鏡・空間・イマージュ (風の薔薇叢書)

著者 :
  • 水声社
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784891762025

感想・レビュー・書評

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  • 宮川淳は存命なら79歳、1933年3月13日に東京で生まれて、35年前に惜しくも44歳の若さで肝臓癌で亡くなった美術評論家。

    「鏡、それは想像力にとって、もはやなにものかのイマージュではなく、イマージュそのものの根源的なイマージュにほかならないのだ」

    ジャスパー・ジョーンズにフィリップ・ソレルス、ルイ=ルネ・デ・フォレそしてアルベルト・ジャコメッティ、あるいはキュビスムにシュールレアリスムについて言及されたこの本、『紙片と眼差とのあいだに』や『引用の織物』など彼の一連の現代美術・芸術批評の著作を、高校生の時に読んだ私はその難解さ視点の斬新さに驚いて夢中になったものですが、同時期に他方で思想・哲学的には宇波彰に導かれながら、ガストン・バシュラールやジャック・デリダやジル・ドゥルーズやジャク・ラカンやミシェル・フーコーなどに触れてからというもの、宮川淳の言いたかったことがより深くわかる気がしたものでした。

    ところで驚くことに、なんとこの本の最終章は2006年に惜しくも83歳で亡くなった詩集『氷った焔』や小説 『アカシヤの大連』の清岡卓行論なのです。

    彼は夭折といってもいいと思いますけれど、そういえば、急にいま思い出しましたが、この宮川淳といい、前衛芸術やデザイン評論をしてマンガ評論の先駆者でもあり『俗悪の思想』の石子順造も同時代で48歳で亡くなり、それからロジェ・カイヨワの『人間と聖なるもの』の翻訳者でもあり名著『葡萄と稲・・・ギリシャ悲劇と能の文化史』を書いた小苅米硯もたしか若くして亡くなったはずですし、あと見渡してみると『旅の思想』や『旅の文法』の著者・山崎昌夫もそうだったはずです。

    10年以上ぶりで宮川淳の本を再読して、思わぬノスタルジックな気分になってしまいました。


    レビュー記述日:2010年3月13日
    一部推敲:2012年7月16日にしたところ全部消えてしまって、再度書き込んだら日付がまったく変わってしまいました

  • 装丁が素敵。
    図版が中央に構成されており、その中央に向かって集積されているような本の構造をしている。
    図版を前にして唐突に文章が途切れ、図版が終った頃にまた唐突に文章が始まる。
    表紙には清水徹という人(編集者?)の実に的確な人物描写が記されているのみで、
    裏表紙には宮川淳本人の文章が抜粋され、どちらを表紙にしても悪くない。
    非常に面白い意欲的な編集ながら、無駄なデザインは殆ど配されていなく、
    その為か我が大学の装丁の先生も、自分で作った外箱に納めて遊んでいた。

    内容についての説明は、落ち着いた色の本書に映える水色の鮮やかな帯の上に、
    中沢新一氏や浅田彰が寄稿していて、僕などが述べるより余程的確な為、そちらを抜粋する。

    >二十一世紀芸術のあらゆるジャンルにおける冒険をつきうごかしてきた精神のベクトルを、
    >宮川淳はたったひとこと「鏡」のイメージをもって、いちはやくとらえつくしてみせた。
    >この本がはじめて世にあらわれてから、すでに二十年がすぎた。しかし、
    >そのあいだにぼくたちの精神は、この本が予見し、到達した地点をどれだけ越ええただろうか。
    >中沢新一

    >宮川淳は、鏡のおもて、その「底なしの深さのなさ」に向かって降りていく。
    >自己でも他者でもないもの、いやむしろ、〈私〉であると同時に〈私〉でないもの、
    >この中性のシュミラクルの出現、「自己同一性の間隙からのある非人称の出現」に立ち会うために。
    >浅田彰

    宮川淳という人物を、何処か神秘的な存在に昇華させようとするような試みが、本書の全体から感じられる。
    そう易々と勧められる内容では無いが、現代美術好きと・・・装丁好きの方にも是非手にとって欲しい。

  • 見ないことの不可能性
    おしゃべり
    似ていること
    自己同一性の裂け目
    ジャコメッティ
    表層
    対象の遠ざかり、遠ざかりの現前
    死骸
    非人称性
    イマージュ
    「われわれは、<芸術は...ない>という否定形でしか芸術について語れなくなっているのだ。<ない>という不在そのものの現前である。影ー存在しないことの不可能性。」

  • [ 内容 ]
    鏡のなか―そこにいるのはわたしだろうか。
    だが、そこではわたしのどのような行為もイニシアチヴを失い、なにごとをもはじめえないだろう。
    わたしが断定するとき、すでにそこには同じ断定が先取りされていて、わたしの断定がわたしのものであることを蝕んでしまうだろう。
    このコギトの崩壊。
    わたしは見ているが、それはもはや、わたしの見ることの可能性によってではなく、ある非人称的な見ないことの不可能性によってなのだ。
    そこにいるのはだれか。
    そして、だれが語っているのか。

    [ 目次 ]
    鏡について
    神話について―ギュスターヴ・モロー
    街について―ベル・エポックのポスター
    顔について―素朴画家たち
    鳥について―ジョルジュ・ブラック
    夜について―ホアン・ミロ
    訪れについて―三岸好太郎と佐伯祐三
    眼について―アンドレ・ブルトン
    ランプについて―イヴ・ボンヌフォア
    出口について―清岡卓行

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