- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784892891199
作品紹介・あらすじ
番場宿、犬目宿、駒飼宿、蔦木宿、郷原宿、長久保宿、白井宿、御堂垣外宿、勢至堂宿、三代宿、岩村田宿、小田井宿、台ケ原宿、醒ケ井宿をはじめ、三十〜四十年前の景観を紹介。宿場に馳せる思い。それは人を郷愁へと誘う。二度と戻れぬ風景への旅。
感想・レビュー・書評
-
ページをめくると、懐かしい日本の風景が目の前に開けている。モノクローム写真で撮られた映像は、茅葺き屋根の家、道路の真ん中を通る用水路と、かつては日本のそこかしこで見られたものだが、近頃とんと目にすることのなくなった風景である。主に関東、中部、北陸地方の宿場町や街道を写したもので、60年代から70年代にかけて撮影されている。
撮影者はプロのカメラマンではない。もともと街道や古い宿場歩きを趣味にしていた高野氏は、マンガ家のつげ義春を知ることで、よりいっそう深みにはまることになる。「どこそこの宿がいいらしいよ」というつげの言葉を頼りに、車を持たない高野氏は鈍行とバスを乗り継ぎ、時には雪の峠道をラッセルしながら、山間の古びた宿場を探して一人旅を続けた。
当時のこととて、長髪にジーンズ、ジャンパー、足は運動靴という出で立ちで、堀辰雄や立原道造が常宿にしていた信濃追分の油屋を訪ね、「お生憎ですが満室でして」とやんわりと断られたりしながら、腹を立てることもなく、雪の中を次のバスを待ち、別の宿場町の木賃宿に泊まったりしている。まるで、つげ義春のマンガにでも出てきそうな旅のスタイルは適度な脱力感があって、なかなかに好ましいものがある。
地図を頼りに出かけた先には、いくら尋ね歩いてもお目当ての宿場が見あたらず、見当をつけたあたりでバスを降りると、何年か前に町名変更をされていて、今では誰も古い宿場の名前など覚えていなかった、というようなこともある。御代田の大谷地鉱泉を訪ねたときも、地元の人も誰も知らず、旧道を歩いて行き、炭焼きをしていた農夫に「ああ、お風呂屋さんね。あの森の後ろの藁屋根の家」と、教えてもらっている。鉱泉宿のおばあさんは「文政時代の建物だそうだよ。昔は軽井沢から川端先生も来て下さって」と語る。このさり気なさがいい。
1968年に筆者は福島の岩瀬湯本を、つげに教えられて訪ねている。その頃は、どこもかしこも茅葺き屋根ばかりであったそうだ。有名な会津の大内宿は70年代に宮本常一によって発見されマスコミによって大々的に報道された。当時の新聞に載った写真を覚えている。俯瞰写真がとらえた大内宿は、江戸時代の村がタイムスリップしてきたような異様な迫力があった。しかし、当時の湯本には80軒近くの茅葺き屋根が残っていたというから規模の上では大内宿より大きかったわけである。今では十軒ばかりが残っているだけだという。「やっぱり偉い人に推賞され、騒がれないとだめだね」と、つげが言ったとか。
モータリゼイションの普及で、全国の街道から道の中央を流れる用水路が消えた。その結果、車の行き来が少ないために、用水路が残った村落が脚光を浴びるようになった。けれど、「町並み保存」の指定を受けて文化財になると、黒ずんだ自然石だった石積みが改修され、つるべ井戸も新たにつけられ、いかにも今日的な江戸時代の村が登場するようになる。探し求めるのは、つげ義春の世界である。レトロ風の街灯をつけてみたり、土産物屋が並んだりする観光宿場町に点が辛いのは当然だろう。
モノクロームの写真ばかりだが、それにこだわったわけではないという。60年代、カラー写真に手が届かなかっただけだと。何が幸いするか分からない。少しハイキーがかった画面は、もう今となってはどこにもない日本のさびれた宿場町の情緒を見事にとどめている。それぞれの宿を紹介する各章のはじめに、一ページ程度の解説がついている。後は、ただただ写真が続く。この潔さがいい。読者もまた、筆者のように一人で街道を歩き、峠を越えて、日も昏れかかった宿場町に入っていくような気になれる。
写真に関しては全くの素人と書かれているが、画面の切り取り方、カメラアングルと、撮影にはかなり気合いが入っている。名作『沓掛時次郎』を監督した加藤泰の名がたびたび出てくるところから見て、自分で撮るならこう、というような思いでシャッターを押したにちがいない。『たそがれ清兵衛』のロケ地として知られる茂田井宿もちゃんとある。旅好き、懐かしい風景を残す町や村に興味がある人にお薦めしたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示