【新版】黎明 上巻

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  • 太陽出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784884699086

感想・レビュー・書評

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  • 黎明という本の名にふさわしい、我々のこれまでの狭い認識を突き破るような内容に溢れている。
    特に日本人にとっては震災に関する言及は非常に心にズシンと来るはずだ。
    自分の今この人生を生きる意味をじっくりと味わいながら、普遍意識(分離されていない、一体という意識)に近づけるように生きたいと思う。読み応えがすごい。

  • 「黎明」葦原瑞穂


    宇宙全体を一度に把握する意識のことを普遍意識と言う。

    色とは自然界に存在するものではなく、私達の視覚の仕組みによって心の中に生み出された表象、すなわち主観的な映像の一種に過ぎない。

    太陽光線のように知覚できる全ての波動にわたって均等な強さの電磁波が分布しているような光の場合、色の識別に関する3種類の神経細胞を同等に興奮させる。この時、私たちの心の中に無色の状態が造り出される。

    犬は人間が興奮した時に発生する僅かな揮発成分を感知して、感情の動きまで読み取ることができる。

    人間が音として知覚できる空気の振動は、低い方は16-30ヘルツ、高い方は15,000-22,000ヘルツ位。高い音を聞き取れる能力は高齢になるほど低下し、男性の方がこの傾向が顕著にみられる。

    私達が自分の外側の世界を意識している時、それは外の世界そのものを知覚しているわけではなく、五感を通して入ってきた情報が知覚システムの基本的な働きや、過去に造られた認識の様式の影響を受けながら、心の中に無意識のうちに表象を造り上げている。

    可視光線は、150-300テラヘルツ位までの電磁波。

    素粒子の世界では、エネルギーと質量は本質的に同じもの。現象として異なった姿を採っている。

    物質世界では、肉体の脳で外の世界を認識する機能が、時間に伴って働くという事情で意識が制約されている為に、私たちの意識が「現在の瞬間」という断面を造り出している。この結果、「過去から未来に向かって流れている時間」という感覚が生じて、「運動する粒子」という概念が生まれる。

    私たちの多くが肉眼を通して知覚できる光の範囲は、1オクターブ(知覚できる一番波動の高い光が、一番波動の低い光の2倍の振動数になる)位。

    原子には中心の原子核から外側に向かって、徐々にエネルギーの高くなる電子の軌道が段階的にあり、この軌道によるエネルギーの違いをエネルギー準位と呼ぶ。このエネルギー準位の高い方の軌道から低い方の軌道に電子が移動すると、その電子が持っていたエネルギーのうち、不要になった分が電磁波となって原子の外に放り出される。この時、電子が移動した軌道間のエネルギー差が大きければ放出される電磁波の波動は高くなり、エネルギー差が小さければ波動は低くなる。この波動が可視光線の範囲にある時、我々はその原子から放出された電磁波を光として知覚する。

    高いエネルギー領域に表現されている粒子は、物質原子よりも遥かに高い波動領域で相互作用するので、この微細な粒子が表現されている高次元空間には、可視光線のような相対的に低い波動の電磁波は存在しないので、肉眼では見えない。

    ある程度以上高いエネルギーの表現領域になると、原理的に時間と空間が
    存在できない。

    本来は時空間の存在しない状態こそがより根源的なものであり、超紐の運動もしくはある種の素粒子の表現と、人間の肉体を通した意識との関わりによって時空間が現象化されている状態の方がむしろ極めて特殊な出来事。

    物質よりも少しバイブレーションの高い、肉眼では見えない波動領域には、自律神経としての呼吸や内臓器官の働き、心臓の鼓動をコントロールして、肉体を統一した全体として機能させる為の補助的な役割を果たす媒体が表現されている。この媒体が潜在意識として働くことによって私達が肉体の全機能を自分の意識下において直接コントロールしなくても日常生活ができる仕組みになっている。

