美術・マイノリティ・実践: もうひとつの公共圏を求めて

著者 :
  • 水声社
3.00
  • (0)
  • (0)
  • (4)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 14
感想 : 1
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784891765392

作品紹介・あらすじ

市場原理と非市場原理にまたがって生成する"美術"の「すばらしさ」と「いかがわしさ」の両面にわたって考究し、「第三の戦後」をともに生きのびる新たな術=ホスピタリティとしての芸術を手探りする。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 権威化された「まちづくり」や「アートプロジェクト」にみられる、ファシズム性というのは、住民の「表現」の次元を、「世界の書き換え」ではなく、「目的への回収」に接続させるところが根底にある。つまり、「世界」を尊重せず、「全体」を絶対視した上で、それに動員する


    以下引用


    じたばたする戦術的な思考とは、メジャーな市場から無視、排除されている現実的状況を引き受けつつ、市場の外部、あるいは領域の限界に接近しながら自主的に自分の活動を持続、展開してゆく手段を考え、実行するということ。

    わたしが美術作家であるが、作品で食べていけているわけではない。マネージメントをやってくれる人物やギャラリーもついてなどいない。食べてゆくための副業をもっているし、持たなくては生活も政策も続けてなどいけない。

    市場の評価が高くないためにビジネスをやってくれるギャラリーがつかないのか、あるいは世代の問題や他の理由があるのかよくわからない。私の自己評価と市場評価が食い違っていることは確か。

    非市場という場においても価値形成は可能であり、その可能性をいかに実践してゆくのか。市場は伝統という歴史的な背景と正当性を根拠にして、自らの価値がいかに伝統とむすびつくのかを提示するが、非市場においては、そうした価値決定行為が相対的なものでしかないことを証明することにより価値を提示できる

    social-社会的なるもの
    すべての社会関係が関係として可能になる社会系勢力、社会のきずな。これが産業中心の「society」という概念にとって代わられた

    日本語の「社会」には、socialという意味はほとんど見えず、近代合理主義的な考えによる政治、経済活動により集団的形成されているsocietyという経済的利害と社会的利害の両者がつくりだす、支配-被支配をもつ活動帯が考えられている

    socialな関係を育て上げることなく、societyの論理で、民衆を統制し、支配し、秩序とな目標を創り出そうとする発想(→★真に有機的なところにある関係からではなく、上部構造を設定した上で、そこに動員や参画を促すことで、捏造した「共同性」を立ち上げようとするということかな)

全1件中 1 - 1件を表示

著者プロフィール

1948年福岡県生まれ。1981年ドイツ国立デュッセルドルフ美術大学卒業。国立デッセルドルフ美術大学卒業後、美術作家として活動。群馬を足場に活動するNPO法人「場所、群馬」代表。現在前橋文化服装専門学校講師、群馬県立女子大非常勤。展示空間として「前橋文化研究所」を運営。地域通貨maasー前橋作家協会を設立。著作に『日本のダダ1920ー1970』1988年水声社、『美術、市場、地域通貨をめぐって』2000年水声社、『美術、マイノリテー、実践』2005年水声社などがある。

「1995年 『SHIRAKAWA 白川昌生作品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

白川昌生の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×