この世の王国 (叢書アンデスの風)

  • 水声社
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  • Amazon.co.jp ・本 (165ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784891762698

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  • フランス植民地のハイチ(当時は、ヒスパニョラ島の西半分の”サント・ドマング”。西半分の”サント・ドミンゴ”がスペイン領でのちのドミニカ)、黒人奴隷のティ・ノエルは奴隷仲間でマンディンゴ族の黒人、マッカンダルを尊敬している。
    ある日マッカンダルはトウモロコシ圧搾機の事故で左手を失う。
    片腕となったマッカンダルはフランス人主人の元を逃げ出し、ブードゥー教の女魔術師の元で修行を積み、動物への変化や薬の配合を身につける。
    白人たちを毒で皆殺しにしようとするマッカンダルは、黒人奴隷たちから魔術師として崇拝される。

    だがマッカンダルは捕えられ処刑が決まる。
    火刑台に火がつけられた時、悪魔のように怒り暴れるマッカンダルは、処刑台を抜け出し動物に変化して逃げ出す。
    黒人奴隷たちは喝采の声を上げ「マッカンダルは大事な仕事を行うために、しばらく人の世界からは姿を隠した」と彼の戻りを待つ。

    そして三十年後、新たな反乱を指示したのはブードゥー教の教義を習得するジャマイカ人のブックマンだった。
    奴隷たちは、姿を隠しているマッカンダル、そしてフランス人たちと敵対するスペイン人たちの援助を信じて蜂起する。
    反乱は国中に広がり、蜂起した奴隷たちは、白人主人の屋敷の地下の酒蔵を荒らし、奥方や令嬢を凌辱するが、反乱は鎮圧される。

    命は助かったティ・ノエルはまたフランス人主人の奴隷に戻る。
    ティ・ノエルは祈祷を歌うように昔マッカンダルから聞いた歌を口ずさむ。

    奴隷支配強化のため植民地へ派遣されたルクレルク将軍とその妻ポーリーヌ・ボナパルト(ナポレオンの妹)。
    フランスでは、植民地とはのんびりした風土で自然とともに暮らす楽園のように考えられ、ハイチにある熱病や奴隷制度などの現実は見えてはいない。

    そして熱病により荒れた土地で、白人たちは財産を失い、
    ティ・ノエルはフランス人主人に売り飛ばされ遠い島へと渡る。

    長い年月がたち、故郷のハイチに戻ったティ・ノエルは黒人で奴隷からコック、そして兵士になったアンリ・クリストフが王として君臨するサン・スーシ宮殿(無憂宮)に紛れ込み、そのまま奴隷として捕えられる。

    白人の主人から黒人の主人へ。
    「わしと同様に肌の色が黒くて、下唇は厚く、髪は縮れ、潰れた鼻をしている黒人、生まれが卑しくて、わしと同様におそらく体に焼き印を押されている黒人に棒で殴られ、こきつかわれるのだからまったくやりきれん」(P106)

    アンリ・クリストフは白人との戦争に勝利を収めるが、圧政により国内からは反発をも招いていた。
    天空の砦を築くアンリ・クリストフは、砦の秘密を知る司祭を教会の壁に生き埋めにする。
    壁の向こうから街中に響き続ける司祭の呪詛の喚き声は、いつしか聞こえなくなる。
    司祭の声が消えた後、アンリ・クリストフが訪れた復活祭のミサの場に壁の向こうで腐敗を始めた司祭の遺体が現れ、教会の屋根から街を睥睨する。
    騒然となった兵士や人民たちは、そのままの勢いでアンリ・クリストフへ反乱を起こす。
    燃えるサン・スーシ宮殿で、黄金の弾丸により穴の開いたこめかみに手をやりアンリ・クリストフは倒れる。

