ホテルワ-ルド

  • ディーエイチシー
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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784887243149

作品紹介・あらすじ

ホテルに就職2日目で事故死してしまった幽霊のサラ、ホテルの前で物乞いするホームレスのエルス、鬱状態で起き上がれない、ホテルの元受付係のリサ、ホテルの記事を書く新聞記者のペニー、死んだサラの妹クレア-5人の女性の人生が、イギリスの名もない街のホテルでほんの一瞬交差する。生きること、死ぬこと、そして愛すべき人生のディテールを繊細かつ大胆に描く新世紀の英国小説。

感想・レビュー・書評

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  • 『火を見ることも。草を見ることも。鳥を見ることも。羽も。鳥のつぶらな   も。鳥が見るためにあるもの。みんなが見るためにあるもので、二つあって、鼻の上にくっついている。その言葉が出てこない。さっきまでわかっていたのに』―『過去』(※「つぶらな」の後は「空白」になっています。多分ここには入るのは「まなこ」という言葉の筈)

    引き続きアリ・スミスを読む。今や絶版となってしまっている「ホテルワールド」。図書館に収蔵されていたものを借りて読む。一軒の古びたホテルで事故死した少女の幽霊の一人語りから始まる連作短篇集。英語の時制(Passage of Time)を章題とする六つのエピソードは、最後の章を除いて各々異なる人物(幽霊一人を含む)によって語られるのだが、ホテルワールドを介して緩やかに繋がりが合う。そして実験的とも言える文体の違いは、謎解きのようで興味深い。原文では恐らく文法的に時制(Past、Present Historic、Future Conditional、Perfect、Future in the Past、Present)も章題に合わせて書かれているのだろう。この作家が文法や言葉の定義に強いこだわりがあるのは、他の作品でも見た通り。初期の作品からその特徴が強くあったのを確認する。翻訳では理解しにくいけれど、英語版WiKiによれば各々の時制は登場人物に起こったこと、内面の変化を表すのに適したものが選択されているらしい(その他、この本のテーマと思われるものについて参考になる記述も多い)。言われてみればそうかなとも思う。

    そしてジェンダーに関するこだわりも、また。ここでも主人公は全員女性。ほんのりと同性愛的なエピソードも書かれているし、シスターフッド的なエピソードも多い。

    文体に関して言うと、例えば冒頭の引用の空白は、少女の幽霊が徐々に記憶を失っていく状況を視覚的にも示していたり(時制が現在完了ではなく単純な過去なので現在との繋がりが切れているとも解釈出来る)、亡くなった少女の妹が語る章(過去形で語る未来/Future in the Past:過去の時点で未だ起きていない筈の未来を示唆する効果がある。ここでは姉を失った少女の立ち直りを示唆するとも読める)では句読点がほとんどなく、物凄いスピードで少女の思考がぐるぐると行き場を求めて彷徨う様が表現されているように感じられるし、物乞いの女性が語る章(現在形で語る過去/Historic Present:過去のことを生き生きと表現するとされる。一見、死んだ少女との繋がりが薄い登場人物のエピソードでありながら、実は全てを繋げる重要なエピソードであることを示すとも解釈可能か)では物乞いの女性の社会的に置かれた立ち位置が言葉使いによって表現されていたり(英国ではマイ・フェア・レディの例にもあるように言葉使いや訛りで社会的身分が知れてしまうということはよく知られていること)、という風に読み解[ほど]いていくのも、また、作家の意図を読み解[と]くヒントになる。そんな複雑な読書を強いるのがこの作家の特徴なのだと理解する。

    『こずね。うむってむすんか。 (Chn. Spr sm.) むす くぬぶんしゅうが くいどくでくるば ひしゅぬなっていいしゅくぬつくる。 (F y cn rd ths msg y cd bcm a scrtry n gt a gd jb.)』―『現在形で語る過去』

    アリ・スミスを読んでいると、例えば、こんな文章に出くわした時、これを読み解こうと思うか、それとも記号として読み飛ばしてしまうか、その選択が実は社会的な問題に対する読者自身の態度を暗示しているのだ、と作家に言われているような気になる。それは考え過ぎなのかも知れないけれど。まあ、そんな風に固く考えずとも「黄金虫」の暗号の解読に倣って少し頭を捻ってみる。

    「こずね。うむってむんすか?」、「こずね。うむってむんすか? ありぐと。」という呪文のような言葉は何の説明もなく語りの中に放り込まれている。首を捻っているとやがて、ヒントの含まれる文章に行き着く。母音を省略している、ということはこの章の主人公が既に語っているので、それを手掛かりに長めの文章の解読から取り掛かる。「gt a gd jb」がいい職を得るという意味だとも言われているので、これは「get a good job」だと解る。msgはmessageだろう、とすれば「ぶんしゅう(ぶんしょう[文章])」に相当する可能性が高い。であれば「くぬ(この)」は「ths」で、これは「this」。あはっ。

    もしこの文章が解読できれば秘書になっていい職に就ける。(If you can read this message you could become a secretary and get a good job)

    秘書になりたい訳ではないけれど、そう解読はできる。そして解読してみて、その言葉が意味している社会観や格差が生み出す偏見のようなもの(秘書になりたい訳ではない、と自分自身が思ったことも含めて)がたっぷり謎かけされていることにも気が付く。恐ろしい。そして問題の「こずね。うむってむんすか」。うむ、この呪文の意味はなんだろう。「Chn. Spr sm.」。「Chn」は「Change」か? 「sm」は「Some」? 突然、何十年も前に聞いたロンドンの物乞いの言葉が蘇る。「Spare Some Changes」。言葉が繋がる。

    小銭、余ってませんか? Changes. Spare some.

    「ありぐと」はもちろん「ありがとう」。

    それが解読できたからと言って、社会的問題に対して関心が高いことを直接示す訳ではないし、性差別・格差問題に強い関心を持っていることを証明する訳でもない。でも、その面倒なことを避けずに読むことを作家が強いているのだと理解してしまった以上、避けて読み飛ばすことには大きな躊躇が伴う。自分自身の気持ちがすっきりとしない、という、ただそれだけのこと。ただそれだけだけれど、全てはその面倒臭さを回避しないことから始まるのだろう。と、ちょっと道徳の教科書的な読みになってしまうのがアリ・スミスの小説なのだと思う。

  • 岸本佐知子さんオムニバスで見かけ、気軽に読もうと手に取った。はずだが、かなりデェープでした。崖って怖いじゃないですか。落ちたことはなくとも、存在を認識した途端に沸き上がる恐怖心。動物なら本能的にそこから逃げ去るはずだが、その平常心ではいられない物に魅せられた若い女性5人の話って感じ。実際に崖飛び越えた人もいるけど、これを狂気でもホラーでもなく、哀しみ無情さで表してるのがもうほんとね、ヤバいよこの本。ホテルってそういうのを表現するいいアイテムにはなっている。やー、やっぱ皆生きるのしんどいんだよ。

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著者プロフィール

1962年スコットランド生まれ。現代英語圏を代表する作家のひとりで短篇の名手としても知られる。『両方になる』でコスタ賞など受賞多数。おもな著書に、『秋』『冬』『夏』『春』の四季四部作など。

「2023年 『五月 その他の短篇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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