美の歴史

  • 東洋書林 (2005年11月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (439ページ) / ISBN・EAN: 9784887217041

みんなの感想まとめ

テーマは「美の歴史」であり、古代から現代に至る西洋アートの流れを、豊かな図版と共に読み解く魅力的な作品です。著者は「美」という概念が時代と共に変化することを示し、調和と不協和、意識と無意識の二元論が交...

感想・レビュー・書評

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  • [ 内容 ]
    “美”とはなにか?
    絶対かつ完壁な“美”は存在するのか?
    “真”や“善”“聖”との関係は?
    ―古代ギリシア・ローマ時代から現代まで、絵画・彫刻・音楽・文学・哲学・数学・天文学・神学、そして現代ポップアートにいたるあらゆる知的遺産を渉猟し、西洋人の“美”の観念の変遷を考察。
    美しい図版とともに現代の“知の巨人”エーコによって導かれる、めくるめく陶酔の世界。

    [ 目次 ]
    ギリシアの理想美
    アポロ風の美とディオニュソス風の美
    均衡と調和の美
    中世の光と色彩
    怪物の美
    牧場の少女から天使のような貴婦人へ
    15・16世紀の魔法の美
    貴婦人と英雄
    優美から不安の美へ
    理性と美
    崇高
    ロマン主義の美
    芸術至上主義
    新しい物体
    機械の美
    抽象的な形から素材の深みへ
    メディアの美

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 世の中に数ある美術史の学術書でこれが秀逸というわけではないが、なにかと話題のエーコを覗いておくのも悪くは無い、というわけでちょっと拝見。
    「薔薇の名前」「フーコーの振り子」の作者エーコだからというのでなにか特別な美学があるのかと思いきや、通常の美術史にそった章の展開。特徴があるとすれば、「醜の歴史」とセットにしてサブカルチャー研究の台本になっている点だろう。

    巨匠の著作に対してお仕着せがましい解釈を付け加えてみても噴飯ものにしかならないので、「醜の歴史」とあわせて世界中で人気があるビデオレクチャーぐらい見ておくとよいだろう。

    On The History of Ugliness
    http://videolectures.net/cd07_eco_thu/

  • 表紙裏の扉には、以下のような言葉が踊っている。
    <美>とはなにか?絶対かつ完璧な<美>は存在するのか?
    <真><善>、<聖>との関係は?――-古代ギリシア・ローマ時代から現代まで、絵画・彫刻・音楽・文学・哲学・数学・天文学・神学、そして現代のポップアートに到るあらゆる知的遺産を渉猟し、西洋人の<美>の観念の変遷を考察。
    美しい図版とともに現代の知の巨人、エーコによって導かれる、めくるめく陶酔の世界!
    なにしろ、「薔薇の名前」や「フーコーの振り子」、「前日島」などを著した作家で、難解な記号論でも著名な、あのエーコが編集・解説、周到に作られた美術書である。
    刺激的で卓抜な構成は見れど飽かぬといった趣だ。
    序論の冒頭に置かれた「比較表」なるページ群は、「裸体のヴィーナス」と「着衣のヴィーナス」、「裸体のアドニス」と「着衣のアドニス」、さらには「聖母マリアの変遷」や「イエス・キリスト像の変遷」など11のテーマで、その変遷を一目瞭然に視覚化、意表を衝いた絢爛たる画像アンソロジィとでもいうべきか。
    エーコの「美の歴史」ははじめ図書館で借りたのだが、2週間という期限の中でとても消化できるものではない。
    それよりも図版の選択と構成は特異で面白いし、解説もエーコならではの世界だし、また随所に引かれた古今の哲人たちの美に関する言辞も巧みに配列されている。
    西洋における美の系譜を渉猟するに、一冊の美術書にこれほどよく纏められたものにはなかなかお目にかかるまいから、少々高くつくが購入することにした。
          -2006.09.16記

