人生生涯小僧のこころ 大峯千日回峰行者が超人的修行の末につかんだ世界
- 致知出版社 (2008年3月10日発売)
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感想 : 90件
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784884748036
みんなの感想まとめ
過酷な修行を経て得た深い気づきや人生観が綴られた本作は、心の渇きを潤す珠玉の言葉に満ちています。著者は、千日回峰行や四無行といった命がけの修行を通じて、自己を見つめ直し、何のために生きるのかを問いかけ...
感想・レビュー・書評
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1日約48kmの険しい山道(標高差1355m)を計1000日間歩く「大峯千日回峰行」。
1日16時間、何があっても決して休むことは許されない。
万が一途中で断念する場合は、所持している短刀で自害しなければならないという、想像を絶するほど厳しい掟がある。
さらにその後に続く「四無行」では、9日間飲まず、食わず、眠らず、横にならずに真言を唱え続ける。もはや人間の限界を超えている。
1300年の歴史の中で、この大峯山千日回峰行を達成したのはわずか2人しかいない。
著者である塩沼亮潤さんを知ったのは、2016年に放送された「クレイジージャーニー」だった。
これほどまでに過酷な修行を成し遂げ、大阿闍梨という位に就かれた方なのに、全く偉ぶるところがなくて、とにかく謙虚。
なんてすごいお坊さんなんだろうとずっと心に残っていた。
先日読んだ『不毛地帯』の中に、千日回峰行を達成した人物が登場して、ふと塩沼さんのことを思い出した。
母が亡くなってから日に日に喪失感が増してきて、どう向き合えばいいのかずっと悩んでいたので、普段は手に取らないような本だけど読んでみたくなった。
塩沼さんが命懸けの修行をしたのは、自分が偉くなるためではなく、極限まで追い込んだ先で見えたものを「少しでも誰かの苦しみが軽くなれば」という思いで伝えている。
もともと自己啓発のような本は苦手で、素直に受け入れられないタイプだけど、塩沼さんの言葉には絶大な説得力と重みを感じた。
自分はまだ起きてもいないことを不安に考えすぎたり、頭の中で反省会が止まらなかったり、本当に面倒な癖がある。
今の自分に必要だと感じた言葉を忘れないようにメモに書き留めた。
この本をきっかけに、自分の考え方のクセを少しずつ直していきたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『人生生涯小僧のこころ』
知足 ★★★★★
日常五心 ★★★★★
【著者】
僧侶の方です。高校卒業と同時に仏門に入っています。どんな方か?
①大峰千日回峰行を納めている方
これは、片道24kmの山道、標高差1,000メートル以上を16時間かけ、しかも1日で往復をするという行です。これを千日間続けます。
過去1300年の歴史の中で、この方含めて2名だけしかこの行を納めていないという非常に厳しいものです。
200日目前後で「血尿」となるそうです。
②四無行(断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける行)を納めている方
①の1年後にこの行を納めています。あらかじめ断食で体を整えて臨みます。一滴の水も許されない、こちらも大変厳しい行です。
水分をとらず、しかし排尿されるため「1日で1キロ痩せる」とのことでした。
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【購読動機】
私は、無宗教です。定期的に心をスクリーニングするように努めています。
そうした一環で、心にまつわる本を読み、自身と外部の世界を対比させています。
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【読み終えて】
・知足
足るを知る。
今、こうして命がつながり、日々を営むことができていること自体に「ありがとうございます」の気持ちを自然にもてるようになること。
大変な行を納めた著者ですら「努力して為せる」ことなのだとわかりました。
・日常五心
仏教の言葉です。別の書籍で知りました。
はい(素直)、すみません(反省)、どうぞ(謙虚)、やります(奉仕)、ありがとう(感謝)。
言われてみれば当たり前です。でも、その当たり前の実践が難しいです。
著者ほどの僧侶の方もそう感じているということでした。
日々、自然に行えるて状態を目指したいな・・・。
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【本書より】
人生を論じる暇はない。今この時をもって生きるのです。157
「自分は何のためにしているのか」という問いに対する答えをきちんと整理しておくことだと思います。目標がはっきりしていないと、結局自分自身が疲れてしまいます。178
もっとも重要なポイントは、人を恨まない、人を憎まない、人のせいにしないという覚悟を持つことです。
「やらされている」と思えば、どんどん心が枯れて卑屈になってしまいます。212
