- Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
- / ISBN・EAN: 9784890632961
作品紹介・あらすじ
戦争は悪である。誰もが平和を願う。だがそれにもかかわらず、戦争や軍事には人を魅了するものがある。なぜ人間は「戦い」に惹きつけられるのか?なぜ人は「兵器」に興味を抱くのか?戦争は「純然たる悪意」のみの産物ではない。むしろ、愛や、希望や、真心や、正義感があるからこそ、人は命をかけて戦うことができ、戦争を正当化できてしまう…。本当に平和について議論をするのならば、軍事は「文化」であり、戦争は「人間的な営み」であることを、まずは素直に認めなければならない-人間の矛盾と限界を見つめ抜く、挑発的な戦争論。
感想・レビュー・書評
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戦争という行為はどのようなものであるのか、という根源的な問いについて、現実的な考え方を提示した本。人間の生活や思想、考え方などといったものは環境によって異なり、非常にあいまいなものであるので、戦争も、またそれに対峙する平和も、普遍的な意味を付与することはできない。皮肉で冷笑的と捉えられるかもしれないが、まず人間とはどのような存在かという理解から、あらゆる社会活動の議論をスタートさせなければいけないということに気づかせてくれる良書。
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『私たち、戦争人間について』を先に読んだので、重なっている部分も多かったのだが、こちらはより「宗教と戦争」に重きが置かれている。また「キリスト教信者として自分は戦争を(あるいは平和を)どう考えるか」という部分がはっきりと書かれていて、どちらも良い本だが、こちらはより心に迫る本であると感じた。
戦争は悪であり、平和は崇高なものであるという一般論は思考停止であり、人間的な営み、文化である「戦争」「平和」を謙虚に考えなければならないという主張は大いに納得できるものだった。
人間が人を愛すること、不正を憎むこと、名誉を重んじることは「良いこと」ととらえられるが、それがあるからこそ戦争に命を懸けられる。
人が完全に利己的なら戦争などしないし、絶望していてもしない。自分たちにより良い世の中があると信じているからこそ命がけで戦うのだ、と。
著者がこれからの戦争は、武器を取って命を奪うものから情報戦、政治・経済戦になるだろうと予測していたが、ロシアのウクライナ侵攻は第二次世界大戦時と同様に始まったことは驚きだった。ウクライナの人が戦う理由があると信じているように、ロシアの人も正しい戦争だと信じている。そう思わなければ命を危険にさらすことはできない。
私はキリスト教徒ではないが、巻末にある聖フランチェスコの祈りは心に響く。特に「慰められるよりは、慰めることを 理解されるよりは、理解することを 愛されるよりは愛することを求めさせてください。」というところ。これが著者の言う「謙虚」な姿勢なのかもしれない。 -
戦争
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戦争は悪である。誰もが平和を願う。なのになぜ、戦争が生まれてしまうのか? 本当に平和について議論をするのならば、軍事は「文化」であり、戦争は「人間的な営み」であることを、まずは素直に認めなければならない。そう主張する著者が人間の矛盾と限界を見つめ抜く戦争論。
序 戦争は人間的な営みである
1 戦争のなかの矛盾、戦慄、魅惑
2 愛と希望が戦争を支えている
3 兵器という魅力的な道具
4 軍人もまた人間である
5 「憲法九条」も戦争文化の一部である
6 人間を問うものとしての「戦略」
7 その暴力は平和の手段かもしれない
8 平和とは俗の極みである -
挑発的なタイトルだったので、けっという感じで読み始めたのですが、共感できるところがたくさんありました。武器や戦いそのものに魅力を感じることが少なくないし、正義や愛や故郷愛のため、もっと言うと、平和のために戦争をするというくだりは、うーんと納得せざるを得ない。
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中々語られない人間原理からの戦争概論。掘り下げは余り深くなく、また宗教者としての側面がやや強調されすぎるきらいはあるが、論旨としての「戦争という概念を忌避しているだけでは戦争の輪郭は見えない、平和に繋がらない」には同意。
だが平和主義者の単一視点を疑問視するあまり、導かれる結論が運命論に傾倒してしまっているきらいがある。
全てに諸手を上げて賛同とまではいかないが、興味深い一冊である。 -
大学生協、¥1430
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戦争というものをどう考え、向き合うべきなのかを示唆する本。語り口はとても丁寧で静かなのに力強さや重さが感じられました。
戦争、そして人間というものはどういうものなのか、ずっしり心に響きました。