    アストラル領域の視力を持つ人には煌めく星のような輝きが見える。

    物質レベルの肉体が生命を保っていられるのは、宇宙の根源からくる生命エネルギーが様々なレベルの高次媒体で波動変換されて最終的に肉体に供給されてるから。

    オーラとは全ての表現媒体がそれぞれの波動領域に応じて外界に放射している様々なバイブレーションのエネルギーの事。

    人間とは、最高の神と最低の物質が智慧によって結び付けられた存在。

    生命の実相とは、無限のエネルギーが共時的に遍満する状態、すなわち、私たちの多くにとって過去から未来に向かう時間の流れとして見えているものの全体が「永遠の現在」として一望の下に見降ろす事ができ、かつ、あらゆる宇宙の全ての場所、ゼロから無限大に至る一切の波動領域の表現世界が渾然一体として視野に収まり、しかもそれらが実在ではない事を認識できる状態。

    人間のあらゆる波動領域の媒体が外部の波動を色として知覚する事ができ、その種類はバイブレーションが高くなるほど多彩になる。

    脳の1個のニューロンは千近い他のニューロンと繋がっており、それぞれのニューロンから神経細胞を興奮させる信号と鎮静させる信号が次々と送られてきて、全体としてある一定の興奮度にそのニューロンが達すると他のニューロンに信号を送る。千近い入力系統に対して出力は一系統。

    歴史的に長く続いているような宗教の場合は、その創始者の認識において適切な意味を持っていた言葉も、後継者がその意味を内観によって識るのではなく、外側から得た知識として自己流に解釈したり、組織が巨大になっていく過程で免れる事の難しい自己保存の意図といった地上的、人間的事情で真理が人工的な夾雑物で埋もれていく。

    宇宙そのものが自分自身を認識する為に現象界に顕れたものが人間。人間修行とは宇宙の大いなる意識が現象世界で自分自身を認識する行為であり、宇宙全体の創造活動と一致する。なお、「修行」とはサンスクリット語の原義では「気づく」という程度の意味であり、努力を伴うという意味はない。

    私たちが論理的に物事を考えている時には、真実を扱っているわけではなく、自分の極めて限られた経験と僅かな知覚できているものから心で造り出した虚像をあれこれ弄んでいるに過ぎない。

    「周囲から独立した個人」という感覚が生じるのは、物質世界という幻影の枠組みの中にどっぷりと浸かって一つの肉体によって制限された意識の状態で外の世界を認知している為。

    意識というものは、ひとりの人間の肉体の脳を構成する細胞や、そこに生じている電気的もしくは化学的変化等の物質的レベルの現象に起因しているものではなく、宇宙の一切の原因を生ぜしめている唯一の生命の側面。つまり、個体の一つ一つに独立した生命や意識が生じているのではなく、唯一の生命が様々な個体の中に同時に顕れているのであり、この生命の一つの側面である意識もまた、ただ一つの意識が様々な個体を通して同時に表現されている。

    個体としての意識は存在しないが、物質レベルでは、脳細胞に浸透した生命が、感情のレベルではアストラル体に浸透した生命が、想念のレベルでは下位メンタル体に浸透した生命が、それぞれの媒体に生じる波動によって行われれう精神活動を営むように創られている。
    このため、物質的バイブレーションとその世界観が反映されている波動領域では、現象として生じている外側の世界から個々の肉体の知覚器官を通して入ってくる様々な情報によって、肉体、エーテル体、アストラル体からメンタル体に至る各波動領域の媒体に反応としての波動が生じる。この時、個人もしくは個体を表現している媒体には、その個的表現媒体が外界との関係で経験してきたあらゆる出来事が既に波動として刻印されているので、新しく外界から入ってきた情報はその個的表現媒体の過去の経験によって参照され、主観的な意味を持つ事になる。この為に個人が存在しているような錯覚が生じる。

    現象界で個人を表現している意識の状態をパーソナリティもしくは現象我、自我と呼ぶ。

    サンスクリット語のブッダとギリシャ語のキリストは「真理を悟った人」の意味。

    私たちの個的意識が進化して、自らの内に在る本質が顕れていくと、顕在意識の上限が或る特定の波動領域に達した時に「自分は宇宙そのもので在り、宇宙を創造した主体で在る」という真理が疑う余地のない実感を持って体験される。