    自由となった奴隷のティ・ノエルは宮殿からの略奪品とともに昔の主人の農場に寝泊まりしていたが、あるとき測量技師たちに追い払われる。

    この時のハイチは混血の独裁者が君臨する国になっていたのだ。

    白人の主人から黒人の主人、そして混血の主人へ。
    「鎖は何回切ってもヒドラのように蘇り、足枷はまた生き返り、暮らしは日ごとに悲惨さを増して行った」P147

    三度奴隷として囚われる前に、ティ・ノエルは片腕のマッカンダルが動物となって火刑台から抜け出したことを思い出す。
    長く生きた人間の特権として、ティ・ノエルはブードゥーの秘教を身に着け、人間の皮を脱ぎ捨て動物となる。

    蟻、鵞鳥、蜂、馬…動物の世界を回るティ・ノエル。
    しかし動物の世界にも彼を受け入れる場所、身体の安定の場所はない。

    そこでティ・ノエルはマッカンダルのことを思い出す。
    彼は逃げたのではなく人のためになることをするために姿を消したのだ。
    それなら人間は、現状をより良いものにするために自分自身に義務を果たして、貧困にあっても気高さ、逆境にあっても人を愛することができて、そういう人物こそこの世の王国において至高のものを見出せるのだろう。

    そう悟ったティ・ノエルは人間の姿に戻り、圧政の島を押し流すための濁流を起こした。
    ===

    ダラダラ書いてしまいましたが150ページ程度で4部構成の中編です。
    後書より、当時のハイチの反乱と独立の年表をまとめてみた。
    1751年から58年(第1部):マッカンダルが毒による反乱を起こし処刑される。
    1791年(第2部):ブックマンが反乱を率いる。
    1794年:黒人のルベルチュールが革命を起こすが、奴隷制度存続のため送られたナポレオンの兵に捕えられて死亡。
    1801年:ナポレオンの妹、ポーリーヌ・ボナパルトは夫のシャルル・ヴィクトール・エマニュエル・ルクレール将軍の赴任のためサン・ドマングへ赴く。
    1804年:ルベルチュールの後を継いだデッサリーヌが独立宣言と皇帝就任。ここで「ラテンアメリカ大陸初の独立国家」「黒人による初の独立国家」「北半球では、アメリカ独立宣言に継ぐ二番目の独立宣言」が樹立される。
    1820年(第3部):デッサリーヌの死後、皇帝に就任していたアンリ・クリストフが謀反を起こされ自害。
    1821年(第4部):混血のジャン・ピエール・ボワイエがハイチを統一し、黒人政府を樹立する。
    ボワイエは白人と黒人の混血の”ムラート”。ラテンアメリカは人種が交じり合いスペイン語には人種や混血を示す用語が30くらいあるらしい。

    マッカンダルについては水木しげるが「神秘家列伝」で”宗教とはどのように生まれるのか知りたい”として描いているというのでそっちも読んでみたんですが、
    http://booklog.jp/item/1/4048836323
    地理や情勢、そしてブードゥー教の成り立ち、なぜ今忌まわしいゾンビだけ取り上げられているのか、などが実に分かりやすかった。この本の副読本として正式に記載してもいいくらいだ(笑)

    さて、アレホ・カルペンティエルは前書きで、
    「ヨーロッパのシュールレアリズムは『解剖台の上でこうもり傘とミシンの出会い』なんてもんを描いているけれどそんなものは真似事や想像の産物に過ぎない、ハイチの空気に触れれば脅威は現実とともにあるということが分かる」と書いています。
    この「驚異的な現実」を文学に印す手法はその後ガルシア・マルケスたちが世界に紹介されたときに「マジックレアリズム」という言葉で広まったということで、カルペンティエルは「マジックレアリズムの先駆者」と言われることもあります。

    しかしカルペンティエルの手法はあくまでも現実に起きる現実を描写しています。
    「この世の王国」でも魔術師が火刑台から抜け出したり、人が魔術を会得し動物に変化する、という記述が現実のものとして書かれますが、
    「当時は信じられていたんだろう」「こういう背景によりこういう伝説が生まれたのだろう」というあくまでも冷静な本のこちら側の人間として読みます。
    それに対してファン・ルルフォ「ペドロ・パラモ」や、ガルシア・マルケス「百年の孤独」では、人が空中浮遊したり、死んだ人間が墓の中でしゃべり続けたり、死んだ人間が死者の世界に飽きて戻ってきたりということを読者は作中の中の人間と同じ感覚で味わいます。