  • 魅惑的な西洋アートの通史。「美とはなにか」をうっとりするような図版と引用ともに1週間以上かけて読み進めたのは贅沢な時間だった。記号論の泰斗エーコは西洋における古代から現代にいたる各時代の芸術を特色づける象徴と意味を明快に解読する。するとあら不思議、魑魅魍魎が手術台から逃げていく。実際、西洋美学は、調和と輝き,理論と神に支えられながらも、裏から底から、不安や幻想、謎や暗黒がひっきりなし顕現するのだ。端的にいえば調和と不協和、意識と無意識、光と影の二元論が永遠に交替するよう。計測され構成された理性の世界というのはそれだけ抑圧が強いのか。それはグローバルな世となり西洋東洋南洋北洋の彼我の壁は取り払われ、人類ひとくくりとなった今も変わりはない。美学は芸術ということばに隔離され絶滅に向かったのではなく、逆に普遍化顕在化して大量生産。根源的不安も抱き合わせに拡散しているのだなと実感する。やはり人は美から切り離せないと美にとりつかれたわたしは考える(しかし本書で視覚に訴える絵画が強い磁力を発するのに対し、翻訳されてしまった「ことば」はやはり鮮度が落ちる。もちろん音楽は表記できない。本にまとめるのも大変だ)

  • 2018/11/2購入

  • 【由来】
    ・amazonでエーコの本を探してて。

    【期待したもの】

    ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。

    【要約】


    【ノート】


    【目次】

  • 10年以上昔に買ったのだが、パラパラと絵を眺めるだけで、文章は読んでいなかったのだが、遅ればせながら、文章を読みながら、絵を眺めてみる。

    古代ギリシャ・ローマ(一部それより古いのもある)から、中世、ルネサンス、ロマン、印象派、現代美術、ますプロダク商品やメディアに至る「美」の歴史。

    思ったより、真っ当な美術史の教科書みたいな感じかな???

    著者は、「美」という概念が時代とともに変化し、相対的なものでしかない。今の時代において、美の基準はなく、「完全なるシンクレティズム(諸説混合主義」)に降伏するしかない」ということ。

    と言っても、これはやっぱ西洋(特に西欧)の美の歴史ですね。確かに美の概念は変わるのだけど、日本人的には、ある種の共通性もある気がしてしまう。

    これを世界レベルでやったら、より美の概念の相対化が進むのか、なんかよりダイナミックな何かが出てくるのか。

    もちろん、それをエーコに求めても仕方ないのだが。。。。

  • 様々な意味での「美」をそのイメージとともに集めたもの。一冊手元に置いておきたい。

  • 読み終わったっていうか、流し読み…。内容が濃くて面白いけど、それだけに読み下すのに時間がかかる…。時間に余裕がある時にじっくり取り組みたい。図はフルカラーで素晴らしい。「バウドリーノ」の中に出てくる中世の事物も紹介してあって、エーコの頭のなかをちょっと覗いた気分になれる。

  • 書かれていることが難しい。
    絵画鑑賞用になっている・・

  • 美をテーマにして、古代ギリシア・ローマ時代から現代までの各ジャンルの美しきものを大蒐集。

    お値段も8000円。 ずっしりと重くて持つのも大変なほどの豪華版です。

    古代からの歴史を追いながら、贅沢にカラー図版を多数挿入し、詩人、哲学者、神学者、小説家、画家、宗教人の作品や言葉を多く引用。

    表紙を飾るのはブロンズィーノの<<エレオノーラ・ダ・トレドと息子ジョヴァンニ・デ・メディチ>>(部分)なのが、やはりエーコらしい。というかルネサンスは輝ける美の宝庫。
    エレオノーラ・ダ・トレドはコジモ1世の奧さんです。

    常に手元において、楽しみたいエーコからの贈り物のような一冊です。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00150025

  •  読了

  • エーコが美術史家のジローラモ・デ・ミケーレとともに編纂した西洋三千年の美の歴史である。450ページ近い大冊に300点以上の大判のカラー図版がひしめいており、美しい印刷といい、ゴージャスな装丁といい、ずしりとした重さといい、所有欲を満たしてくれる本である。

     最初に芸術の歴史ではなく美の歴史だと断ってあるように、本書は単なる美術史の本ではない。図版とともに古代ギリシアから現代にいたるさまざまな文章が引用されており、美をめぐる詞華集ともなっているのだ。

     美術史としては特にどうということはないが、哲学や神学や文学、さらには社会史までからめるとなると博識をもって鳴るエーコの独擅場である。

     古代ギリシアにおいて美が自覚的に論じられるようになった時、ピタゴラス派が比例という決定的な理論を提唱する。万物が秩序づけられているのは数学的法則を実現しているからで、美の原因は比例という数学的秩序にあるというわけだ。