人と人との心をつなげるのに技術は必要ありません。技術とか経験とかいうものは、時によっては毒にもなります。大切なのはたったひとつ、それは「心」です。230
実際の日常生活の中で本当に原点に返っているかどうか、日々が挑戦です。努力です。240
流れにしたがって生きていくということは大事だと思います。決定的に生き方が変わったとき、決して自分から「ああしよう」「こうしよう」としない生き方になってきておりました。255 -
R1.8.23 読了。
大峰千日回峰行(片道24kmの山道を16時間かけて1日で往復を千日続ける。)、四無行(断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける行)を満行された塩沼亮潤大阿闍梨の著書。
珠玉の言葉がちりばめられていた。本書で紹介されているこの命がけの行は決してまねできないが、大阿闍梨の考え方は、少しでも実践していきたいと思った。
トゲトゲギザギザして辛くなった心に潤いを与えてくれるので、毎日の生活の中で心が渇いてきた時に読み返したい。
大袈裟ですが、一生の宝物にしたい本ですね。 -
自分の感想に時折いいねを押してくれる方の本棚を覗きにいったら、お気に入りベスト3の一番にあったので読んでみた。こういうふとした縁でこの本に出会えたことに感謝します。
往復48kmの山道を1日1回、それを1000日歩く「千日回峰行」、九日間飲まず食わず眠らず横にならずを続ける「四無行」という、内容を聞いただけでうへぇ……という声が漏れてしまいそうな修行を成し遂げた人の本。
過酷な修行の末にようやく気付いたことや悟ったことが惜しみなく、それも決して押しつけではなく綴られているので、大した努力もしていない自分がいいんですかこんな貴重なお言葉に触れて……みたいな気分になってくる。特に千日回峰行の中盤でどうしようもなく体調を崩してしまった時の話なんかは、「行者として人に心配を与えたくない」という気持ちがありながらもこうして本に綴ってくれたんだなと思うと、いつも以上に言葉を噛みしめて読まないわけにはいかなかった。
本書に何度も出てくる「行」という言葉を自分の中にある成し遂げたいことに置き換えて読むと、どれもこれも深く頷いてしまうものばかり。「何のために」の大切さに触れている箇所を読んだ時は、初心を思い出して涙してしまった。
今年の頭、同じ業界にいる先輩が言っていた「作品創りに関わるからには、それを受け止めてくれる人達だけでなく、生み出す側の人達にも『この作品に出会えて良かった』と感じてもらえるものにしたい、と思っていつも取り組むようにしてます」って言葉を聞かせてもらったことを思い出した。ものづくりは人と人が繋がらなければ成り立たない。だからこそ「何のために」をいつも忘れないようにしないと。
あと、読み終わったあとでこの住職さんのお寺はどこにあるんだろうって調べてみたんですけど……なんか聞いたことある地名だなと思って地図見てみたら、去年の秋に友達と仙台旅行に行ったときに秋保大滝を見に行ってまして……お寺の目の前を車で通ってましたやん自分。なんという運命……。 -
栗山元監督著の「栗山ノート」に出てきた大峯千日回峰行者に興味を持ち、読んでみた。
自分では一泊しても挫けそうな山を千日歩くという壮絶な修行。
その先に見つけたもの…足ることを知る…わかっていながらもなかなかその境地までは辿り着けない…。 -
どんなに偉くなっても、人の下から行きなさい。皆さんにお仕えさせていただくという気持ちは忘れてはいけない
現実を受け入れ愚痴らず精いっぱい生きると、そこに道が開けてくる -
壮絶な修行を終えた先に人生とは何かが見えるだろうか。それは当たり前なことに感謝することや、日々心を込めて生きることでした。読んでいて説得力しかありませんでした。
今日より明日、明日より明後日
足ることを知ること
いい言葉だと思いました。 -
・心を込めること
・日々を丁寧に生きること
・今日より明日、明日より明後日、良くなるようにする
・足るを知る
・感謝の気持ちを忘れない
ラップ風に言うと、文章すべてがパンチラインでした。
本当に素晴らしいです。千日回峰行というとてつとなく厳しい行をやり通せた背景には、やりたい!という熱意と、それ自体を楽しむことにあったのだと思う。はたから見るとつらい行でも、やらされているわけではなく、自分が好きで進んでやっているのだ。世の中には本当にもっと苦労している人がたくさんいる。自分は食べるものがあって、寝ることができて、これ以上のしあわせがあるのか。という思いに至る。最後はすべてのものに感謝しかないと。
ほんの少しだけでもいいから、塩沼大阿闍梨に近づけるよう努力していきたいと思った。 -
塩沼大阿闍梨の慈眼寺を訪問するにあたり、改めて大阿闍梨の修行とそこから得たお考えなどについて知るべく著書を読んでみた。まず、大阿闍梨が行った3つの荒行、大峯千日回峰行、四無行、八千枚大護摩供行の詳細なる実施方法や実施のプロセスをみて改めてその超人的な行動に驚かされた。ふつう9日間、飲まず、喰わず、眠らず、伏せずとかやったら間違いなく死ぬというかギブアップすると思うが、それをやりおおせるモチベーションと身体的技量がすごい。そしてそれらの荒行をやり終えた上での大阿闍梨の結論は、身近なことへの感謝、謙虚であるという。特に行の最中に意識が朦朧としている中でも「世の中では食べ物もないような人がたくさんいる中で、自分は周りの人のサポートを得、こうして行に集中できるのは幸せでならない」と思っていたというのは、俯瞰して考えてみれば、確かにそういう側面は大いにあり、妙に納得させられる。
