ポスト・モダンの条件: 知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 1)

  • 水声社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784891761592

感想・レビュー・書評

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  • 物語的な正当化が凋落し、テロルが暗躍する――大きな物語の終焉を迎えた現代を、言語ゲームを用いて読み解く。

    些か唐突に不完全定理やサイバネティクスなどの単語が登場するが、ゆっくり読めば理解できる。「大きな物語の終焉」という言葉の走りと言うことで、原典を当たってみたが小さな物語及び科学に些か夢を見すぎではないか。

  •  ポストモダンという語について語る時にまず初めに名前に上がるであろう書籍がこの「ポストモダンの条件」である。本書は1979年にフランスにて刊行された。結論から言えば本書は、世界が多様化し今まで信じられてきた普遍的な価値の在り方とその全体による合意形成が既に実行力を失い、それに伴い高度に複雑化し変化した現代の哲学潮流の状況を整理し、近代(モダン)の後(ポスト)の時代として「ポストモダン」と定義づけた代表的な本であると言える。
     本書における最も大きな問いは「知が正当性を持つ時は一体どういう時か?」というものであると言える。我々が一般に信じるような「普遍的な」考えとは一体どのようなもので、そこにおける「普遍性」はいかなるときも普遍であると言えるのか?とリオタールは問いかける。そしてそれに対し、いかなる知がその正当性を持つとき、そこには「物語」が必要であるということを論証する。つまり我々が当たり前に「普遍的」だと信じる物事の裏側には、それを正当化するための暗黙に了解されたひとつの物語、すなわち「大きな物語」が存在するのだと指摘する。
     そしてその上でリオタールは、この情報化が進んだポストモダンという時代にはそうした社会全体での暗黙の了解は疑われ維持不可能なものであるとし、そのような一義的で絶対的な価値観の在り方に固執するモノロジー的な考え方ではなく、多様な価値観の並列をそのままの形として受け入れるべきであるとするパラロジーという思想を展開した。このパラロジーという思想は、一つとして20世紀ポストモダン思想の中心核となる「脱構築」という命題をうまく捉えているようにも見える。そのことからも、本書は20世紀ポストモダン思想の根幹をコンパクトに整理した入門書のような立ち位置として読まれることもまた期待できるだろう。

  • ポストモダン論の古典。昔から、著名は知っていたが、「今更読まなくてもポストモダンは知っている」という気分だった。

    つまり、ポストモダンは、「大きな物語」が終わって、あらゆる価値が等価になったので、よって記号としての差異を楽しもうみたいなことだろうと思っていた。

    でも、一応、原典にも当たっておこうと思い、読んでみた。

    「楽しもう」みたいなニュアンスは少ないが、大雑把に要約すると上に書いたようなことではある。

    しかしながら、議論のフォーカスは、科学哲学や思想、そして教育といったところが中心で、ルーマンとハーバーマスを仮想の論敵としたわりとハードな感じ。文化的なことや社会心理的なソフトな話しは、少なめ。

    そうか、最も根源的な「大きな物語」は、「自由」とか、「科学」とか、「正当化」する根拠とか、そういうとなんですね。では、それらへの信頼がなくなった後に何が残るのか、というと「自由」であるわけでもなく、「資本主義」だったり、「技術」であったりする。「大きな物語」後は、それらは、価値というより、実践的な知、効率性ということが基準になっていくという指摘。

    ポストモダンという言葉でなんとなく感じるイメージとは違う世界。つまり、AIがどんどん進んで、何がなんだか分からなくなっているまさに現代の話しだな。

    でも、それを真正面から批判しても、機能しないこともわかっていて、さてどうしたものかという感じ。

    というわけで、読む前の漠然とした印象とは違って、ヘービーな本でした。やはりこういうのって、やはり実際に原典を読まないといけないですね。

  • 八章まで読了。四章まで要約完了。
    難解な本。

  • https://calil.jp/book/4795271771
    出版社: 書肆風の薔薇
    重複登録?

  • ゲーデルとか量子論うんぬんやってるとこは読み飛ばしたが、教育とか大学の話としての主張自体はシンプルというか。レディングズ先生によると「教育の問題とリオタールの研究との関係は、必ずしも認められてこなかった。『ポストモダンの条件』が獲得した名声のおかげでこの書が大学評議会用に書かれたケベック政府の報告書であるという意味が曖昧にされている」らしい。まあ読んでみるとふつうに大学論じゃんという印象は受ける。

  • <閲覧スタッフより>

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    所在記号:104||リオ
    資料番号:10218774
    --------------------------------------

  • 時間、今日
    モナドの領域

  • デタラメな数学の概念などの乱用で「ソーカル事件」にまきこまれたようではあるが、それとは関係なく(というより、ソーカルも履き違えているし、結局は〈ポスト・モダン〉に加担することになったのでは?)ここに提起された問題は重要。

    啓蒙[p8]などの「大きな物語(ホモロジー[p11]、メタ物語、〈モダン〉[p8])」が終わり、「小さな物語(パラロジー[p11]、〈ポスト・モダン〉)」へ移り変わった現代の知の有り様を指摘。現代の個人は「コミュニケーションの回路の≪結び目≫のうえ」、「様々な種類のメッセージが通過するポストの位置」にある[p43]。それは不安定で、絶えず動き回っているミクロの原子などにたとえられる。

    それにもかかわらず、権力/権威ある制度などが従来の「大きな物語」で制御し、効率化しようとする(正当化[p24]、力による正当化[p118]、コンセンサス[p160など])。それはそれぞれゲームにたとえられ(ゲームなのだが、とくに言語ゲーム)、言表はプレーヤーのうつ≪手≫である[言語ゲーム成立の三つの条件、p30]。しかし、そこから漏れてしまうものがある。それが「テロル」[「ある言語ゲームのプレーヤーの、そのゲームからの抹消/抹消の脅迫によって得られる効率」p156]として制御される(ホメオスタシス)。しかしこのテロルを放棄すること[p161]によって、コンセンサスをローカルなもの(個別的なもの、「小さな物語」)にして、多様性を目指さなければならない。そして、そのそれぞれのなかの効果が主要なものに規則の採用を価値付ける「パラロジー」[p162、「専門家のホモロジーから、発明家のパラロジーへ[p11]」]を探究する責任を負う。

    また、個人的に共感したのは知識の有り様の変化の素描。それは「貨幣」と同じネットワークによって流通し、「知/無知」から「≪支払い用知識≫/≪投資用知識≫」になったというもの[p19]。たとえば、本を読みこうしたレビューを書いて知識などを整理したりしても明日や明後日にお金がもうかるわけではない(≪投資用知識≫)。それに比べて専門学校に行き看護士の資格をとれば少なくとも経済的な安定が得られる(≪支払い用知識≫)。自分が日々ローカルに実践するのは、もちろんこの≪投資用知識≫の摂取である…。

  • 評価というのはおこがましいです。意味が掴めませんでした。ああ。再読しなきゃ。でも一旦終了。

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