女がひとり頬杖をついて

  • 童話屋
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784887470781

作品紹介・あらすじ

『おんなのことば』の対になる、茨木のり子二冊目の詞華集です。

大ベストセラー詩集『倚りかからず』から「倚りかからず」「鄙ぶりの唄」「笑う能力」「系図」「水の星」を採り、
最愛の夫への鎮魂歌を収めた詩集『歳月』からは「ひとり暮し」「なれる」の二編を収録しました。

そして圧巻は、長詩「りゅうりぇんれんの物語」です。
日本軍が強制連行した中国の若い農民の苦難の物語。
生前の茨木さんは、小冊子にしてでも多くの人に読んでほしいと願っていました。

童話屋の『おんなのことば』『女がひとり頬杖をついて』『わたくしたちの成就』三冊で
詩人・茨木のり子さんの詩業のほぼ全容が俯瞰できます。

感想・レビュー・書評

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  • 人の一生の、夕暮れ時をうたったうたばかりの、詞華集でした。私は、そこら辺の域までは、まだ達していないけれど、身に染みてくるうたが多かったです。
    あとは、戦争体験の悲惨さをうたったものですね。

    「学校 あの不思議な場所」
    ー学校、あの不思議な場所ー、とは「まさにその通り!学校って考えてみれば不思議なところ」と思ったら、まさにタイトルがそれでした。通っていた時はあたりまえに通っていましたが、二度と戻れない日々。
    「ひとり暮らし」
    作者の茨木さんは、25年間の結婚生活のあと、31年間独り暮らしを続けられたそうです。どんな想いで31年間もの間、独りで暮らしていたのか、はかり知れません。
    「悪童たち」
    私は人をしかったりしたことが、いまだにない気がします。文句なら言いますが。
    「今昔」
    ー春風のようにひとを包むー、というところが、いいな、と思います。
    「ぎらりと光るダイヤのような日」
    ーじぶんが本当に生きた日が あまりに少なかったことに驚くだろうー、本当に生きた日ってどういう日のことでしょうか。日常生活おくることは、本当に生きているのとは違うのでしょうか。
    「木の実」
    戦争のない時代に生まれて本当に幸せだと思いました。愛する人が、戦争に奪われるのは、たまらないでしょう。
    「りゅうりぇんれんの物語」
    今、北朝鮮の拉致問題が、日本では解決していませんが、日本軍も、昔は中国の人をさらったりしていたのですね。14年後の歳月の後の妻子との再会の時!

  • 著者、茨木のり子さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    茨木 のり子(いばらぎ のりこ、本姓・三浦(みうら)、1926年(大正15年)6月12日 - 2006年(平成18年)2月17日)は、日本の詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家。

    1953年5月に同じ「詩学研究会」に投稿していた川崎洋と共に同人誌「櫂(かい)」を創刊。創刊号は川崎洋・茨木のり子の二人だけの同人誌だったが、二号からは谷川俊太郎、三号から吉野弘、四号から水尾比呂志が参加し、その後も中江俊夫、友竹辰、大岡信など多数の詩人を輩出した。

    1999年に73歳で刊行した詩集『倚りかからず』は、同年10月16日の朝日新聞「天声人語」で取り上げられたことで話題になり、詩集としては異例の15万部を超えるベストセラーとなった。

    「櫂」の同人に興味をもったため、少々調査しました。

    ・茨城のり子(1926~2006年)
    ・川崎洋(1930~2004年)
    ・谷川俊太郎(1931~)
    ・吉野弘(1926~2014年)
    ・水尾比呂志(1930~)
    ・中江俊夫(1933~)
    ・友竹辰(1931~1993年)
    ・大岡信(1931~2017年)

    なお、1953年に「櫂」は創刊されましたが、1953~54年は若い世代による詩誌が相次ぎ登場した時期だったそうです。

    で、今回採りあげた、『女がひとり頬杖をついて』は、著者の没後に、編集された詩集です。
    37ページまで読んで、あとは拾い読みにて、終了としました。

    2021年9月27日、追記。

    著者、茨木のり子さん、新聞報道によると、「自宅で死去しているのが見つかった」となっていて、孤独死のようです。
    が、著者が亡くなられたあと、松永伍一さんが受け取った封書には、次のように書かれていたそうです。

    このたび私2006年2月17日クモ膜下出血にて
    この世におさらばすることになりました。
    これは生前に書き置くものです。
    私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
    この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品は
    お花も含め、一切お送り下さいませんように。
    返礼の無礼を重ねるだけだと存じますので。
    「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬
    思い出して下されば、それで十分でございます。
    あなた様から頂いた長年にわたるあたたかな
    おつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸に
    しまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かに
    して下さいましたことか・・・・。
    深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に
    代えさせて頂きます。

    ありがとうございました。

  • 茨木さんの心の強さを感じる。

  • もっと、この人の詩を読みたくなった
    引き込まれていった

  • 表題作がたまらなくいい。綺麗で鋭い心の破片があちらこちらに散らばっている。

  • 茨木のり子さんの詩はすべて好き。
    童話社さんの装丁も。

  • 日本語の美しさ。

  • りゅうりぇんえんの物語が衝撃的でした

  • 詩集は全くといっていいほど読まないけど、某所で紹介されてた「倚りかからず」を読みたくて買った。ほかに好きなのは、答/学校 あの不思議な場所/こどもたち/笑う能力/瞳/ぎらりと光るダイヤのような日

  •  もはやできあいの思想には倚りかかりたくない もはやできあいの宗教には倚りかかりたくない もはやできあいの学問には倚りかかりたくない もはやいかなる権威にも倚りかかりたくない ながく生きて心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目じぶんの二本足のみで立っていてなに不都合のことやある 倚りかかるとすればそれは椅子の背もたれだけ  茨木のり子「倚りかからず」

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著者プロフィール

1926年、大阪生まれ。詩人、エッセイスト。1950年代より詩作を始め、53年に川崎洋とともに同人雑誌「櫂」を創刊。日本を代表する現代詩人として活躍。76年から韓国語を学び始め、韓国現代詩の紹介に尽力した。90年に本書『韓国現代詩選』を発表し、読売文学賞を受賞。2006年死去。著書として『対話』『見えない配達夫』『鎮魂歌』『倚りかからず』『歳月』などの詩集、『詩のこころを読む』『ハングルへの旅』などのエッセイ集がある。

「2022年 『韓国現代詩選〈新版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

茨木のり子の作品

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