探究過程に目を向けている

    ウェイン・ティーンズデールによれば、「宗教的」というのは、人が特定の宗教的伝統に属し、その実践をおこなっていることを意味するが、それに対して「霊的」というのは、人が「内的発達の過程に個人的に専心していること」を意味する

    宗教は、人が霊的になるためのひとつの通路であるが、「必ずしも宗教的人間がすべて霊的というわけではなく、、、霊的な人間がすべて宗教的というわけでもない。」

    宗教は社会を構成する文化的制度であり、宗教的人間とはそれによく適応した人のことである。これに対し霊性は個人の内的次元を探究してゆくことである

    宗教的な人間の多くは、みずからの決定をするのに制度ー教会、シナゴーク、寺院、モスクーに頼る。内なる方向に目をむけるというよりも、むしろ彼らは外的な信心に自己をあわせることで、その霊的生活をかたちづくる。

    教義や儀礼は形骸化しやすい

    ダイナミックで探究的なプロセスとしての霊性、構造化された形式としての宗教

    霊性は決して外から教えられ与えられるような知識ではなく、人が自分自身を深く知るなかで、みずから気づいていくものである。ムーアが言うように、「私たちが霊性という観点から学ぶとき、私たちはより生き生きと、自分とは何か、この人生とは何かということに気づく」。それについて教師にできるのは、何かを教えることではなく、本人は自分のなかにあるものに対して気づきを深めるような機会を用意することである。この意味でムーアは、ソクラテスのいう産婆術や、プラトンのいう想起、全に、宗教教育の典型を見出している

    ★対話による教育は、ソクラテスにまでさかのぼるが、ソクラテスの対話的教育の中核をなしていたのは「魂のケア」であり、それは霊性教育のひとつの原型である


    魂のケアとは、魂の次元を日常生活のなかに導き入れてゆくことである。それは日常生活の全般におよぶ。

    神秘的体験-自分の最も内面の奥底において自分が破られる、絶対的なるものに直接触れられることによって内面に向かって自分自身を塞いでいたような自己という壁が破られて無限の深さがひらかれる

    ソクラテスは、教育ばかりでなく、キリスト教の司牧や牧会、さらには心理療法の先駆者

    ★ソクラテスが魂のケアを教育の中心に置いていたという事実は、臨床教育学にとって重要である。というのも、教育の原点に、ソクラテスを介して臨床教育学的な方向が存在し、そかもそれが教育の中核をなしていたからである


    ★ソクラテスがその教育的活動(対話・問答による吟味)をつうじて目指していたのは自己探求への導きであり、探究をとおして魂が目覚めるように助けることである。

    ★吟味はそれ自体、物質的・科学的なプロセスであり、それによって変容が自己自身のなかで起こりはじめる。この事実、そしてこの事実のみが、ソクラテスの偉大さと神秘性を説明できる。彼は問いを発したが、私たちと同じように問うたのではない。彼の問いかけは、人間の本性のなかに、精神と身体の和解にいたる回路、すなわち徳や力にいたる通路をつくりだしたのである


    ソクラテスの吟味は知的な議論にとどまることなく、身心の有機的統一体としての人間に自己変容を引き起こすものだったということである。

    ★魂のケアとは、人が表層的自己から脱同一化し、存在の深層に目覚める(それを想起する)ように働きかけることである

    ★プラトンに於いては、教育とは様々な既成の知識を外部から人に授与することではなくて、本源的聖域に帰還しようとする魂の飛翔を助成しつつ、これをして究極絶対の存在者、「善のイデア」に参着させる、一つのまぎれもない神秘道なのである

    ソクラテスは、人々を覚醒させる存在であった。

    ★ソクラテスは、たんに幻想を暴くだけの吟味者の次元をはるかに超えている。つまり、彼はひとつの臨在、個的な力であり、他者との交わりを通じて、他者のなかに両親と内なる神秘さを目覚めさせる者である、、、ソクラテスの存在は、高次なるものの味わいを伝えているのであり、ソクラテスの吟味は、人が頽落し幻想にとらわれていることに気づかせるのである

    ★ノディングスは、ケアリングという観点から教育の在り方を根底的に捉え直し、教育をケアリングの実践として再編するようにと提案している。

    ★「教育」を「ティーチング=文化を伝承すること」としてのみでなく、「ケアリング=心を砕き世話をすること」をふくみ、さらには、その過程に内在する「ヒーリング=癒し」をふくみ込んだ概念として再定義してみよう