とにかく、こんなにすごい修行の果てに得た心の結論というのは興味深いことこの上ないはずなので、多くの人に読んでもらうとよい本だと思います。 -
人を思いやる心というのは、まわりまわって、自分の心をおだやかにしてくれます。やさしい言葉をかければ、やさしい言葉がどこからかめぐってきます。
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自分からすると凄絶としか言いようのない、千日回峰行。
実際にどのように行を行っているのかという、単純な興味もあり、手に取りました。
千日回峰行の最中はどんなものなのか、その一旦を垣間見ることができました。
生き方というか、生きる姿勢というか、そういったものが本当に素晴らしい方だと思いました。
自分などはいかに言い訳だらけで自分を甘やかしてるのかと、読書をしながら反省することもしばしばでした。
他人に対する感情は見習わねば、と思います。
また、千日回峰行を満願するための準備を、これたけ周到にするのか、と感嘆させられた場面もいくつもありました。
仕事などでも準備は大切だと言われますが、やはり、何かを達成する方は仕事にしろ何にしても、その準備の仕方が濃やかで、そこまでするのかというほど準備を入念に行うのだなと、大変な学びになりました。 -
行とは行じるものではなく「行じさせていただくもの」
人生とは生きるものではなく「生かされているもの」
行とは、人生とは、ひとつひとつ見えない徳を積み上げていくもの
己とは一体何なのか、人とは一体何なのか、人生とは一体何なのか。こうしたことは、普段すべてが整った幸せすぎる生活の中ではなかなか見えてこないものです。それを知るために自分自身を奮い立たせ、厳しい行に挑むのではなかろうかと思います。
今、崖っぷちに咲いている悟りの花と言いましたが、それは「そこにはどんな花が咲いているんだろう」といくら考えていても実際に見えるものではありません。どんな望遠鏡を使っても見ることはできないでしょう。その場所にまで行って、はじめて出会うことができる花です。どんな想像をしても、どんなに勉強をしても、決してその答えは出ることはないと思います。
人が悩み苦しむのは、頭でわかっても心の中がモヤモヤして、物事をなかなか実践できないからです。それでもあきらめずに人を思いやり、丁寧に生きていると、やがてそれぞれの人生の中に、心の中に、素晴らしい悟りの花と出会える日が来ると思います。また、そのために人はこの世に生まれてくるのではないでしょうか。
「行を終えたら行を捨てよ」
これは回峰行に入る前、二十三歳のときに師匠からいただいた言葉です。
行というものは何回山に行ったとか、どれだけ高い山に登ったとか、そんなことは 一切関係ありません。行はチャレンジでもなければ冒険でもありません。行をしたということ自体を自慢したり勲章にしたりしては間違いですよ、ということです。
「行を終えたら行を捨てよ」というこの言葉は、年々行じていくごとにとても素晴らしい言葉だと思うようになります。行というものは一切のご利益的な考えがあってはならないのです。たとえば、行をしたからこうなりたいとか、他と比較して損得勘定をしたりとか、少しでもそのような心があってはいけないのです。心の中にまるで幼子がいるかのごとく心を無にして、目に見えぬ功徳というものを日日ひとつひとつ積み重ねていくのだと思います。
たとえば今日一日という日にたったひとつの功徳を積むことが、一年で三百六十五個の徳を積み上げることになります。「何事も根気よく、丁寧に、ぼちぼちと」。これが長い長い行を続ける秘訣です。人生の旅も一緒です。
修行の中でも、また人生においても、肉体的、精神的苦痛を受けたときは誰でも辛いものです。そこで妥協せずに乗り越えられるかどうかは、天を衝くぐらいの高い高い目標があるかどうかで決まります。その純粋なる清らかな気持ちが限界をも持ち上げ、時として不可能を可能にする力となります。この力は、本来、人には誰でも備わっているものだと思います。
自分に対する過信は脆いものです。 地に足をつけ、あせらず手を抜かず、一歩一歩歩み続けていれば、必ず自信がついてきます。勇気が湧いてきます。そして神仏が、まわりの人が、必ず守ってくださるのです。
「しなければならない」とか、「やらされている」と思えば、どんどん心が枯れてきて卑屈になってしまいます。しかし同じ環境でも、自分の気持ちで進んで乗り越えさせていただこうと思えばいい縁も広まってまいりますし、自然と笑顔も出てまいります。行も、人生も、卑屈になってはいけません。楽しまなくてはいけません。
そして最も重要なポイントは、人を恨まない人を憎まない、人のせいにしない覚悟を持つことです。もし行の最中、うがいの日を四日目と言った人を少しでも恨んだり、人のせいにしたならば、おそらく今の私はいないでしょう。神さま仏さまはいついかなるときでも、人の心を見ておられます。 -
高低差1300m-距離48kmの山道を、毎日16時間かけて9年間1000日間歩き続ける。しかも完遂できなければ自害しなければならない掟!
