限界デザイン (TOTO建築叢書)

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  • TOTO出版
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レビュー : 6
  • Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784887063228

作品紹介・あらすじ

限界から見える建築の必然。建築的知性をアーカイブするTOTO建築叢書第一弾。

感想・レビュー・書評

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  • 建築と生物学の融合

  • 極限状況の建築として挙げられている
    カピュラ集合住宅
    プルーヴェの6-6メートル住宅
    クルナ・エル・ジャディーダ
    の事例は知らなかったので
    面白かった

    でももう少し
    事例を増やしてほしかった
    社会状況を説明する必要はわかるけど
    10ページに1事例ぐらいで
    紹介に費やしてほしかった

    日本だけでも
    注目を浴びつつある
    ホームレスの居住スペースなど
    考えられるのに

    結論として挙げる
    生存のためのシェルター
    最小限のしつらえ
    土着性
    はわかるのだが
    使い回しによる価値の再生
    はどうか?

  •  読み始めて、いきなり星の王子様の話がでてきたが、だんだん、限界デザイン、究極まで、安く、動きやすく、早くつくる、それぞれ土着の建築物の事例紹介になって、おもしろくなってきた。

     特に、関心をもったのは、坂茂さんの紙管ハウス。確か、女川でも集会所が一つあったような気がするが、安価で早いという観点から、阪神・淡路のときのように、どうしてもっと紙管ハウスが仮設住宅に使われなかったのだろうか。

     やっぱり、何か仮設でも、もうちょっとしっかりしたものをとかいう要求があったのか、断熱性とか課題がかったのか?

     なお、紙管による避難所のパーティションの活動もすばらしい。

     次に、空き屋を総体として、リロケーションとして使うという可能性。日本の木造住宅は、戦前でも引きやとかいって動かしてきたし、解体して組み立て直すこともできる。

     古民家のように価値が高かければ、公園に移設してちゃんと管理するという方法もある。

     いろいろ、NPOの活動もあるようだが、2割近く住宅が余っている時に、なにか、スクラップアンドビルドではなく、既存の住宅を活かす方法をもって進める手段を考えたい。

     最初は三宅先生何の話をし始めたのかと思ったが最後は納得。良著。

     付箋をつけたページ。p88,122,151,173,195,207,215,222,227,239,253,259,284,294,300。

  • 3.11後のアドホックなテーマ。「限界デザイン」と聞くとすごくストイックな印象を受けます。ただこの本で紹介される事例はどれも最低限、雨風しのげれば良いと言うものではなく、住民参加のプロセスや地域性、プライバシーが考慮されていたりと、「限界」の定義を考えさせられるものでした。ともかく21世紀に入って建築を始めた人間としては、戦争、災害後の何も無い中、限界を見極め建築を作り上げたプロセスを知ることは貴重だと思いました。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784887063228

  • 昨年のプロ野球日本シリーズのことだったと思う。開幕前の監督会議で中日・落合監督(当時)の審判団に投げかけた質問が、今でも印象に残っている。それは、「第7戦までのすべての試合が引き分けになったら、どうするのか?」というものであった。

    日本シリーズは7試合制で、先に4勝したチームが日本一となる。第7戦を終えて7引き分けなら、最低でもあと4試合、最大で7試合を追加しなければならない。しかし、プロ野球は日本シリーズ終了後も他の行事が立て込んでおり、そのケースをどう考えるのかという質問であった。問われた審判団も、お茶を濁すしかなかった模様である。

    根っからのG党である僕には、その質問が奇を衒ったパフォーマンスにしか思えず、冷ややかな目で眺めていた。しかし、最近発売されたばかりの新刊『采配』(落合 博満・著)を読んで思惑を知り、思わず膝を打った。

    そこには”「極論」から物事の本質を見直してみる”と、書かれてあった。「そんなこと起こるわけがない」ということを真剣に考えることで、日本シリーズをより良い試合にするヒントを得られると考えていたというのだ。延長の仕組み、ベンチ入りの人数など、万全と思われる現在のルールに、あえて「極論」をぶつけることで再考を促したのである。落合 博満、恐ろしい子・・・

    そういった意味において、本書も極論から考えるための一冊と言えるだろう。人は究極において、どのような家に住むのか。極限的な状況下において成立する人間の住まいを広く眺め、今日の住まいのあり方を問い直してみようという一冊なのである。

    一口に建築といっても千差万別であり、時代や地域によってその内容は大きく異なる。それを文化人類学的な住まい方のレベルで見るか、あるいは制度や技術の発展から捉えるかによって見方は大きく分かれてくるという。

    例えば歴史性がないということで文化人類学的には軽視されているモンゴルの移動式住居(ゲル)は、数多あるテント式住居の中でもっとも進んでいるそうだ。部材が最小限化され、力学的にも大変優れた建築となっているのである。その特徴は、標準化が徹底しており、規格化された最小限の部材で短時間に組み立てができるということにある。最小限の物資で最大限の効率をはかるシステムが、彼らの生活には根付いているのだ。またロシアの丸太組住居も、単純なつくりで温熱環境として保温性がよく、寒冷地の厳しい気候にもすこぶる向いているという。

    これらの特異な環境ゆえに磨き上げられた建築を眺めると、生き残るための智慧が随所に散りばめられているのがよくわかる。それは、省エネルギー・リサイクル時代の我々にとっても参考になる点が数多くあるのだ。何より「建築は恒久的である」という固定概念を取り払い、「建築は一時的なものであり、移動する」と捉えた視点が面白い。

    本書には、そんな極限的な状況下において成立する人間の住まいに関する事例が盛りだくさんである。その一つが、1957年に設営された南極越冬探検隊の観測基地のケースだ。

