モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)

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感想 : 34
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  • Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784891766962

作品紹介・あらすじ

二つの太陽、二つの月が輝く絶海の孤島での「機械」、「他者性」、「愛」を巡る謎と冒険。

感想・レビュー・書評

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  • 最後の一段落に胸をつかれた。一番の願いはやはりそれだったのか、と。SF、ミステリー、幻想の要素が上品に混ざり合った、とても面白い小説だが、最終段落のおかげで、私には手に負えないスケールの悲恋物語になってしまった。映画もどんな風か観てみたい。『パウリーナの思い出に』も、書店から無くなる前に買いに行かなきゃ!

    • 淳水堂さん
      こてつさん こんばんは。

      「手に負えないスケールの悲恋物語」ってまさにそうですね。
      SFというかちょっと文体や出来事が不気味なところ...
      こてつさん こんばんは。

      「手に負えないスケールの悲恋物語」ってまさにそうですね。
      SFというかちょっと文体や出来事が不気味なところもあるのに、
      最後の望みと実行で不気味さが薄れ、哀しみと喜びと孤独の印象が大きくなりました。

      2014/11/22
    • こてつさん
      淳水堂さん、こんばんは。コメントありがとうございます。

      そうなんです、小説自体は終始不気味で暗い雰囲気が漂っているのに、ラストで印象が...
      淳水堂さん、こんばんは。コメントありがとうございます。

      そうなんです、小説自体は終始不気味で暗い雰囲気が漂っているのに、ラストで印象がコロッと変わってしまいました。不思議な小説でしたが好きな話だったので、いつか再読したいと思います。
      2014/11/22
  • ボルヘスの親友だけど、カサレスのほうが現実的というかちょっと乾いてるというか論文的というか文学大好きで真面目そうな人だなーという感じ。でもやっぱりラテン人種、作品の根底には滑稽さもあり、主人公たちもしっかり欲しいものゲットしたりしている。

    ★★★
    政治犯で亡命中の主人公が隠れ住む無人島。
    しかし夜には謎の男女の一団が現れる。
    彼らは主人公を全く無視し、翌日には完全に消える。
    その中の一人の女性に強く惹かれた主人公は彼らの事情を突き止め、そして自分自身を幻の世界へ同化させる。
    ★★★