なぜそんな超絶大苦行をするのか。なんで?
ブッダの9年間の荒行より辛いんじゃなかろうか。
「体調は悪いか最悪かしかない」って壮絶すぎる。
いつも「お坊さんって何が偉いのかな?」と思ってたけど、この人は間違いなくすごくて偉い。
それだけの、生きるか死ぬかのことをやり遂げた人だからね。
なのに書いてあることばは至って謙虚。
だから重い。
○人生というのは自分の思い通りにならないようにセッティングされている。それをどう克服して感謝の気持ちを学ぶか…
○この世に生を受けた時に人生の旅は始まっている。スポーツに例えれば気付いた時には既に試合が始まっていたようなもの…
凄まじい修行をしてきた人の言葉なんだなと思う。
しかもそれだけやってきた後の、生きるか死ぬかの四無行!どれだけ自分をいじめ抜くのか。
○もし神仏が「お前は世のため人のためにこれからも尽くせ」と判断すれば生きて帰ってこれる。そうでなければ永遠のお別れ。
でもそんな塩沼さんでも二十年も受け入れられなかった人がいたなんて、やっぱり人間の我っていうのは強いものなんだ。そこが神様との違いなんだな。
俺は嫌いな人を受け入れられる日が来るのか。
それにはそれなりの修行が必要なようです…
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これを読んでからは始めたら諦めず最後までやり遂げることが心に刻まれました。苦しさを乗り越えた先の景色。途中の景色が自分にとって大切な心の景色となって見られるようにしたいと思います。
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バブル前の世代、お坊さんになってから、たくさんの修業を積んで
ついに、1000にち修業を終えたお坊様。
修業終了後、下界している人の話。
人生について、とても参考になる。
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気持ちが内向きな時に手にとってしまう本です。
タイトル自体、心にずっと留めておきたい言葉。
自然や周囲の人々に対して謙虚であることの大切さをしみじみ教えてくれます。
行についての記述は壮絶過ぎて引いてしまう部分もありますが、ここまでやり遂げた方の言葉には力があります。 -
大変厳しい修行を成し遂げた、お坊さんによる一冊。
以前、この方がもう一人の僧侶と対談した内容がまとめられた、『大峯千日回峰行』を読んだことがあります。
ご自身が記した本があると知り、改めて読むことにしました。
まず冒頭で、千日回峰行とはどのような行なのかが、説明されています。
“奈良県吉野山の金峯山寺蔵王堂から大峯山と呼ばれる山上ヶ岳までの片道二十四キロ、高低差千三百メートル以上の山道を十六時間かけて一日で往復し、合計四万八千キロを歩き続けるという修行です。“
フルマラソン以上の距離、しかも高低差のある山道を、5月から9月までの定められた120日あまりの期間、毎日歩き続ける。
それを9年以上の時間をかけて、合計で1000日行う。
大変厳しい行だということが、読者がイメージできるように、冒頭に書かれています。
次に、著者はどのような幼少時代を過ごし、なぜそのような行に取り組むことにしたのか。
そして、行に励んだ日々の話へと、展開していきます。
その内容を読むと、自らの体調、台風や雷といった自然現象、熊やマムシといった危険な動物、さらには不思議な現象まで、ありとあらゆる困難に遭遇したことがわかります。
そのような困難に遭いながら、なぜ行を成し遂げることができたのか。
そのような行を経験して、何を得たのか。
さまざまな側面から書かれているのですが、特に印象に残ったのは、以下のようなことでした。
・全ては自分の責任であると、覚悟してのぞむこと
・辛い経験を繰り返した先にあったのは、感謝の念だったこと
苦労を苦労と思うか、その経験に感謝するのか。
どのような状況でも、前を向いて生きていく。
精神的、肉体的に疲れている時、不平不満が溜まった時に、繰り返し読みたいなと感じた、一冊でした。
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まずは読んでみるべき本です
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行をするうちに、世のため人のためというのはおかしいと感じる。神がやること。
苦しい行を行なっても1人だけ馬が合わない人がいた。それは自分自身に我があったから。
著者プロフィール
塩沼亮潤の作品