    その当時、南極は人類にとって最後の未開地であった。材料は日本から運んでいく以外に手はないので、当然プレファブリケーションとする必要があったのだが、それに加えて、高い断熱性、2週間ほどの限られた工期、少人数の隊員で組み立て可能な施工の容易度、越冬隊員が1年を過ごしうる居住環境ということが、要件にあげられた。

    高度成長期の真っ只中にあった日本の工場において、建材に高い精度を保証しえたのは木質系の技術であり、基本は木質パネルのプレファブ構法を開発するのが最良かつ最短の道であった。木は断熱性能もよいので、木版の間に厚い断熱材を入れ込んだ特殊パネルをつくれば、温熱環境的にも高い性能を得られる。

    通常なら、ここに鉄パイプを建てて、その間にパネルをはめ込んでいく工法が採られる。しかし、鉄パイプの利用には二つの障害があった。一つは熱伝導率が高いため、室内の熱がそのまま屋外に逃げてしまうということ。もう一つは、施工にあたってジョイント部が複雑になって組み立てが面倒になるということであった。

    これらを回避するためには、木質パネルによるボックス型の構造に変更することが必要であった。木パネル自体に構造強度をもたせ、そのまま構造にすることで施工が可能になるからである。また、工事を簡単にするために、床・壁・屋根など全ての木パネルを同一品とし、ミニマニズムを追求したという。これによって材が軽く、接合も簡単になり、素人の隊員でも手袋をしたまま楽に作業ができたのだ。一見さりげない直方体のボックスで、コンテナのようなかたちであるが、この中には当時のさまざまな技術革新が詰まっている。

    その背景には、第2次世界大戦における経験の蓄積がある。戦争末期には舟艇や軍用機の多くが、なんと合板で作られていたのだ。金属材料が枯渇したという切羽詰まった状況もあるが、軍の強い要請もあり、終戦間近の頃には合板技術は職人的な技を介して相当高いレベルにまで達していたという。

    戦時下での量産体制の方式などは、限界設計と呼ばれることもあるそうだ。耐用年数を考えずに一時的に必要物資をローコストで量産できる体制を敷くやり方は、粗悪品の代名詞として言われることもあるが、予想外の技術が生み出されることもあり、それが南極観測基地にまで及んだということなのである。

    初期の観測棟は役目を終え40年ぶりに日本に持ち帰られ、日本大学と竹中工務店がその建物を構造試験にかけているが、劣化がほとんど進んでいないことが確認されたというから驚くばかりである。本書では、この他にも、フィンランド内戦における戦争羅災者の仮設住宅、阪神淡路大震災におけるベトナム難民の震災仮設住宅など、世界各国のさまざまな事例が取り上げられている。

    このようなケースを想定することが、まさに「極論から考える」ということであるわけだが、その際に重要となってくるのは、「極論から考える」ということ自体が目的なのではなく、あくまでも思考や議論の再起動と位置付けることにある。極論でものを考えて、是か非かということで終わりにするということでは、安直な二項対立を生み出しているに過ぎない。

    そんな思考の再起動が具体的な成果に結びついた好例を、本書の後半部に見ることができる。それが、著者自身が関わって2009年に竣工したエチオピアのゴンダールにおける「ミレニアム・パビリオン」だ。

    「ミレニアム・パビリオン」とは、具体的には島根県大田市の木造の空き家を寄贈し、ゴンダールに運んで地元の空き家と合体させてひとつの文化会館をつくるというものだ。負の資産と目される空き家や遊休施設を、新たな文脈に移して積極的に活用することが主眼となっているもので、リロケーションとも呼ばれているそうだ。

    その前提となっているのが、木造がある意味では変幻自在の特質を備えていたということである。増改築が楽にでき、場所の移動も簡単であるということが、部材としてではなく建築総体としての再利用を可能にしたのだ。そもそも木造建築の移動は古くから日本で行われていただけではなく、ロシアや北欧の木造文化圏でも日常的に行われていた行為であったそうだ。

    島根県大田市は、2007年にユネスコの世界文化遺産に登録された石見銀山があることで良く知られている。また、エチオピアのゴンダールも1979年にユネスコの世界遺産に登録されており、近世エチオピアの都がおかれた由緒ある古都である。ふたつのユネスコ世界遺産が共同で遊休資産を活用し、まったく異なった文化的背景の建築を掛け合わせて新たな文化施設をつくる ― そんな壮大な目的によって、デザイン的にも全く異なった二つの建築が、相互に機能を補完するかたちとなって融合されていったのだ。

    これは著者の極論による着眼が、見事にソリューションへ結びついた結果ともいえる。日本のお家芸でもあるミニマリズムを、美意識という付加価値の領域で捉えるのではなく、ポータビリティという機能的な観点から価値を見出したところに発見があったのだ。さらに特筆すべきなのは、建築という土台に乗っかり、異文化の意図的な交配という副次的な効果も生み出したことである。ここまで到達して初めて、極論による「これでいい」というものが、「これがいい」へと変貌を遂げるのだ。

    このように「極論から考える」ということには、局面を打開し、思わぬ成果を生み出す力があるのだ。しかし、これらを実践するうえで注意されたいのが、極論は平時に考えるからこそ意味があるということである。極限状態における極論はただの正論か、はた迷惑である可能性が高い。平時に考えることで初めて、選択肢になることができ、新たな切り口にもなりうるということなのである。

    ちなみに本書はTOTO出版から新しく創刊されたTOTO建築叢書の第1弾である。標題の「限界」という言葉が持つ必死なイメージとトイレとの親和性がなんともいえず、想像しただけで思わず催してきそうだ。

    皆さん、くれぐれも極論とトイレはお早めに!

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