  •  本の表紙に記された粗筋にはこうある。
    「故郷ベネズエラでの政治的迫害をのがれて絶海の孤島に辿り着いた《私》は、ある日、無人のはずのこの島で、一団の奇妙な男女に出会う。《私》はフォスティーヌと呼ばれる若い女に魅かれるが、彼女は《私》に不思議な無関心を示し、《私》を完全に無視する。やがて《私》は彼らのリーダー、モレルの発明した《機械》の秘密を……そして《私》は自らをひとつの……」
     この粗筋を読んだだけで、「もしかしてああなるのかな」という予想はつく。
     物語はメタフィクション構造を持った叙述トリック作品と言ってもいいだろう(それだけではないが)。
     叙述トリックということで、僕自身も「騙されないもんね」といった意志の元、「これはAAAだな」「いや、これはBBBだな」「もしかしたらCCCかも」と色々と推理しながら読み進めた。
     僕に想像出来てしまうくらいなんだから、それらの推理は陳腐このうえないもの。
     本書が発表されたのが1940年のことなので「まぁ、それくらいの時代だったらこれくらいの陳腐な叙述もあったんだろうな」的な態度で読んでいた。
     そしたら作品のほぼ中頃あたりで、本書の語り手である《私》の口から、自分の目の前で起こっている不思議な現象は「もしかしたらAAAかも」「いや、これはBBBかも」「もしかしたらCCCかも」と語り出してしまった。
     おまけに「DDD」「EEE」まで挙げた挙句にそのすべてを理論的に否定している。
     この時点で、推理することは諦め、ひたすら「どういうことなんだろう」とワクワクしながら読み進めた。
     他の方のレビューを読むと、割と早い段階でこの仕掛けに気が付いた方が結構いるみたいだけれど、頭の悪い僕なんか、全くわかりませんでしたよ、はい。
     まぁ、そのおかげで最後まで面白く読み進めることが出来たけど。
     ただ、この作品、謎解きだけがメインではなく、もしかしたらこの謎が解けた後がクライマックスになるのかも知れない。
     そこには「存在」とは何か、という問題もあるし、「自己」とは何か、「他者」とは何か、「不死」とは何か、といった問題も出てくるだろう。
    「愛」なんて問題も勿論出てくるだろうし、「この《私》の自意識過剰な思想はなんなんだ?」といった問題(?)も出てくるかもしれない。
     最後の段落で「分散した存在」なんて言葉が出てくるが、このあたりを深く考えていくと、なかなかに哲学的な思考に陥ってしまう。
     それと、後書き、というか本書の解説を読んで「ああ、そうか!」と思ったのは、実はこの本の構成自体がトリックになっている可能性があるということ。
     この《私》が書き残した「日記」のような文章が主体となっている(つまり一人称の作品ですね)。
     その「日記」をどこかの出版社が出版したものを読者が読む、という形式になっている(所々に出版社による「刊行者注」が載せられている)。
     つまり「日記」「出版物」「読者」という三層構造になっているのだが、そのどれが現実でどれが虚構なのか曖昧模糊としているのだ(読者は現実か……)。
     小説なのだから、全ては虚構なのだけれど、「日記」にも「出版物」としての内容にも、小説上の現実感に揺らぎがあり、さらに《私》の存在、モレルの存在、果ては男なのか女なのか、といったところまで謎が残る。
     さらに言ってしまえば「モレルの発明」は本当にあったのか、そもそもこの《私》の「日記」は真実なのか? といったところまで突き詰められるかもしれない。
     一人称の作品なので、語り手自身が謎を解けなければそれまでだし、語り手自身が何かを隠そう、あるいは何かをねつ造しようとしている印象すらある。
     読めば読む程に謎が出てくるのだ。
     短い作品であり(200頁にも満たない)、難しい言い回しや単語も殆ど出てこないので、割とサササーと読み終えることが出来る。
     だから軽い印象を受けるだろうし、いくつかの謎は解かれるので「なるほどなるほど、ああ、面白かった」で終わってしまう作品、と思われるかもしれない。
     でもそれは表面をヒョイと撫でただけであり、実はもっともっと奥の深い、決して解かれることのない謎に満ちた作品、と言えるのだろう。
     本書の序文であのボルヘスが「完璧な小説」と絶賛している。
    「完璧な小説」かどうかは判らないが、最高に面白い一冊であることには間違いない。

  • 語り口、描写のシンプルさ、使用されるイメージも好み。ただ、終盤にちょっと調子はずれの語りがあるのだが、あれはこの時期のラテンアメリカの流行りみたいなものなのかな?それとも主人公の矮小さを示すものか?
    バートンは千一夜物語に自作の物語をこっそり書き加えた、というエピソードを何となく思い出した。そしてそのエピソードよりも詩的。

    ---
    【メモ】
    ・「去年マリエンバートで」のきっかけになった作品らしい(未見)。
    ・マリエンバート繋がりでロブ・グリエも未読。
    ・テーマである不死性に関してイマイチしっくりこなかったら、「ボルヘス、オラル」を読んでみるといいと思う。

  • 僕なら絶対に助平なことをしてしまうと思った。

  • あっという間に読めてしまう作品。つまり初めから終わりまで興味をそそられる作品。どういうことなんだろう?と先へ先へ進んでいく作品。SF的推理小説。
    だから本当にとてもおもしろい作品である。

    でも私は何か少し物足りなく感じた。あまりにも簡単に進み過ぎてしまう気がした。もっと引っ張ってもっと長くしてもいいように思った。
    だって本当に構成も題材(内容)もスゴいのだ。
    イマージュ、死(不死)、分身、愛情という感情。
    提議している内容を普通に語ったらたぶん難しい学術論文になってしまう。それを小説として形にしているのだからスゴくて当然である。

