「平穏死」 10の条件 胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?

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  • ブックマン社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784893087775

作品紹介・あらすじ

なぜ、病院よりも在宅の方が穏やかに死ねるのか?500人を在宅で看取った町医者だから言える、満足いく死の準備。

感想・レビュー・書評

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  • 人は誰しも必ず死にます。年がら年中死について考えるのは病的ですが、全く考えないというのも、なるほど病的なのかもしれません。
    1970年代後半を境に、自宅で亡くなる人の数と病院で亡くなる人の数が逆転したそうです。昔は自宅で家族に見守られながら、自然に平穏死する人が大半だったのです。
    どうすれば平穏に最後を迎えられるのか。誰もが、一読して考えるべき重要なテーマです。

  •  在宅での最期は、ほぼ全てが平穏死。在宅での平穏死は、昔は当たり前だった。自宅は世界最高の特別室。現在は8割が平穏死できない。「訪問診療」「往診」の在宅医を。在宅医の相性も大切。長尾和宏「平穏死 10の条件」、2012.7発行。

  • 父が入院し、抹消点滴を始めて数週間が経った。食べ物の経口摂取はしていない。家族が医師と話しをし、胃ろうや中心静脈栄養はせずに、このまま抹消点滴を続けることに決めた。高齢のため、それで良かったのだろうが、終末期医療についてわからないことばかりなので、この本を読んでみた。

    長尾先生は「死の外注化」に対して警鐘を鳴らしていらっしゃるが、現代の我々は、死ぬときも、子育ても、料理その他の家事においても、多くの面で外注に頼っているとつくづく思う。
    13日前に病院にお見舞いに行ったときは、ずっと横になっていたものの、「素晴らしい」「素晴らしい」と何度も繰り返していた(いい夢でも見たのかな?)。9日前には、頑張って起き上がって時々会話をしてくれたが、その3日後からは言葉を発するのもしんどいようで、ひたすら目を閉じている。
    誤嚥をするといけないので水も飲ませないでくださいと言われると、そうする他なく、すべて看護師さんにお任せ状態だ。点滴の量をもう少し減らしたほうがいいのかも、口から食べたいと思っているのかも、わからない。
    「素晴らしい」「素晴らしい」と言いながら、穏やかに眠りにつけたらよかったのかもしれない。苦しさがひどくならないことを祈るのみだ。

  • 「平穏に最後を迎える」ことを強く望んでも簡単には叶わない現代だから死に対する自らの態度を決めておく必要がある。その認識は以前からあったが態度を決めるための基礎知識は欠けたまま今に至っていた。そろそろ勉強しようか、というタイミングにおける良書。

  • 死の外注化
    自分はどこで死にたいのか、家族をどこで看取りたいのか
    他人にお任せ、身近な人の死に直接かかわろうとしない

    平穏死について事例を通してわかりやすい文体で説明
    がん末期の場合、老衰の場合、臓器不全の場合など
    在宅療養で痛みのコントロールできること、救急車を呼ぶ意味、リビングウィルの表明の重要性、看取りの心構え

  • 良書。
    今は2018年。
    これは2012年の本なので、これまでの6年間と今後とに法改正などもあるだろうから、もう少し先にまた長尾先生のご著書で同様のものが出たら購入しようと思う。
    私自身は長尾先生が書かれているような終末を望むが、夫や子供達に理解してもらう為に読んでもらいたいから。
    また、夫自身はどうしたいのかも考えて欲しい。
    私が片付け本や終末医療本を沢山読んで方法を模索しているのは、自分の親が反面教師となっていて、私のような大変な思いを子供達にさせたくない為。

  • 死は原因に限らず家族の病。
    二年前の本だが、在宅医の考えと病院勤務医の考えの隔たりに愕然とした。
    今でも全く著者の考えは病院の常識からかけ離れている。
    しかし、言わんとするところは多くの人の共感を得られるだろう。
    腹水が貯まったら飲み食いさせるな、何もなければ腹水を使う、は目からウロコ。
    父が他界した5年前に出会いたかった。

