図説死の文化史: ひとは死をどのように生きたか

  • 日本エディタースクール出版部
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  • Amazon.co.jp ・本 (423ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784888881623

作品紹介・あらすじ

すべての者が回避できない死というテーマに真正面から取組み、そのイメージの変遷から、人間が死とどのように向きあってきたかの歴史を読み解くアリエスの遺著の全訳。古代ローマ・アッピア街道の墓所から、ベルイマンの映像の現在に至る、多様な図像表現を駆使した本書は、本当の意味で、フランス歴史学派の最初の映画的書物です。

感想・レビュー・書評

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  • 序 死とイコン
    第1章 墓地と教会  市外 市内
    第2章 墓碑  個人名から匿名へ ブルジョワ化
    第3章 家から墓まで  安置と納棺
    第4章 あの世  皆はらからの世界 再会の場
    第5章 すべては空なり  死の魅惑
    第6章 墓地の回帰  19世紀における墓地の移動
    第7章 他者の死  
    第8章 そして今

    p11
    こんにち(ローマ世界の)遺跡として残っている墓は、都市の名士たちによって建てられた記念碑でした。1つは都市の中心の広場に面して(彫像、石碑、記念碑文)、いまひとつは自分の墓のある場所、つまり街道筋で、通行人によって目にされ、読まれるに最適の場所でした。
    墓というものは、町に恩恵を施した人のためにのみ限定されていたのです。
    そして、一瞬を生きている人々に、それとは反対に生の時間を乗り越え、追憶のおかげで死後も広がっていくような時間の持続性と言う観念を、押し付けることのできる、当時唯一の力でありえたのでした。
    じっさい紀元1世紀から、死に関する表現は、他界の神秘よりも、現世の享楽をより多く喚起するものとなっていました。水差しやモザイク画に書かれた骸骨は恐れを促すためのものではなく、反対に快楽の追求の期間を楽しむことを勧め、人生の儚さを喚起するものでした。「汝自身を知り、汝に死の来たることを知れ」

    ΓΝΩΘΙ ΣΑΥΤΟΝ
    汝自身を知れ ギリシア語: γνῶθι σεαυτόν(グノーティ・セアウトン)英語:Know thyselfは、デルポイのアポロン神殿の入口に刻まれた古代ギリシアの格言

    状況が変化したのは紀元後2〜3世紀の頃でした。
    墓地がはじめて都市に出現します。
    地位も名声もないし者たちももはや常に街から離れた場所でゴミ捨て場の近くに埋められと言うわけではなくなるのです。死んだ仲間を葬るための土地を近在に求めて買い上げました。


    p35
    11世紀の少し前に、それまではもっと移動的で教会も持たなかった居住地が、以後1000年以上に及ぶ場に定着したのでした。
    その定着の中心になったのが教会とその中庭だったのです。こうして死者たちを街から遠ざけておこうとする旧来のタブーが消滅したのでした。もはや教会のない墓地がないのと同様墓地のない教会も存在しませんでした

    p303
    静物画はフランス語で死んでいる自然と表記する。
    ろうそくは減り、パイプの煙は消え、音楽は絶え、花はしおれ、か弱い蝶は最後に飛び交い、グラスは倒れて、パンは硬くなり、武器は錆び付く。
    骸骨、時計、シャボン玉。空虚。

    p324
    若い娘と死の神話で出会った、死とセックスの関係。
    死と欲望の出会いからのエロティシズム。

    p408
    家の私的な空間や、病院の匿名性といった秘密の場所に身を寄せてしまった死

  • 主にヨーロッパにおける死のイメージの変遷について図像から探る内容。避けては通れない死について、その距離感や象徴されるものが時代とともに移り変わっていく様子がとてもおもしろい。さらに理解を深めてからまた読みたい。

  • 人がどう死んできたのか、死(者)にどう対応してきたのか、というテーマを、主にローマ〜19世紀までのヨーロッパについて図版を交えながら記したアリエスの大著。 ローマのカプチン会修道院へ行きたいと思ったのは、そういえばこの本で知ってからだったんだと今ぱらぱらと見ていて思い出した。 死はやはり恐ろしくも蠱惑的なテーマだ。

  • 大阪天王寺区の應典院さんに立ち寄った際に読んだ本。ざっとですが通読しました。

    内容はヨーロッパ限定ですが、「死の扱いに伴う社会構造の変化、文化の変遷」が非常によく分かる。図説なのでパラパラ読む分にもいいですし、文章も多少のヨーロッパ史の予備知識があれば難しい文章ではありません。

    墓地も墓碑すらもない、ただ道端に屍体を埋めるだけだったのがどのようにして今のような形になったか、宗教との関連も手に取るように分かってきます。死んだ人の「寝姿」と「祈る姿」が合流して「寝ながら祈る姿」になるとか、そういう「死者の描かれ方の変化」にも歴史があるんですね。

    「死んだら無になる」という二ヒリスティックな死について、エロティシズムとの関連で論じられています。

  • 2011/5/20 参考文献

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著者プロフィール

(Philippe Ariès)
1914年、ロワール河畔のブロワで、カトリックで王党派的な家庭に生れる。ソルボンヌで歴史学を学び、アクシヨン・フランセーズで活躍したこともあったが、1941-42年占領下のパリの国立図書館でマルク・ブロックやリュシアン・フェーヴルの著作や『アナル』誌を読む。家庭的な事情から大学の教職には就かず、熱帯農業にかんする調査機関で働くかたわら歴史研究を行なった。『フランス諸住民の歴史』(1948)、『歴史の時間』(1954、1986、杉山光信訳、みすず書房、1993)、『〈子供〉の誕生』(1960、杉山光信・杉山恵美子訳、みすず書房、1980)、『死を前にした人間』(1977、成瀬駒男訳、みすず書房、1990)などユニークな歴史研究を発表し、新しい歴史学の旗手として脚光をあびる。1979年に社会科学高等研究院(l’École des Hautes Études en Sciences Sociales)の研究主任に迎えられる。自伝『日曜歴史家』(1980、成瀬駒男訳、みすず書房、1985)がある。1984年2月8日歿。

「2022年 『死と歴史【新装版】 西欧中世から現代へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

フィリップ・アリエスの作品

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