    「この世の王国」を読んでも「私もブードゥーの秘術を身に付け動物に変身できる」とは思わないけれど、
    「百年の孤独」を読んで「私もチョコレートを飲んだら空中浮遊しちゃうかもしれない」とは感じる(笑)

    …そもそも「マジックレアリズム」と言う用語は絵画を評価するのにつかわれたのが最初で、それがスペイン語に訳されてラテンアメリカ作家たちが自分たちの作品を表すのに使い始めたらしいのですが(中南米二人目のノーベル文学賞受賞者アストリアスとか)、
    じゃあラテンアメリカ文学全部から驚異の現実、魔術的現実を感じるか?というとそうでもなく。
    やっぱり定義はともかくやはりこの土着による現実の驚異的なものを感じさせられるラテンアメリカ文学には圧倒されるわけです。

  • カリブ海に浮かぶサント・ドミンゴ島の西部に位置するハイチは、ラテン・アメリカ諸国で初めて独立を果たし、共和国となった国である。カリブの海賊といえば、ディズニー社製のアトラクションや映画を思い浮かべるかもしれないが、17世紀にはハイチ島を基地としてフランスの海賊が海を荒らし回っていたのだ。しかし、18世紀後半、宗主国フランスに革命の嵐が吹き荒れると、植民地も政情不安となり、動乱の時代を迎えることとなる。この物語は、それより少し時をさかのぼり、1751年に幕を開ける。

    『この世の王国』は、フランスの一植民地であったハイチが、いかにして奴隷制を廃し、自分たちの手で共和国を樹立することに成功したかという歴史を、ひとりの奴隷の目を通して描いたものと一応はいえるだろう。ただ、そういうと何やら難しそうな歴史小説を想像してしまいそうだが、そう思わせたなら紹介者の筆のまずさ。この小説、人間が虫や鳥、けものに変身したり、生き埋めにされた大司教の霊が化けて出たり、魔女が毒薬を調合したりというゴシック・ロマンも真っ青の怪奇幻想小説仕立てに仕上がっている。

    変身の主は、修行の果てにブードゥーの祭司となったマッカンダルという奴隷。魔女に習った毒薬で農場主たちを毒殺し、ハイチ独立のさきがけとなった。マッカンダルは火刑に処されて果てるのだが、ブードゥーを信じる奴隷たちは彼は変身して逃れたと信じて疑わない。これがこの後に続く暴動、革命の原動力となる。

    四部構成のこの小説、第一部はマッカンダルの事跡から始まるのだが、その前に序文が付されている。その中で作家は、自身が影響を受けたシュルレアリスムの運動が生み出した「驚異的現実」の実体が如何に貧寒としたものであったかを、徹底的にこき下ろしている。形骸化した想像力がひねりだした蝙蝠傘とミシンの手術台の上での出会いなどより、自分が訪れたハイチで目にしたかつての王国の廃墟や民衆の中に生きるブードゥーの魔術、音楽、舞踊などの方が、どれほど驚異に満ちた現実であるかを熱っぽく語っているのだ。

    では、いったい何が作家をして、そうまで思わしめたのであろうか。遥か谷底を見下ろすように、今も聳えるラ・フェリエール城砦と、その眼下に広がるサン=スーシ宮の廃墟の景観を目にしたことが大きかったのではないか。ピラネージの名を出して、その偉容を形容しているが、同じ版画に影響を受けたホレス・ウォルポールのストロベリー・ヒルやウィリアム・ベックフォードのフォントヒル・アベイに比べ、その規模や形状は想像を絶している。