  • 軽い文体でとても読みやすかった。

    現時点の日本では平穏死は基本的に不可能、という認識が重要。
    「延命治療は拒否してやるぞ〜」などとなんとな〜く考えているだけでは病院で死ぬことになる。
    延命治療を受けないために出来ることを全てやっておく!くらいの覚悟がなければ平穏死は出来ない。

    以前に立花隆の「臨死体験」という本を読んで、死が怖いものだとあまり思わなくなった。
    (死について考えてみたい方にはお勧めの本です。)
    将来必ず誰にでも訪れる死について口に出すことが不謹慎だとか、縁起でもないだとか、タブーだとかいう考え方が、私には薄い。
    もう少し年を取ったら親と延命治療について話しておきたいと思っている。
    しかし自分や家族の死が身近に無い今は平穏死がいいと思えるが、やはり実際に家族の死が間近に迫ると、そう簡単に割り切れないのかもしれない。
    胃瘻を拒否し日々痩せ細っていく家族を、落ち着いて見守って行くことが出来るだろうか?

    認知症終末期の父親の胃瘻処置について決断することが出来ず、「私は手を汚したくありません。先生が決めてください」と言い放った息子のエピソードには驚いた。
    父親が死んだ時、医師が「手を汚した」結果だとでも言うのだろうか?理解できない人が世の中にはいるものだ。

    著者のお医者さんはとても良い人だと思う。
    しかしどうしても「私の看取りに皆さん大満足されてます!」という自画自賛になってしまうので(仕方ないことだし、全然嫌味のない内容ですが)、在宅で看取りをされたご遺族の体験談をまとめた本があると良いと思いました。

  • 5月新着

  • 超高齢化社会といわれる現代日本。これは多死社会になったともいえる。人間である以上「死」は免れないものであり、平等にいつかは訪れる。若いときにははるか先のことのように思えても、歳と共にそれは身近なものになり、自分の終末は、また家族の終末はいかなるものかを考えることも多々ある。今まで社会全体が目を背けていたとも言えることだが、そろそろ真剣に考えなくてはならない時期なのかもしれない。
    この本は2年前に書かれたものだが、その短い2年の間でも社会全体の死生観、エンディングに関する考え方が変わってきているように思う。長尾氏はこの本で無理な延命をせず、クオリティオブライフを大切に、出来れば自宅での終末を勧める訪問医である。昔は自宅で終末を迎えることが多かったが、高度医療の発達と共にいつしか病院で迎えることが当たり前になり、逆にそれが無理は延命治療にもつながっている部分もある。長尾氏はそれをもう一度、自然な安らかな最期を迎えるような医療体制にもっていきたいとしている医師である。
    いろいろ知らなかったこと、この2年で割と当たり前に受け入れられるようになっていること等勉強になった。少し前までのように病気になれば医師に治療を「丸投げ」するような患者ではいけないということも感じる。医師のインフォームドコンセントを通し、アドバイスや自身で知識を得、自分の体の事は自分で最終的に決断しなくてはならないのだろう。
    少なくとも自分が終末期どうしてほしいのかは健康なうちに明らかにしておかなくてはならないことだと感じた。

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著者プロフィール

1958年香川県生まれ。医学博士、医療法人社団裕和会理事長、長尾クリニック院長。東京医科大学卒業後、大阪大学第二内科を経て95年に兵庫県尼崎市で開業。一般社団法人 日本尊厳死協会副理事長・関西支部長。日本慢性期医療協会理事なども務める。ベストセラーとなった『「平穏死」10の条件』(ブックマン社)、『病気の9割は歩くだけで治る!』(山と渓谷社)など著書多数。

「2022年 『完全図解 介護に必要な 医療と薬の全知識』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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