     この比例という観念が解体していくことによって美の歴史が展開していくという構図が本書のおおよその骨格となっている。

     宇宙は存在の源からのただ一つの光エネルギー流で作られるとする新プラトン派の思想を受けて偽ディオニシウスが光の神学をあみだす。神は「光」、「炎」、「輝く泉」だとする偽ディオニシウスの思想は中世社会に広まり、輝きが美の原因として認められるようになるが、輝きは質であって比例ではないだろう。そこで輝きを比例に還元しようという試みが何度かくわだてられたが、トマス・アクィナスにいたって輝きは比例とは別の原理とされ、美が存在するには全体性・輝き・比例の三つが必要ということになった。

     ルネサンス期は古代回帰で比例理論がまた力を持つようになったが、後期になると緊張のねじれから美が生まれるという美の観念が生まれ、マニエリスムやバロックにつながっていく。

     18世紀になると理性・規律・計画を重んじる市民階級が勃興して新古典主義が流行するが、新古典主義は比例を復活させるかに見えて、その実、比例の根拠を掘り崩すことになる。新古典主義もまた美は客体の側ではなく主体の側の現象だとする新しい考え方にもとづいていたからだ。

     実際、18世紀には主体の審美能力に係わる「趣味」「天賦の才」「想像力」「感情」が重視されていた。この新しい美学の代表者はヒュームである。『道徳、政治、文学に関するエッセイ』から引こう。

    美や醜は、甘さや苦さ以上に事物に内在する性質ではなく、内的であれ外的であれ、感情に全く属していることは明らかであるが、事物の中に、本性によってそのような特別な感情を産み出すのに適したある種の性質が実在することは認めなくてはならない。……中略……もし同一の性質が、持続した構造内にごくわずかな程度しかないために、ある人にははっきりとした喜びや不安をもって感官に作用しないのであればそのような人は精妙さに欠けるとするのである。

     ヒュームの美学を継承し発展させたのはカントである。カントは美的判断とはすべての花でなく、特定の花が美しいと語ることだとした、なぜなら美的判断は原則ではなく感情にもとづくからである。

     この後にロマン主義の渇望の美学が来る。ロマン主義の時代は産業資本主義の勃興期にあたっていたが、産業が社会を変えていくと変化についていけない芸術家たちが芸術至上主義に引きこもり、デカダンスにあこがれるようになる。そしていよいよ20世紀となるわけだ。

     思想史の側面はこれくらいにして、詞華集の面にもどろう。どんな作品が集められているのだろうか。

     『カルミナ・ブラーナ』はオルフの歌曲で有名だが、もともとはベネディクトボイエルン修道院で発見された俗謡集であり、エーコはこんなけしからぬ詩を選んでいる。

    私は目的に近づくが、娘はさめざめと泣き、乙女の扉をあけるのをためらいながら、私の炎をさらに掻きたてる。彼女は泣き、私はその甘美な涙をのむ。こうして私はますます酔い、ますます情熱に身を焦がす。

    涙に濡れた接吻のいっそう甘美な味に刺激され、心はさらに内なる愛撫へと向かう。情熱に引きずられ、欲望の炎は私の中でますます激しく燃え盛る。そうするうちにコロニスはしゃくりあげながら苦痛を打ち明け、私が頼んでも静まってはくれない。頼みをくりかえし、接吻をくりかえすが、彼女は涙を流しつづけ、私をののしり、私を憎らしげににらんだり、嘆願するように見つめたり、抵抗したり、懇願したり。私は彼女に懇願するが、彼女の愛撫はますます私の願いを無視してくる。

    そこで私は大胆になり、力をふるった。彼女は爪を立てて私を引っ掻き、私の髪をひっぱって泣き、全力で私をはねつけ、体を曲げて、恥じらいの扉が開かぬよう、膝を閉じた。

     これはほとんどポルノではないか。

     一方、純愛に殉じた詩人もいる。『バウドリーノ』のアブドゥラのモデルとなったジョフレ・リュデルというトゥルバドゥールである。

    わたしを決して見ることのない彼の地のひとを
    わたしが愛したとて驚くことはありませぬ
    他の恋を喜ぶ心をもたないのですから
    この地でそのようなひとに会ったこともなく
    他の喜びがわたしを楽しませたこともなく
    どのようにしたらよいかわからないのです
    ああ、ああ