    ある時点から個人意識が普遍意識に変化するのではなく、初めから普遍意識の他には何もなかった事にある時点で気づく。

    素粒子のスピンのうち、スピンの値が整数のものをボソンと呼び、半整数のものをフェルミオンと呼ぶ。ボソンは現象面での力の表現に関わるのに対し、フェルミオンは電子や陽子、中性子のようにエネルギーが物質的な表現を顕す時に採る表現様式。ボソンは時空間の特定の座標に幾つも重なって存在できるのに対し、フェルミオンはエネルギー的に異なった状態に分散して存在する。

    個別化されている人間だからこそ、人と人との関係性の体験を通じて、分離感のない他の生命系では得る事のできない、魂の特別な成長と進化を遂げる事が可能になる。

    精神階層では、バイブレーションの低い方から高い方を看る事はできないが、物質レベルに下限媒体がある特徴は、異なった波動領域の幽体を持つ進化レベルの異なった魂たちが肉体という共通した波動の表現媒体を持つ事によって一の世界で生活できる事。

    普遍意識に至る以前の魂の表現は、自分と似通った性質や傾向を持つ人たちだけと接触する事になって、自分の状態を客観的に看るような比較対象が出来にくく、魂の成長に必要な刺激も少なくなる。

    カルマの法則は、個的表現媒体を通して何らかの表現をした際に、反作用として自分の媒体に生じた波動がエネルギーとして保存されており、それと逆相になる波動と共鳴して自分のしたことと同じ現象を引きつけ、それと同時に解消されるという原理。

    現象我の望まない事に直面させた方が、魂の成長の為には良い場合も多い。

    地上に表現されているもの、宇宙のあらゆる階層に表現されているものは全て同等の存在価値があり、大いなる生命の創造活動に必要不可欠の役割を担っている。

    蜜蜂は一つの巣に属する全個体が一つの集合意識に属しているので、育児、巣作り、花粉や密の採集、巣の防衛と、それぞれが異なった役割を持ち、しかも一定期間毎に役割を交代している。

    霊的にもっとも進化した動物は犬。猫、馬、象がこれに続く。
    イルカやクジラは人間とは別の進化系列に属している。

    睡眠中やある種の幽体体質の場合では、覚醒時にもアストラル体が肉体を抜け出す現象はあるが、肉体の死においては、高次媒体と肉体との磁気的な繋がりが切れてしまう点が決定的に違っている。

    意識の発達程度や霊的法則への理解力、訓練の程度やその人の向き不向き等によって自分の環境を自由自在にコントロールできる人もいれば、その人の固定観念によって環境を造り出しているだけの人もいる。

    現象界での具体的な仕事には必ずそれに伴った精神活動が生じるので、家を建てるという仕事に従事した魂は、家が建つまでの全行程において、物質レベルだけでなく精神階層においても同時に体験した事になる。

    普遍意識が自覚した魂は、他の魂の経験をも用いる事ができるので、地上での経験は自分だけのものでなく、宇宙全体の経験となり利益になる。

    地上での仕事を成就する為には過去生を知らない方が遥かに都合がよいので、ある程度意識の進化した人達ならば、自分や相手の過去生には言及しない。

    外界というものは、個人の意識の進化に伴って変化するものであり、本人の努力に因る意識の変容のみが世界を変える。

    精神階層で次から次へと現れてくる現象は興味の尽きない世界ではあるが、そこに関心を奪われていると幾らでも時間を浪費する事になってしまい、霊的な進歩という魂本来の目的を見失って人生を終えてしまう。現象であれば、私達は毎日の生活で飽きるほど見ているという事を識る事。

    人間の病気とは心で思う事や言葉で話す事、具体的な行為によって表現される、その人の生き方のどこかが自然の摂理に反している時に、様々な波動領域に表現されているその人の媒体相互間の連鎖関係が上手く働かなくなり、生命エネルギーの流れが妨げられる事に因って高次媒体(心と神経系)や肉体に色々な不調和が生じてくるもの。

    ヒーリングの最も大きな意義は、病気を治す事ではなく、相手の意識を真理に目覚めさせ、その人が自然の摂理に合った生き方をするように変わる事で、この地上により多くの調和をもたらす事。

  • 素晴らしい

  • 構想2年、執筆13年余り、さらに二度目となる増補改訂を経て完成された大作です。
    読み応えバッチリ♪

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