サン=ジェルマン=デ=プレ入門

  • 文遊社
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784892570469

作品紹介・あらすじ

サルトル、カミュ、コクトー、ピカソ、ブルトン、ジュネ、バディム......。有名・無名の人物たちが彩る、戦後のサン=ジェルマン=デ=プレにおける狂躁の日々。胸躍りまくる時代の証言。

感想・レビュー・書評

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  •  私は先日の記事の中で、〈小百科〉なるジャンルへの愛について、性懲りもなく何度目かの言及をした。しかしながら、あいにく江戸=東京の演劇地誌というくくりではどうもしっくりと迫ってこないという諸賢もいらっしゃると思うので、より広範な理解を得られるだろう重要な例を出させていただきたいと思う。ボリス・ヴィアンの『サン=ジェルマン=デ=プレ入門』(2005 文遊社)がそれで、原書は1974年にエディシオン・デュ・シェヌ社から刊行されたが、ヴィアンがこれを書いたのは1950年とのこと。

     ヌーヴェル・ヴァーグの勃興より十年ほど遡ったパリの文明地誌が、本書で改めて浮き彫りとなる。サルトル、ボーヴォワール、カミュや著者自身をはじめとして、ジャック・プレヴェール、オーランシュ&ボスト、メルロ=ポンティ、レーモン・クノー、ジュリエット・グレコ、ジャン・グレミヨン、ジャコメッティ、ジュネ、コクトー、アンヌ=マリ・カザリス、アレクサンドル・アストリュック……といった人々がどのカフェを書斎代わりとし、誰と待ち合わせ、どのビストロで何を喰い、どの〈穴倉〉(地下クラブ)でジャズを聴き、泥酔し、踊り狂い、どの通りで夜中の痴話喧嘩を演じているのか、そのようなことが微に入り細に入り、ヴィアンの裁量で記録されている。
     「地理的条件」「住民」「伝統的な事実と伝説的な神話」「本当の事実と神話」「名士(人物辞典)」「街路」「薬量学と用法(教理問答)」などといった章立てがなされている。中でも異色なのは「伝統的な事実と伝説的な神話」で、この章では、サン=ジェルマン=デ=プレの風俗をよく思っていない新聞や雑誌の記者たち(著者に言わせれば「駄文書き」たち)が不十分な取材と理解で書き散らした憶測と悪意と捏造に満ちた記事がたくさん引用されている。引用しつつ、ヴィアンは彼ら「駄文書き」の名を挙げて毒づいているのだが、それにしては本書の前半およそ80ページものスペースがそうした「駄文」と、それに対するヴィアンの憎悪と悪態で占められている。むしろ単なる事実以上に「駄文」の列挙とサン=ジェルマン=デ=プレという土地の関係が、生彩を帯びていってしまうのである。これは、著者の意図した逆説的ユーモアであり、土地のもつ神話的な厚みの証明ともなっているのだろう。

     〈小百科〉にはこの逆説が必要な気がする。網羅しているふり、あるいは事実を懇切に叙述しているふりをしつつ、じっさいには偏在とアイロニー、メタフィクションの混入してくる余地が、〈小百科〉には狡賢く残されている。大通りの理路整然よりも、短い小径や行き止まりの路地の混濁が生彩を帯びるための装置が、〈小百科〉というジャンルの正体であると思う。

  • ボリス・ヴィアンが、1947年頃から急に知的世界、もしくはただ単に大衆的な人気の中心となったパリのこの地区におけるすべての出来事を細大漏らさず取り上げる意図をもって、1949年から50年にかけて執筆した書物である。

    サン=ジェルマン=デ=プレとは、フランス、パリの左岸に位置し、当時、サルトルやボーヴォワール、レイモン・クノー、アンドレ・ブルトン、コクトーなど多数の文化人や画家たちが集った地区であり、ドゥ・マゴやフロールなど有名文学カフェは、現在でも知的文化人たちや芸術家たちが集う。

    ヴィアンが、「とりわけ面白い時代に巻き込まれた」と語る第二次世界大戦後そのままのサン=ジェルマン=デ=プレがそのまま切り取られたようにこの一冊におさめられている。

    当時、サン=ジェルマン=デ=プレに集った約500人の人々や町を多くの写真と図版で彩っている本書は、この時代を愛する人たちにはたまらない書物だろう。

    本書は、依頼した出版社の倒産で、刊行が大幅に遅れ、ボリス・ヴィアンの死後15年の時を経て出版された。
    日本語版はさらに遅れ1995年にリブロポート社から一度出版されている。
    今回、読んだのは版元も変え装いも新たになった2005年発刊の文遊社のものである。

    ヴィアンが、当時充実した日々をすごしたサン=ジェルマン=デ=プレ界隈には、数え切れないほどの多才な人物たちが左岸の風に巻かれていたが、ドイツ占領からの解放後の戦後、パリは、時代としても開放的で市民の士気の高揚がみられ、また国内外から多くの若者たちがこの地に集まり、多岐にわたる芸術の分野に彼らの創造した新しい風を吹かせていった。

  • 『泡沫の日々』で有名なボリス・ヴィアンが、パリのサンジェルマン・デ・プレの歴史と、そこを根城にする思想家、芸術家、出版業界人、ダンサー、俳優、怪しい人々を紹介するという内容。

    やはりこの本の白眉は紳士録にあって、サルトル、ボーボワール、メルロ・ポンティの実存主義3人組からカミュ、コクトー、ジャン・ジュネなどの小説家、ジャコメッティなどの芸術家などの馴染みのある名前から、よりローカルで土地に結びつきの強い人間まで、ボリス・ヴィアンの明け透けな文章で紹介されている。これを読むと、あの時代のサンジェルマン・デ・プレにいたら! と強く思ってしまう。

    パリの、かつてあった、地の底の空気を感じられる一冊。もうこの日々も泡沫に消えてしまっただけに、感慨深いものがある。

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著者プロフィール

(Boris Vian) 1920年、パリ郊外に生まれる。エンジニア、小説家、詩人、劇作家、翻訳家、作詞・作曲家、ジャズ・トランペッター、歌手、俳優、ジャズ評論家など、さまざまな分野で特異な才能を発揮した稀代のマルチ・アーチスト。第二次大戦直後、「実存主義的穴倉酒場」の流行とともに一躍パリの知的・文化的中心地となったサン=ジェルマン=デ=プレにおいて、「戦後」を体現する「華やかな同時代人」として人々の注目を集め、「サン=ジェルマン=デ=プレのプリンス」 とも称される。1946年に翻訳作品を装って発表した小説『墓に唾をかけろ』が「良俗を害する」として告発され、それ以後、正当な作家としての評価を得られぬまま、1959年6月23日、心臓発作により39歳でこの世を去る。生前に親交のあったサルトルやボーヴォワール、コクトー、クノーといった作家たちの支持もあり、死後数年してようやくその著作が再評価されはじめ、1960年代後半には若者たちの間で爆発的なヴィアン・ブームが起こる。

「2005年 『サン=ジェルマン=デ=プレ入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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