     時代がくだってロマン主義の時代になると、ナポレオンが自ら書いた小説『クリッソンとユージェニー』の一節が引かれている。

    アメリーは美しい身体、美しい瞳、美しい髪、美しい肌色の持ち主で、17歳だった。ユージェニーは彼女より一歳年少で、美しさでも劣っていた。アメリーが人を見つめると、こんな風に言っているようだった。あなたは私に恋をしているんでしょ、でもあなただけじゃないのよ、他にもたくさんいるの、だから私に好かれたかったら、私の機嫌をとらなきゃだめなのよ。私はお世辞が大好きだし、きちんとした人が好きなのよ。ユージェニーは決して男性をじっと見つめたりはしなかった。想像しうる限りもっとも美しい歯を見せるために、優しく微笑むのだった。彼女が手を差し出すときは、おずおずと差し出し、あっというまに引っ込めてしまうのだった。

     文学作品だけでなく哲学や神学の文章も集められているが、ここでは渋いところでヘーゲルの『美学』から引用しよう。

    キリストのこの生涯において重大なのは、彼がこの人間としての唯一の存在を捨てたこと、十字架上の苦しみ、霊の長い苦難、死の責苦である。個人としての直接的な存在、外的な、身体的な見かけが否定的なものとしてのまさに拒絶の苦悩において示されるという内容自体にここには暗に含まれているほどである。それは、精神が主観的な独自性と感受性を犠牲にすることによって真実に、天に到達するためであり、この表現の領域を古典的な造型の理想から全く別のものに切離すためなのである。

     本書は視覚的にも好奇心的にも満腹にしてくれる。

  • 西洋の美の歴史を古代から現代まであまねく俯瞰する。

  • おおまかな美術史にしたがって、絵画を掲載する。オールカラー。絵の選択が偏っている気がするのと、説明が抒情的すぎるように思った。印刷は美麗。

  • ふぅ〜、と、ため息。
    時間をとって、ゆっくりながめていたいけど、とても期間内に読みきれませんね。
    次の予約も入っているようなので、一先ず返却せねば・・・
    はぁ〜。

  • ウンベルト・エーコの美術シリーズ第一弾。私は『醜の歴史』を先に読んだが、『美の歴史』の方が先に刊行され、『醜・・・』はそれに続くもの、さらに第三作目が執筆中であるらしい。古代ギリシャから始まり、現代まで、大河のように西洋美術の流れを見せてくれる。それはさながら美術に基点を置いた歴史書であり、文明論でもある。ギリシャの端正な美やロマン主義の物語のような絵もすばらしいが、いわゆる美術の中には括れない対象について述べている第XV章「機械の美」がなかなかおもしろかった。巻頭、女性・男性の美の変遷が評で示されるのだが、これが圧巻。重厚で楽しい本です。*はてさて、「美」「醜」と来たら、次は何なのだろう?*原題は「Storia della bellezza」。へ、イタリア語では歴史がstoriaなのか、と思って少し調べたら、英語のstoryはhistoryから派生した言葉なんだそうで。元々はギリシャ語。histoire(フランス語)、historia(スペイン語)、storia(イタリア語)はどれも歴史と物語の両方の意味があるらしい。*個人的なお気に入りは、ジュゼッペ・サンマルティーノの「ヴェールをかけられたキリスト」(ナポリ、サン・セヴェーロ礼拝堂)とシャルル・オーギュスト・メンギンの「サッフォー」。前者はいつか実物を見てみたい。*若かりし日のナポレオンが物語を書いたりしていたことがあったらしい(本書に挙げられていたのは『クリッソンとユージェニー』。ロマンチックな物語だそうだ)。へぇ。*図書館の返却期限が迫っていたので、今回、少し駆け足で読んでしまった。こういう本こそ手元に置くと楽しいだろうなと思いつつ。英語版だと『美・・・』と『醜・・・』2冊組で和書どちらか1冊分の値段のようだ。むむ。

  • たまにペラペラ眺めてます。ゆっくり読んでみたい本。

  •  まず、その圧倒的なページ数と重さに圧倒されるが、内容にも冒頭から驚かされる。
     著者の独断と偏見による「美」の基準による古今東西のアグニスとヴィーナス、ジェームス・ディーン、ツイギイー等々まで彼の美意識に適ったとして載ってきている。
     美しい印刷と巧みな画面レイアウトが、読者を飽きさせない。

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著者プロフィール

1932年イタリア・アレッサンドリアに生れる。小説家・記号論者。
トリノ大学で中世美学を専攻、1956年に本書の基となる『聖トマスにおける美学問題』を刊行。1962年に発表した前衛芸術論『開かれた作品』で一躍欧米の注目を集める。1980年、中世の修道院を舞台にした小説第一作『薔薇の名前』により世界的大ベストセラー作家となる。以降も多数の小説や評論を発表。2016年2月没。

「2022年 『中世の美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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