    私はこれを読んでこれまでも考えて続けていることをまたぶり返して考えてしまった。
    それは『意識と肉体』について。延いては『死』について。

    鏡や写真や映像といった本人を映しているにも関わらずそれは決して本人そのものではないという事実。
    写真に映ったその人は写真として存在しているけれどその人そのものは存在していない。
    写真の中のその人はその人であるがその人という実物ではない。

    それは現実に存在するもの(=生きているもの)と過去に存在したが現在は存在しないもの(=死んでしまったもの)の対比に似ているように思う。
    映ったそれは映されたものの過去の残像であり、過去の記憶の断片でしかない。
    どんなに鮮やかに生々しく映っていてもそれは現実に生きているものにはならない。

    平野啓一郎の『葬送』にもこれに通ずる似たような描写があった。
    ショパンの姉が死んでいこうとしている弟を見て<生きている人間と死んだ人間>について考える場面がある。
    現にいるというだけで曖昧さはない。証明も必要ない。
    生きている人間の記憶は断片にはならない。
    それは生きている人間は未来がありその未来にどんな人間にでもなり得る自由があるからである。
    要約するとそういうようなことが書かれている。

    どんなに生きているような映像であっても未来がなければ生きていることにはならない。

    『モレルの発明』という本について感想はあるのだけれど、内容をばらさないように書こうとするとあまりにも複雑すぎてうまく文章にできない。
    とにかく面白いからおススメとだけしか言えない。あとは読んでからのお楽しみ。
    どんな人も楽しめる小説だと思う。

  • 死からの逃避、あるいは恐怖の封じ込め。それはどこからしら理性の放棄という臭いがする。自らを騙すというニュアンスがあるのである。逆にどこまでも理性的に、恐怖に対する感情を突き詰めていったとしたらどうなるのか。本書ではまさにそういう物語が展開する、と言えるかも知れない。

    それは読み始めた途端に満ちている。死が、である。しかしそこに満ちている死は、ただそこにじっと存在しているだけではない。動き回るのである。永遠の生として死が存在する。そこが不気味であり、恐怖の源でもある。

    本書からは多分にボルヘスの怪奇譚に似た香りがする。それは個人的には、表と裏が入れ替わるような物語であることを意味するのだが、この物語の中では、その入れ替わりは鏡の中にするりと入っていってしまうような感覚で起こる。その予感は序盤から徐々に膨らんでいくのである。そして、その入れ替わりが何度起こったことなのか、そういう疑問がわいてしまうと、不気味さはより一層増すのである。

    話は違うけれど、「去年マリエンバードで」という映画のことをずっと気にかけていたのだが、本書の始まりのほうでその避暑地の名前が出て来た時にピンときた。なる程、そういう繋がりだったのか、と池内紀の解説を読んで納得した。

  • 映画マリエンバードに影響を与えたという名作。インセプションや世界の終わりと〜にも通じる、自分のリアルを自分で選ぶ物語と感じた。1940年の作品ながらインターネットの世界が"現実"にとって変わる現代にこそ必要な問いを投げかけてくる。要再読、要熟考。

  • 3.9/293
    内容(「BOOK」データベースより)
    『二つの太陽、二つの月が輝く絶海の孤島での「機械」、「他者性」、「愛」を巡る謎と冒険。』

    原書名:『La invención de Morel』(英語版:『The Invention of Morel』)
    著者:アドルフォ ビオイ=カサーレス (Adolfo Bioy Casares)
    訳者:清水 徹 、牛島 信明
    出版社 ‏: ‎水声社
    単行本 ‏: ‎197ページ
    ISBN‏ : ‎9784891766962

  • ヌーヴェル・ヴァーグの傑作と言われる『去年マリエンバートで』が観たいのだが、超難解らしいので躊躇していた。

    そうしたら町山さんが解説している動画を発見して拝聴。その中で元ネタのひとつと言われていたこの本に興味を持って読んだ次第です。

    町山さんが完全にネタバレしてたので、全然楽しめなかった(笑)一方的で激しい片思いというものがあまり好きじゃないのも原因のひとつと思われる。

    最後の解説に『去年マリエンバートで』との類似性などが詳細に語られていてとても興味深かった。映画ファンはここだけでも読むと楽しめると思います。

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