職業としての小説家 (Switch library)
- スイッチパブリッシング (2015年9月10日発売)


- Amazon.co.jp ・本 (313ページ)
- / ISBN・EAN: 9784884184438
感想・レビュー・書評
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又吉騒動を予見したかのような小説家寛容論、とくにいらない芥川賞論や、最近パクリ騒動を予見したかのようなオリジナリティ観、学校教育というものへのつまらなさくだらなさや不信感またその逃げ場のサードプレイスとしての書物観、などなど数年前から書き溜められていたという講演風エッセイというわりには、様々にアクチュアルな今の日本の事象に絡みついてくる柔らかい言葉で綴られた「自伝」でありながら、深いところでの信仰告白があり、村上氏は基本なんというか「期待しない」が「信じる」というスタンスが基部にあり、無論謙遜含みつつであるが村上氏自身の作家能力に対してもその姿勢だし、また創作行為および文学ジャンル全般へ「期待しないが信じる」という姿勢を強く貫かれている。
逆に「期待ばかりしているが信じていない」という態度は我を含めて様々な領域で観る事例であるけども、何事にも不毛な結果しか招いていないし、またそういう態度をあからさまに出す人は、我を振り返って思うけど、自分自身へも様々な事象へも、妙に「期待ばかりして」妙に「信じていない」。
その「信じる」って何かっていうと別にスピリチュアルとかそういものでなく、変なレトリック使うと、こう「あけっぴろげの何かを預けてしまう」というか「もうこっちの思惑はどうでもよいから、そっちにすべて預けます」という、一番大事なものを頑強だけがとりえな金庫の中に抱え込まずに、そっちの本来の様々に自生する力に託すという姿勢であり、なんかこの姿勢が、氏の様々な問題の解決能力の基部になる重要なタフな楽天性なような気がします。
最悪の事態はあれど事態は必ずにそれ自らのうちで解決に至れるのだという確信を持たれている。
なので、波間に浮き沈む藻屑状況に目先だけで一喜一憂もしなければ期待もしない。ただ、底の深く重い流れの潮は信じ、その流れにおらっと身を放つ姿勢の、妙な開き直ったサッパリとした覚悟があり、それが潔くよく気持ちよく、また非常に公正にみえ、であるからこそ、読んでいるこちらまで不思議と快活に「しょうがないじゃないか」と開き直った気分になれるような、妙に自己啓発的な本でもありました。
もっとも、自らを「ごく普通の人間」と自覚される「村上春樹」という世界文学作家の修行僧にも似たストイズムは一切普通ではないユニークな位置に到達しており、第二の「村上春樹」という作家は今後あり得ないだろうなと思いますが、実作者が語る世界文学上の様々な作家のエピソードを裏付けするような「とにかく若いうちに多くの本を手に取った方がいい」というメッセージを発してくれてよかったなと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ダメだ春樹さんがかっこよすぎて辛いから、巻頭読んだだけで積ん読! カバーかっこよすぎる。
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何作か読んだことあるんですけど、独特の文体とか、(良い意味で)もやもやした読了感みたいなものの裏にあった作者の姿勢に触れられるのは楽しかったです。こういうすごい人がどういうことを考えて生きてるのかを聞けるのって幸せ
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僕はどちらかといえばただ頭に留める方を好みます。ノートをいつも持ち歩くのも面倒くさいですし 、いったを文字にしてしまうと、それで安心してそのまま忘れてしまうということをよくあるからです。頭の中にいろいろなことをそのまま放り込んでおくと、消えるべきものは消え、残るべきものは残ります。僕はそういう記憶の自然淘汰みたいなものを好むわけです。
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村上さんの小説家としての「思惟の私的プロセス」をまとめた一冊。
語りかけるような文体ではあるけれど、職業作家としての根幹に関することなので、こちらとしても背筋を伸ばして拝聴する、というかんじ。
だからといってかた苦しいわけではなく、とてもわかりやすい。
小説家になる予定はないけど、何度でも読み直したい。手元に置いておきたい。こういう生き方もあるんだなって、励まされるというか…うまく言えません。
とにかく、村上さんの小説に対する姿勢を尊敬するし、これからも村上さんの作る「物語」を読み続けようとあらためて思ったしだいです。 -
ある意味小説よりも面白かった。
僕はもしかすると、村上春樹という小説家が紡ぎ出す物語よりも、彼の文体、リズム、物事への姿勢というようなものが昔から好きなのかもしれない。 -
村上春樹のデビュー三作は面白いと思ったけど、そのあとは何が面白いかがわからないまま読み続けていた。でもこの本でなぜ村上春樹が書く小説に惹かれてしまうのか、納得ができた。「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ時にも感じたことだけど、この本で決定的になった。考えるのはもちろん頭なんだけど、その前にカラダが見たり聞いたり、時には歩いたり触ったり、そして書くというルーティンをすることでものごとが整理されていく。カラダは頭の代わりにせっせと情報取集してくれているわけだ。
村上春樹の”心の強靭さを維持するためには、その容れ物である体力を増強し、管理維持することが不可欠になります”という言葉にとても共感する。仕事で立ち向かっていく元気をなくしたとき、家庭でのポジションが後退していることに気がついたとき、オイラは走り始めた。カラダが健康になるにつれて、ココロも元気を取り戻し始めた。健康なカラダを維持するための自分なりのルーティンができた。ビックリするくらい、同じことを毎日繰り返すことになる。でも、退屈ではない。これがオイラのココロをいつも元気にする方法だからだ。村上春樹の小説のなかにルーティンをこなす登場人物が出てくることがあるけど、淡々として面白みがなさそうなその姿に好感をもってしまう。健全なカラダで丁寧な生活をすることで、ココロを穏やかに暮らしているんだな、って。だから村上春樹の小説は見かけによらずタフなんだと思う。「気分が良くて何が悪い」「十分に生きる」「健全な野心を失わない」、それぞれ印象的な言葉だ。 -
村上春樹さんの考え方が披露されていて興味深い。随所に本音がたくさんあって面白かった。村上さんの人となり 考え方 がある程度分かりますね♪
著者プロフィール
村上春樹の作品





