ポスト・モダンの条件: 知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 1)

  • 水声社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784891761592

感想・レビュー・書評

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  • ポストモダン論の古典。昔から、著名は知っていたが、「今更読まなくてもポストモダンは知っている」という気分だった。

    つまり、ポストモダンは、「大きな物語」が終わって、あらゆる価値が等価になったので、よって記号としての差異を楽しもうみたいなことだろうと思っていた。

    でも、一応、原典にも当たっておこうと思い、読んでみた。

    「楽しもう」みたいなニュアンスは少ないが、大雑把に要約すると上に書いたようなことではある。

    しかしながら、議論のフォーカスは、科学哲学や思想、そして教育といったところが中心で、ルーマンとハーバーマスを仮想の論敵としたわりとハードな感じ。文化的なことや社会心理的なソフトな話しは、少なめ。

    そうか、最も根源的な「大きな物語」は、「自由」とか、「科学」とか、「正当化」する根拠とか、そういうとなんですね。では、それらへの信頼がなくなった後に何が残るのか、というと「自由」であるわけでもなく、「資本主義」だったり、「技術」であったりする。「大きな物語」後は、それらは、価値というより、実践的な知、効率性ということが基準になっていくという指摘。

    ポストモダンという言葉でなんとなく感じるイメージとは違う世界。つまり、AIがどんどん進んで、何がなんだか和辛くなっているまさに現代の話しだな。

    でも、それを真正面から批判しても、機能しないこともわかっていて、さてどうしたものかという感じ。

    というわけで、読む前の漠然とした印象とは違って、ヘービーナ本でした。やはりこういうのって、やはり実際に原典を読まないといけないですね。

  • デタラメな数学の概念などの乱用で「ソーカル事件」にまきこまれたようではあるが、それとは関係なく(というより、ソーカルも履き違えているし、結局は〈ポスト・モダン〉に加担することになったのでは?)ここに提起された問題は重要。

    啓蒙[p8]などの「大きな物語(ホモロジー[p11]、メタ物語、〈モダン〉[p8])」が終わり、「小さな物語(パラロジー[p11]、〈ポスト・モダン〉)」へ移り変わった現代の知の有り様を指摘。現代の個人は「コミュニケーションの回路の≪結び目≫のうえ」、「様々な種類のメッセージが通過するポストの位置」にある[p43]。それは不安定で、絶えず動き回っているミクロの原子などにたとえられる。

    それにもかかわらず、権力/権威ある制度などが従来の「大きな物語」で制御し、効率化しようとする(正当化[p24]、力による正当化[p118]、コンセンサス[p160など])。それはそれぞれゲームにたとえられ(ゲームなのだが、とくに言語ゲーム)、言表はプレーヤーのうつ≪手≫である[言語ゲーム成立の三つの条件、p30]。しかし、そこから漏れてしまうものがある。それが「テロル」[「ある言語ゲームのプレーヤーの、そのゲームからの抹消/抹消の脅迫によって得られる効率」p156]として制御される(ホメオスタシス)。しかしこのテロルを放棄すること[p161]によって、コンセンサスをローカルなもの(個別的なもの、「小さな物語」)にして、多様性を目指さなければならない。そして、そのそれぞれのなかの効果が主要なものに規則の採用を価値付ける「パラロジー」[p162、「専門家のホモロジーから、発明家のパラロジーへ[p11]」]を探究する責任を負う。

    また、個人的に共感したのは知識の有り様の変化の素描。それは「貨幣」と同じネットワークによって流通し、「知/無知」から「≪支払い用知識≫/≪投資用知識≫」になったというもの[p19]。たとえば、本を読みこうしたレビューを書いて知識などを整理したりしても明日や明後日にお金がもうかるわけではない(≪投資用知識≫)。それに比べて専門学校に行き看護士の資格をとれば少なくとも経済的な安定が得られる(≪支払い用知識≫)。自分が日々ローカルに実践するのは、もちろんこの≪投資用知識≫の摂取である…。

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