    社会的身体としての日常的身体は各個人にとって「本来のからだ」ではなく、非本来的な様態へと疎外された身体として特徴づけられる。それはフーコーのいう「従順な身体」

    「疎外」から「本来性」への変容、すなわち社会的身体から本来的自己の身体への変容

    自覚とは、自分の内部や外部でおこっていることに気づくことである

    ★自覚のいくつかの特徴を示しておくと、まず「脱自動化」という特徴をあげることができる。自覚の技法で重要なのは、自動化した身体行動や感情や思考の動きを「脱自動化」することである。私たちの日常行動のほとんどは自動化しているが、自動化しているとは自覚を必要としないということ

    ★人間はその形成過程で社会的・文化的な条件付けを受け、社会や文化の行動様式を学習する。その結果、日常行動のほとんどは自動的・機械的に処理できるようになり、社会への適応が十分なものになる。
    →このような自動化した状態を、神秘思想家のグルジェフは「機械」と呼び、、、、教育を受けることで人間は不幸にして「自動機械」にされてしまう

    ★瞑想は必ずしも心理療法に取って変わるものではなく、むりそ両者はそれぞれ異なる役割をもち、互いに協力しあえるもの


    心理療法と瞑想が相互に置換できない理由として、たとえば自覚の瞑想は意識内容から脱同一化することを目指すが心理療法はむしろ意識内容のなかに深く分け入っていく、という点があげられる
    →これは瞑想=絵をみること、心理療法=その絵を現前にしての言語化というプロセスと同じだなと思った。「現」に身をおくことだけでは、回復しない、「現」において、その内奥にあるものをとりだしてくるためには言葉がいる。自動化している自分を、「現」に身をおくことでみつめ、そこから脱同一化し、そことの決別のために、つまりそこから自分をひきはがすために、言葉を使う


    ★心理療法のなかでは、私たちは問題となる材料に完全に同一化し、それをしっかりつかまえ、掘り起こしていく。これに対して瞑想では、手を緩め、それから脱同一化し、それがすぎゆくままにする

    ★自覚は、思考、感情、外部知覚などで構成される意識内容や、自動化した行動と次元を異にし、それらのプロセスや動きを見守る働き。意識と自覚のあいだには本質的なちがいがある。自覚は意識のなかで起こっていること、あるいは意識しているときに私たちの内部で進行していることについて、それを明確に知っている意識である。→第三の目というか、メタから、日常意識をみつめ、そのメタまで引っ張り上げる、ないしは統合させるということ、それをまずは見つめる(離れる)ための瞑想、その上での統合にむけたずれの感知としての心理療法という感じかな

    ★自覚は日常意識についての意識であり、メタ意識である。それは「観察する自己」と呼び、「思考的自己」「感情的自己」「機能的自己」から区別する。「観察する自己」は、思考・感情・身体の働きに気づくものであるため、自己の中心にある

    ★「自覚」は「意識」と区別される存在次元であるが、人間においてそれは現実態として与えられているのではなく、むしろ可能態としてあり、修練をとおして育まなければならない。「自覚の力は本質的に現実の力というよりも、むしろ無限の潜在力」


    非言語的な人文教育―運動感覚の訓練、特定の感覚の訓練、、、、、


    人が自己の不適切な使い方を習慣化するのは、潜在意識のコントロールに身を委ね、無自覚に行動するからである。これに対し、自己の使い方を再教育するには、その使い方を自覚しつつ、意識的にコントロールして、習慣化していた不適切な使い方を抑制し、有機体のプライマリーコントロール(本来のコントロール)に対して自覚的になることで、不適切なパタンが自動的・機械的に繰り返されることを防ぎ、それと同時に、からだの適切な方向付けをつねに意識しながら行動するようにする

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著者プロフィール

1959年、岡山県倉敷市生まれ。 同志社大学大学院博士課程中退、トロント大学オンタリオ教育研究所博士課程修了(Ph.D.)。立命館大学教授をへて現在、同志社大学社会学部教授。
著書:『ホリスティック臨床教育学』(せせらぎ出版)、『気づきのホリスティック・アプローチ』(駿河台出版社)、共編『ケアの根源を求めて』(晃洋書房)。
英文著作:Education for Awakening (Foundation for Educational Renewal)、共編 Nurturing Our Wholeness (Foundation for Educational Renewal)、共著 Nurturing Child and Adolescent Spirituality (Rowman & Littlefield)、Cross-Cultural Studies in Curriculum (LEA)。
翻訳:カンダ、ファーマン『ソーシャルワークにおけるスピリチュアリティとは何か』(共監訳、ミネルヴァ書房)、ハリファックス『死にゆく人と共にあること』(共訳、春秋社)。

「2020年 『ホリスティック教育講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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