    第二部はジャマイカのブックマンという、やはりブードゥーの祭司が先導した革命の顛末と、その鎮圧を命じられたナポレオンの義弟ルクレルクに従ってハイチを訪れた妻ポーリーヌ・ボナパルトの浮世離れした暮らしぶりを描く。疫病に冒され、暴動の起きているハイチをまるでポールとヴィルジニーの暮らす楽園でもあるかのように思いなすポーリーヌのノンシャラン振りが、どちらかといえば血なまぐさい世界を陽気な色にぬりかえる。そのコントラストが強い印象を残す。

    第三部は、カプ市で人気レストランの料理長をしていたアンリ・クリストフがフランスの絶対王政を模した独裁政治を行い、同じ黒人の奴隷を酷使して王宮と城砦を築き上げるが、圧制のつけが廻り、家臣に見限られ、黄金の銃弾で自殺を図る。その最期を、城砦を築くための煉瓦を肩に、蟻の行列のように山道を登らされる奴隷の一員となった主人公ティ・ノエルの目を通して描く。

    どれだけ暴動を起こし、奴隷が王になろうが、大統領になろうが、虐げられた者の暮らしは一向によくならない。第四部は、そんな人間に絶望した主人公が蟻や蜜蜂、鵞鳥に変身したすえ、悟るところがあって結局人間の姿に戻るが、大風のあとには何も残らないという寓意性の強い物語になっている。

    『この世の王国』が描いた「驚異的現実」をもってマジック・リアリズムの嚆矢とする説があるようだが、それは少しちがう。たしかにめくるめく物語であり、ブードゥー教の儀式や変身譚が出ては来るが、ガルシア=マルケスの描く世界とは微妙に温度差がある。シュルレアリスムの影響を受けたカルペンティルの眼差しは以外に冷静で、野放図なマジック・リアリズムの詐術に依らない合理的な解決が可能な視点が貫かれている。古典的な稀譚の風趣を漂わせた格調を感じさせる文章であり、評者などは、むしろこの描き方を好む者である。とんでもない奇想の書のように受け止める向きもあろうかと思われるが、歴史上の事実を根拠にしている。いかに驚異的であれ、これがアメリカの現実なのだ。ラ・フェリエール城砦もサン=スーシ宮も世界遺産に登録され、ラバに乗れれば誰でも訪れることができる。いつか事情が許せば訪れてみたい地のひとつである。

  • 世界初の黒人王国として、ヨーロッパから独立したハイチの混沌とした世界が描かれる。

    本作は、マジックリアリズムを最初に定義づけた序文が何よりも有名で、まさにラテンアメリカ文学の記念碑的作品である。
    しかし、いくらラテンアメリカの現実が驚異的なものであるからといって、ただそれを忠実に語るだけでは面白い小説とはなり得ない、ということもまたこの小説で証明してしまっているように思える。
    序文は必読なのは間違いないが。

  • (後で書きます)

  • いつ物語が始まるのか待っているうちに終わってしまって、途方にくれた。最初から最後まであらすじのようで、序文の意気込みとネタの面白さからすると「はて?」という感じ。

  • [ 内容 ]
    カリブ海に浮かぶ国、ハイチ。
    ヴードゥー教が未だ根強く生き伸び、異様な熱気の充満する大平原…。
    本書は、松明の炎と呪咀の叫びの交錯する中、自由と独立を渇望する闘争が壮絶に繰り広げられるかの地での神話的〈現実〉を、巧みな語り口によって大胆に描く、暴力と死に彩られた専制の興亡史である。

    [ 目次 ]


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    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • キューバ人作家アレホ・カルペンティエールによる、ハイチが舞台の小説。
    いまだヴードゥー教が根強く残っているハイチの、神話的な現実を「驚異的現実」の手法で書いてます。
    人が動物になるとか、死者が蘇るとか、びっくりすることがいっぱいでてきます。びっくりしつつも読みとばしぎみに。
    歴史的なことも出てくるからハイチのことを知りたい人にもいいかも。

    にしても、わたしは驚異的現実とはなにかつかみかねています。カルペンティエールが驚異的現実について定義付けした序文や、またその手法で書かれた本文を読んでも、???って感じです。
    驚異的現実(マジックリアリズム)について、勉強してみます。
    El reino de este mundo

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