- Amazon.co.jp ・本 (126ページ)
- / ISBN・EAN: 9784886790156
作品紹介・あらすじ
肯定が否定であり、否定が肯定である「即非の論理」こそ禅の公案を解く鍵。これはたとえば、語り得ぬゆえに指し示されるほかない神は、神ではない、ということを証す論理ではないか。前期『論考』に発する論理実証主義、後期『探求』の影響下にある日常言語学派など、現代哲学の源流というべきウィトゲンシュタインの哲学によって禅の核心を解く。
感想・レビュー・書評
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ウィトゲンシュタインの研究者として知られる著者が、鈴木大拙などの著作から禅匠のことばを引用しながら、ウィトゲンシュタインの思想との類似性を見ようとしています。
ウィトゲンシュタインの哲学は「知性解放の戦い」だと理解することができると著者はいいます。前期の『論理哲学論考』では、哲学の諸問題は言語にかんする誤解の産物であり、それらが無意味であることを示すことがめざされました。他方、後期の『哲学探求』においては、哲学ではどのような理論も立ててはならないと語られ、日常言語のあるがままの使用を記述することで「ハエにハエ取り壷から脱出する道を示してやる事」がもくろまれています。そのうえで著者は、こうしたウィトゲンシュタインの哲学に、禅と通じるものを見いだそうとしています。
「不立文字」を掲げる禅には、著者のいうように、言語などへの「とらわれ」から脱することをめざす側面があることはたしかだと思われます。しかし、禅にはそのような局面をさらに突き抜けたようなところがあるのではないでしょうか。「禅とは禅定から出る智慧である」といわれるように、「とらわれ」を否定しつつ、その否定に包まれたまま日常のなかで動いていかなければなりません。「哲学は、語りうるものを明晰に表現することによって、語りえないものを示す」というウィトゲンシュタインと、明るく輝く月をただ指さすだけの禅とのあいだには、なお大きなへだたりがあるように思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示